冬の山里はだいたいさびしいものだ。
しかしそのさびしさの中に自由がある、思いがけない人の訪れもある。
さびしさに堪えたる人の又もあれな庵ならべむ冬の山里 西行
エゾリスがやって来た。小さいから昨年生まれた子だろうか?
カケスがつがいでやって来た。
寂しさの極みに堪えて天地(あめつち)に寄する命をつくづくと思ふ
伊藤佐千夫
寂しさの極みに堪えていると、宇宙天地につながっている命をつくづくと感じる。
日本の文化には底流に「哀愁感」があり、自然の風情とどこかでつながっている。
人を憂うる、人の寂しさ侘しさ、つらさに敏感な事、これが優しさであり、また人間として一番優れていることじゃないかしら、そうして、そんな、やさしい人の表情は、いつでも含羞(はにかみ)であります。 太宰治
含羞(はにかみ)などという言葉もそんな表情もほとんど見かけなくなった。
木や花に、はにかみの表情を発見するとホッとする。
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