行雲流水の如くに

人物評価の基準ーー地位で人を評価すると誤る

のどかな時代には、「末は博士か大臣か」というのが立身出世物語の定番だった。

ところが今や「大臣」は、能力など関係なしに当選回数と派閥間のバランスで決まる。

 

平沢勝栄議員は、今回やっと大臣のポストを射止めた。

なぜ大臣になれたかというと、一つには安倍首相が辞めたこと。二つ目には二階派に入ったからだ。

安倍晋三の家庭教師をしていた時代に、あまりに晋三の物覚えが悪くて定規で頭を叩いたから嫌われていた。

二階組にわらじを脱ぐと強引に押し込んでくれる。

 

菅義偉がなぜ総理大臣になれたかというと、一つには安倍晋三の弱みを握っていた。

森友・加計・桜を見る会などの疑惑を握りつぶしたのは菅義偉だ。

本来なら一蓮托生でやめるべきなのだが、安倍・菅の密約で首相のポストを獲得したのだ。

一国の総理にふさわしい人間かというと、とてもそうとは思えない。

NO2でキングメーカー的な役割を担ったほうが自分の性格に合った人生を送れるだろうと思うが。

 

「博士」と言えば、頭の良い人の代名詞だが、この十数年粗製乱造とは言わないがかなり増えている。

要するに玉石混交、「博士」の名前だけで信用するのはやめた方が良いということだろう。

 

「社長」と言われる人は、大企業から中小零細企業まで数えきれないほど存在する。

大企業の社長も立派な人ばかりかというとそんなことはない。

日産のゴーン氏のようにとんでもない人もいる。

失敗は部下に押し付けて手柄は自分でという人もかなりいる。

もっとも企業活動は常時鉄砲玉が飛んでくるので、全部責任を取っていたらきりがないという部分もあるが。

 

士は己を知るもののために死す

本当に自分のことを認めてくれた人に対しては、命を投げ捨てても悔いはない。

忖度などでゴマを擦っても真の「人間通」にはなりえない。

世に尽くす誠意と熱情があるかどうかで人を判断すればよいのではなかろうか。


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