《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

シャツのボタン ふたつ外しただけで 他の人の視線気にしてる

2009年12月08日 22時12分09秒 | Weblog
昨夜の『古都の香 浪漫紀行』・「さがみの小京都湯河原」(BS-TBS)
にはやられましたね。やられたでしょ?
完全なる「再放送」でしたね。
番組欄の(再)記号を見落としていました。

蜜柑農園……、ああ、みた、みた、三田寛子!
木桶の金魚鉢……、ああ、みた、みた、三田佳子!
大観荘の源泉巡り……、ああ、みた、みた、三谷幸喜!
湯掛け祭りと芸妓衆……、ああ、みた、みた、……思い浮かばん!
小梅堂ときび餅の由来、……ああ、見た、見た。

「ちょっと待ってくださいよ。小梅堂ときび餅の由来、なんて内容、ありましたったけ?」
無かったよ、悪かった。無かったことにいつ気が付いた?
「放送中に『小梅堂ときび餅の由来』が紹介されたとき」
女房には黙ってろよ。
「じゃ、七両二分ください」
間男一件じゃねぇんだ、なんで七両二分なんでい?
「分かってますよ、旦那。間男は半公、それにあなたは横丁の豆腐屋じゃない。」
からくれないに水くぐるとは。
「『とは』は千早太夫の本名だった、てのはやめてくださいよ」
今日のお客様は、レベルが高い!

家元、文左衛門師、勢朝師、パクりました。ごめんなさい。でもね、パクられるのはあっしなんですから、いいじゃござんせんか。


というわけで、再放送を行きがかりでマジマジと観ちゃって、
とんだ時間つぶしをしてしまったのですが、
なぜ、途中でチャンネルを切り替えなかったのか?
ナレーターがTBSの長峰由紀アナだったからですよ。

長峰由紀さん。彼女が高校生のときから存じ上げておりました。
高校生のときから美人でしたよ~~。
当時、朝、同じ電車に乗ろうと、30分以上、無駄に早い電車を目指したもんです。
彼女はちょっと遠距離通学、私は結構近距離通学。
本来乗るべき電車はまったく別の時間帯なんで。

そんな年月を経た後、、予備校で同じ教室で学ぶことになりましてね。
彼女がW大に絶対行く、って言っていたから、こっちは体をこわすほど
(合格後、肺気胸に倒れる。入学手続きは既にW大生だった従兄弟に代行してもらう)
受験勉強したんですがね。

長峰さんは『西の早稲田』に進学してしまいました。
「東西で革命を起こしましょう。私は足利尊氏になる。あなたは新田義貞になって。」
て、以仁王の令旨みたいな言葉を残して……。


そんなこんなでしたが、最初の数分は、本放送のときに見落としていたみたいです。
だから、初見と誤解して、見入ってしまったんです。

「長峰さんのナレーションだったから…って話だったのでは?」
それは、ちょっとすっぱい想い出なの多岐川裕美。

「なぜ湯河原が『さがみの小京都』なのか」その由来がよく分かって、大変勉強になりました。
それを知らなかったほど、湯河原初心者だったのです。

学んで3年、働いて6年、人生の5分の1を小江戸で過ごした私には
「小京都」と呼ばれる地に「フン!」て気持ちが常にどこかにありまして、
その上、京都は大好きですし、「これのどこが京都じゃ!」て思っちゃうわけなんで。
湯河原ははっきり言って、その最たるものと思っていました。

仙洞御所南池の州浜に敷き詰められた丸石:「一升石」の出所が湯河原だった、
そこに由来があったんですね。

許す!

「偉そうに」
いいんだよ、今夜はちょっと家元が乗りうつってんだから。

「御所の南池の西側には州浜が広がる。そこに敷き詰められた丸石は『一升石』と言われる。1817年光格上皇が院政開始した際に、御所の庭に州浜を作るため、京都所司代の大久保加賀守忠真(小田原藩主)が献上したもの。忠真はこの丸石を湯河原町吉浜の海岸から集めたとされる。その数は11万個以上。大きさ、形のそろった石をこれだけ集めるのに苦労した忠真は、石1個に対し米1升を与えた、との話が伝わっていることから、『一升石』の名がついた。」

大久保忠真は「ありきたりの献上品では歴史に名を残せん」と思ったそうな。
大久保加賀守ちゃん、やったじゃん!