1/5、ははは本を読むのが好きです。
読むのは小説で、推理小説やSF、ホラーやファンタジーなど。
他に、テキストっぽいものも読みます。
仕事のためだったり、ボランティアのためだったり。
みなさんは、本を読むときに読み方は変わりますか?
より正確に申し上げると、
小説を読んで理解するときと
教科書を読んで覚えるときで 読み方に違いはありますか?
ははは違います。
この話は、「本はこう読めばいい」というものではなくて、
本を読むときに、人の脳と心は みんな同じようなシステムになっているのか
興味があって、みなさんに問いかけております。
読み方に戻ります。
ははは小説と漫画を読むのは そこそこ早いです。
もっと早くならないかと速読の本を読んだこともありますが、
身につかなかったというか、
ストーリーを味わいにくかったので、練習ストップしました。
ははが小説と教科書の自分の読み方に違いがあると気づいたのは、30代の頃、
資格取得のために勉強していた時のことでした。
無意識に教科書を読んでいて、ふと気づきました。
あ?何かちがう・・・。
小説と同じように教科書を読んでいると、内容は理解できるのですが、
頭の中へ定着していないなあと。
覚えようとしている時は、本を読むのがゆっくりです。
一行一行、視線ローラーで 本に視線を押し付けながら
目と目の間の奥の方に理解した内容を押しこむ感じ。
全文暗記するときも、そんな感じ。
これに対して小説を読むときは、ばーっとズラズラとダダダっと読み進めます。
スピードは、制御不能です。
大体は どんどん加速していきます。
小説を読んでいる時、手や足や目や その他器官もどうなっているか意識がなくて、
要は本の中に没頭しているんだと思います。
ページをめくっている意識もありません。
子どもの頃、妹や両親が声をかけても、耳に入らないことがしばしばでした。
また、文章をただ読み進めているだけで、
あれやこれや考えたりはしません。
ですが、これは伏線か?とか泣けてきたとか
感想などは同時にいろいろ巻き起こります。
今でこそ 物覚えが悪くなりましたが、
こんな小説の読み方でも、 内容は大体覚えているんです。
ちなみに、たとえば推理小説の中で連立方程式を解かないと謎も解けない
などというケースには(そんなんあるかい!?)、
少し現実に帰ってきて、教科書バージョンシステムが作動します。
これらの読み方の違いは、自然に切り替わるので、
どちらがどちらとは さほど意識しません。
ですが、時折、先にあげたように、
謝って小説バージョンで教科書を読んでしまうことがあります。
この場合は 途中で気づくので やり直し。
教科書バージョンの時には、手足は何をしているか自覚があります。
勉強に没頭していないってことになるのかな?
でも、一応、学校時代の中間/期末テストくらいだったら、
古典とか 古典と現代語訳両方を全文暗記していたんだけどな。
みんな どうなんだろう?
気になるんです。
今まで気づかなかったのですが、このブログを読んで、共感しました!
僕なりに考えてみると...
〈小説〉
・ストーリー自体を楽しむため、一字一句細かく丁寧には読まない
・ストーリーの解釈など、自由に想像できる
・文章量が多いのと、ストーリー展開があるため、どんどん読むスピードが加速しやすい
・背景があるため、小説の世界に入り込める
〈教科書〉
・主に暗記を目的とするため、文を一字一句しっかりと読む
(模試等でも、問題文は丁寧に読まないと、回答ミスしてしまいますから...)
・背景もなければ、解釈や読解には正解がある。自由度がない?ただ、読むだけ
・限られた分量を覚える、理解するといったインプットを意識している
まとめると、小説読みは、リラックスした状態でおおまかに読む、教科書は丁寧に、正確に意識して読む、そんな違いでしょうか?
確かに、古典の現代語訳、教科書読みになりますよね。一字一句しっかり読まないと、大まかな解釈では、現代語訳の問題に対応できないですからね....。文法的なニュアンスまで答えが要求されますから。
コメントありがとうございます。
ストーリー、展開、背景、なるほどなるほど。
そういえば、
日本史や化学・数学の一部は、
歴史や論理の展開がストーリーとして認識され、
学生の頃、好きでした。