隆慶一郎の著書「一夢庵風流記」(集英社文庫)の一節がとても好きで、ご紹介したいと思い引用を含めて書きたいと思います。
それは前田慶次郎と、慶次郎の旧主前田利家の妻「まつ」との恋慕と別れを綴った章です。
当時男女間の色事は現代以上に開放的だったようですが、加賀前田家の主(あるじ)利家の妻と、以前の家臣が関係を持った事実が、他家に知られることは戦国の世では嘲笑の的となり、加賀前田家の家名を著しく汚す行為です。
慶次郎の無二の親友であり、加賀前田家の家臣でもある、奥村助右衛門は慶次郎の首を自ら斬る覚悟で対峙します。
慶次郎が鎖帷子を着けていた為、助右衛門の抜き打ちの一閃は傷を与えることが出来ませんでした。その最中、陰から様子を見ていた「まつ」が登場します。
--以下引用--
声が響いた。「何をためらっているの」(中略)
「さあ、云いなさい。あの女子(おなご)とは別れるって」威嚇するような声だった。そのくせ無限の悲しさを含んでいた。
「いやだ」慶次郎は駄々っ子のように首を振った。(中略)
「二人とも大人じゃありませんか。いつかはこんな日が来るのは、判っていたじゃありませんか」(中略)
「いやだ」悲鳴のように慶次郎は叫んだ。
--引用ここまで--
『傾奇者』として、描かれている前田慶次郎が涙した数少ない場面です。
昔読んだときには、特段思いが湧かなかったのですが、年齢を重ねたためか最近読み返した際、通勤電車の中で不覚にも泣いてしまいました。
少年のような一途な心、自分の思いのまま行動する純粋さ、僕自身が忘れていた事を思い出したのかもしれません。
本人が思ったままに行動する事は、現代社会では一般通念において制約を受けますし、その制約を守れない場合には「社会人としての自覚不足」なんて事も言われてしまいます。
感情移入してしまうのは、そういう非現実的な世界観を疑似体験する瞬間だと思ってます。
「まつ」と別れた慶次郎はその後、心の充足を戦いに求め戦場に赴きます。
興味をもたれた方は、ぜひご一読ください。
それは前田慶次郎と、慶次郎の旧主前田利家の妻「まつ」との恋慕と別れを綴った章です。
当時男女間の色事は現代以上に開放的だったようですが、加賀前田家の主(あるじ)利家の妻と、以前の家臣が関係を持った事実が、他家に知られることは戦国の世では嘲笑の的となり、加賀前田家の家名を著しく汚す行為です。
慶次郎の無二の親友であり、加賀前田家の家臣でもある、奥村助右衛門は慶次郎の首を自ら斬る覚悟で対峙します。
慶次郎が鎖帷子を着けていた為、助右衛門の抜き打ちの一閃は傷を与えることが出来ませんでした。その最中、陰から様子を見ていた「まつ」が登場します。
--以下引用--
声が響いた。「何をためらっているの」(中略)
「さあ、云いなさい。あの女子(おなご)とは別れるって」威嚇するような声だった。そのくせ無限の悲しさを含んでいた。
「いやだ」慶次郎は駄々っ子のように首を振った。(中略)
「二人とも大人じゃありませんか。いつかはこんな日が来るのは、判っていたじゃありませんか」(中略)
「いやだ」悲鳴のように慶次郎は叫んだ。
--引用ここまで--
『傾奇者』として、描かれている前田慶次郎が涙した数少ない場面です。
昔読んだときには、特段思いが湧かなかったのですが、年齢を重ねたためか最近読み返した際、通勤電車の中で不覚にも泣いてしまいました。
少年のような一途な心、自分の思いのまま行動する純粋さ、僕自身が忘れていた事を思い出したのかもしれません。
本人が思ったままに行動する事は、現代社会では一般通念において制約を受けますし、その制約を守れない場合には「社会人としての自覚不足」なんて事も言われてしまいます。
感情移入してしまうのは、そういう非現実的な世界観を疑似体験する瞬間だと思ってます。
「まつ」と別れた慶次郎はその後、心の充足を戦いに求め戦場に赴きます。
興味をもたれた方は、ぜひご一読ください。