《 空想から科学へ 》 奧菜主義革命~ 革命的奥菜主義者同盟非公然ブログ

奥菜恵さんは、精神と肉体の両方から無駄なものをすべて削ぎ落とし、必死に舞台に立っていた

朝青龍を家元に

2011年02月03日 21時23分26秒 | Weblog
八百長事件で、何で今さら騒ぐン?

両目しっかり明けて土俵を見てりゃ、有ったか無かったか、分かりそうなもんじゃん。

それを今さら、
「大相撲の未来は」とか「協会の公益法人としての資格は」とか
憂いていらっしゃるお方の「将来」が私は心配だ。


確かに「公益法人」でいられなくなると大変みたいね。
国技館を手放すというのは、
六大学野球連盟が神宮球場での土日優先使用権を失うものみたいなもの?

分かりにくい?


でもさぁ、両目しっかり明けて見てりゃ、おかしいと思ったはずですよ。何度も。
それでも、別の楽しみ方がある、と見続けてきたんではないのですか?
そんなことがあっても、相撲の楽しさ、素晴らしさは別に、あるいは同時に存在するのだ、と。
「そんなの承知の上だい!でもな、その向こうに得も言われぬ相撲の楽しみってものがあるんでい」
と、何故言えぬ?無償の愛が足りませんぜ。

落語マニアはぺぺ桜井が出てくるとタバコを吸いに行くが、寄席ファンは「箸は使わない」がいつもより7秒早かったぞ、貴重な場面にでっくわしちまったぜ!と

「言うかなぁ~~……。」


「土俵上 日本人は 行司だけ」
なんて言っていたお方は、突き詰めれば、あからさまではない八百長をご自分でも気づかないうちに期待していたのではないか、とも自省なさらないんですか?
今さら「裏切られた」とか、「信じていたのに」とか、なんでそうまでいい子になりたがるんですか?



だいたい、協会が一つだから腐るン。
「排外的伝統、国技、土俵の充実」原理主義団体と
「強ければ何でもあり」の朝青流と
「ま、何もかもひっくるめてそこそこに」という現協会
の3団体に分かれたらスッキリするのに。

金髪の髷力士、とか、アディダスの化粧まわし、とか、自転車で土俵入りとか、横綱昇進試験
とか見られる団体があるかと思えば、
制限時間無しで、「この取り組み、塩まき36回目ですが、まだ両者立ちません!」「結びの一番、ぴたりと呼吸があって、塩まき1回で両者立ちました!」なんてね。


今の私は、相撲にまったく関心がありません。
私は、あるときまで相撲が好きでした。
“福の花”なんて渋い力士を応援していましてな。
母が「貴乃花、ガンバレ」と言ったのを、「福の花、ガンバレ」と言ったと聞き違え、
それ以来応援し始めた。
訣別の「あるとき」、がいつ来たか?
藤島部屋と二子山部屋の合併でしたよ。
ああ、何でもありのこの世界には、夢中になるだけの価値がない、と、スーっと醒めましたね。
何でもあり、ということは、少し前の言葉を使えば、品格がないんですよ。
束縛やハンディを乗り越えようとする人智や、欲望と放埒を抑制する美意識に、人々は感動するのであって、
何でもありという品格の無さは感動を生まないと思うのですよ。
品格がない、国技を自称するくせに。
国技を自称するだけに、始末が悪い。
怒りでもなく、悲しみでもなく、至福の無関心が訪れました。
よくぞ目覚めさせてくれました、という感じの。
だから、ホントは、今回もかっこよく黙殺したかったんだけど、
最後の遺言として。

なんて、本当は
アクセス数がかせげるかな?と。


最後の最後に、ひとつ、相撲に敬意を払っておきましょう。
体重別階級制にしなかった事には、満腔の敬意を払います。
その品格を、どうぞ別の面にも生かして、この国の民を楽しませ続けてください。
私の関心は、けっして、二度と大相撲に向けられることはないでしょうが、
こんな偏狭な人間を、今後作り出さないためにも。