昨日は、(刑事一代~平塚八兵衛の昭和事件史~後編)が面白かった。
戦後の日本を揺るがした大事件の裏側には、必ずこの男がいたーー。
のコピー通り、戦後重大事件の捜査に関わった男の生涯。
私も、漫画史の研究者として見習うべき点が多数あった。
ところで、最近私の父の故郷である庄内地方が何かと話題になることが多くなってきているようで非常に喜ばしい。
来週の金曜ロードショーは、庄内藩がモデルの海坂藩が舞台の藤沢周平原作作品映画(たそがれ清兵衛)だし、今回のアカデミー賞受賞の映画(おくりびと)も我が父の故郷である庄内地方が舞台である。
今日の画像は、サラリーマン金太郎や、硬派銀次郎などで知られる漫画家本宮ひろ志先生が庄内の本間家をモデルに描いた作品(俺の女たち)。
戦前戦後の庄内地方と本間家の一族を、農地改革をまじえて本宮流に描こうとしたようだが・・・
私の父の実家は、庄内酒田の本間家三代目光丘の時に庄内藩の城下町がある鶴岡に武家として分家して以来従兄弟の長男が10代目と続く旧家である。
庄内藩のサムライから明治維新以降は地主となり、戦後のGHQによる農地改革の際、農家となった。
藤沢周平の小品、(龍をみた男)の舞台となる善宝寺近くの父の実家の風景は、自然が今もそのまま残された、日本の美しい故郷の原風景だ。
地主の息子でも8人兄弟の8男であり、農地改革により残されたのは僅かばかりの土地となった故郷庄内を成長すると父は離れた。
我が一族の菩提寺となり、代々檀家の代表を務める善宝寺の本山である総持寺のある横浜鶴見を父は活動拠点としたのだが、私には子供の頃から京浜工業地帯の一角となるこの鶴見の地はどうしても好きになれなかった。
子供の頃、父と母そして姉の家族4人で訪れる鶴岡市郊外の自然に囲まれたあの風景がすきだった。
私が中学2年生となった頃より父は体調を崩しはじめ、私はいつのまにか梶原一騎先生原作ながやす巧先生絵の漫画(愛と誠)に出てくる太賀誠のような不良少年へと変わってしまい、父の運転により家族揃って鶴岡にある父の実家へ行くことも出来なくなってしまった。
私の祖父は、父が10歳の時に亡くなってしまったため、長男である伯父が親代わりとなり、父を育ててくれたのだが、その伯父も今年で90歳になる。
私が17歳で父を癌で亡くしてからは私の父親代わりともなった。
そうだ、今年こそ鶴岡へ帰ろう。
善宝寺の我が一族代々の墓には、父の遺骨も分骨されているし、子供の頃冬になると、両親が共働きのため鍵っ子であった私の面倒をみるために毎年上京してきてくれたお祖母さんの墓参りもしたい。
伯父さんや従兄弟にその長男。
そしてまだ私があったことのない伯父さんにとっては曾孫となる小さな子供達。
私にとっての庄内鶴岡は今もあの頃となんら変わることのない心の故郷でもあるのだから。
追伸
本間ゴルフ創業者一族と、酒田の本間家との関係はいくら調べても良く分かりません。
以前、テレビ番組の(バリバリバリュー)の取材に対し、後に放火事件をおこし逮捕された社長本人が、そのことを番組内で白状していました。
私の伯父達が戦後皆、上京してきた際、総持寺との関係で鶴見に滞在したことや、私の父が鶴見に住んだことと、偶然鶴見や川崎辺りに住んでいた本間ゴルフ創業者一族が、庄内の本間家の関係者と勘違いされてそのまま利用したという事実をテレビの再現ドラマで見ましたが、何か関係があるのかも知れません。
ちなみに、庄内空港開港の際の整備対策委員長は私の伯父が務めており、庄内空港が酒田市と鶴岡市の中間の山あいに位置しているのは、伯父の働きかけにより、用地買収が容易であった地域が選らばれたからなのかも知れませんね。
ネット上では、いまだに本間ゴルフ創業者一族が、酒田の本間家の直系やまつえいとする説が多数あるようなので一言。
ちなみに、私の父の実家と酒田の本間家とは現在行き来はありません。
ただ、父の実家に裏紋として残され使っている紋が本間家の正式の分家のひとつの証明であることを、私が明治学院大学在学中、ゼミで(菊と刀)をテーマに講義をされていた川本教授から教わりました。((ルパン三世・カリオストロの城)の指輪のエピソードと似ている)
善宝寺近くにある君の父の実家には、昭和40年頃山形大学との共同研究で調査のため、訪ねたことがある。その際の資料が山形大学に残されているハズだ。
君の家の歴史は、調べて見るととても面白いぞ。
酒田の本間家が武士として鶴岡に分かれたことや、GHQの農地改革の際、酒田の本間家がモデルケースとされたことなどまだまだ世間には、知られていない事実がたくさんあるからな。
調べて見るといい。
川本教授はゼミの中だけでなく、その後の一般授業である農村社会学の中でも庄内の本間家について1コマ講義をされました。
私は、少年時代に父から教わった先祖の話と、川本教授の話が一致していることが嬉しくて、嬉しくて、夜空を見上げながら一人帰ったことをいまでもはっきりと憶えています。
私の武家である本間家と父に対する思いは、スタジオジブリの宮崎駿監督作品、(天空の城ラピュタ)に出てくるパズーの天空の城ラピュタと父に対する思いと同じでした。
あれから20年間、少しずつではありますが関東武士集団としてサムライの発祥から続く本間家千年の歴史について調査を続けています。
最近、相場の神様として話題になっている本間宗久は、9代前の先祖本間光丘の叔父にあたりますので私とも少し繋がりがあることになりますね!
戦後の日本を揺るがした大事件の裏側には、必ずこの男がいたーー。
のコピー通り、戦後重大事件の捜査に関わった男の生涯。
私も、漫画史の研究者として見習うべき点が多数あった。
ところで、最近私の父の故郷である庄内地方が何かと話題になることが多くなってきているようで非常に喜ばしい。
来週の金曜ロードショーは、庄内藩がモデルの海坂藩が舞台の藤沢周平原作作品映画(たそがれ清兵衛)だし、今回のアカデミー賞受賞の映画(おくりびと)も我が父の故郷である庄内地方が舞台である。
今日の画像は、サラリーマン金太郎や、硬派銀次郎などで知られる漫画家本宮ひろ志先生が庄内の本間家をモデルに描いた作品(俺の女たち)。
戦前戦後の庄内地方と本間家の一族を、農地改革をまじえて本宮流に描こうとしたようだが・・・
私の父の実家は、庄内酒田の本間家三代目光丘の時に庄内藩の城下町がある鶴岡に武家として分家して以来従兄弟の長男が10代目と続く旧家である。
庄内藩のサムライから明治維新以降は地主となり、戦後のGHQによる農地改革の際、農家となった。
藤沢周平の小品、(龍をみた男)の舞台となる善宝寺近くの父の実家の風景は、自然が今もそのまま残された、日本の美しい故郷の原風景だ。
地主の息子でも8人兄弟の8男であり、農地改革により残されたのは僅かばかりの土地となった故郷庄内を成長すると父は離れた。
我が一族の菩提寺となり、代々檀家の代表を務める善宝寺の本山である総持寺のある横浜鶴見を父は活動拠点としたのだが、私には子供の頃から京浜工業地帯の一角となるこの鶴見の地はどうしても好きになれなかった。
子供の頃、父と母そして姉の家族4人で訪れる鶴岡市郊外の自然に囲まれたあの風景がすきだった。
私が中学2年生となった頃より父は体調を崩しはじめ、私はいつのまにか梶原一騎先生原作ながやす巧先生絵の漫画(愛と誠)に出てくる太賀誠のような不良少年へと変わってしまい、父の運転により家族揃って鶴岡にある父の実家へ行くことも出来なくなってしまった。
私の祖父は、父が10歳の時に亡くなってしまったため、長男である伯父が親代わりとなり、父を育ててくれたのだが、その伯父も今年で90歳になる。
私が17歳で父を癌で亡くしてからは私の父親代わりともなった。
そうだ、今年こそ鶴岡へ帰ろう。
善宝寺の我が一族代々の墓には、父の遺骨も分骨されているし、子供の頃冬になると、両親が共働きのため鍵っ子であった私の面倒をみるために毎年上京してきてくれたお祖母さんの墓参りもしたい。
伯父さんや従兄弟にその長男。
そしてまだ私があったことのない伯父さんにとっては曾孫となる小さな子供達。
私にとっての庄内鶴岡は今もあの頃となんら変わることのない心の故郷でもあるのだから。
追伸
本間ゴルフ創業者一族と、酒田の本間家との関係はいくら調べても良く分かりません。
以前、テレビ番組の(バリバリバリュー)の取材に対し、後に放火事件をおこし逮捕された社長本人が、そのことを番組内で白状していました。
私の伯父達が戦後皆、上京してきた際、総持寺との関係で鶴見に滞在したことや、私の父が鶴見に住んだことと、偶然鶴見や川崎辺りに住んでいた本間ゴルフ創業者一族が、庄内の本間家の関係者と勘違いされてそのまま利用したという事実をテレビの再現ドラマで見ましたが、何か関係があるのかも知れません。
ちなみに、庄内空港開港の際の整備対策委員長は私の伯父が務めており、庄内空港が酒田市と鶴岡市の中間の山あいに位置しているのは、伯父の働きかけにより、用地買収が容易であった地域が選らばれたからなのかも知れませんね。
ネット上では、いまだに本間ゴルフ創業者一族が、酒田の本間家の直系やまつえいとする説が多数あるようなので一言。
ちなみに、私の父の実家と酒田の本間家とは現在行き来はありません。
ただ、父の実家に裏紋として残され使っている紋が本間家の正式の分家のひとつの証明であることを、私が明治学院大学在学中、ゼミで(菊と刀)をテーマに講義をされていた川本教授から教わりました。((ルパン三世・カリオストロの城)の指輪のエピソードと似ている)
善宝寺近くにある君の父の実家には、昭和40年頃山形大学との共同研究で調査のため、訪ねたことがある。その際の資料が山形大学に残されているハズだ。
君の家の歴史は、調べて見るととても面白いぞ。
酒田の本間家が武士として鶴岡に分かれたことや、GHQの農地改革の際、酒田の本間家がモデルケースとされたことなどまだまだ世間には、知られていない事実がたくさんあるからな。
調べて見るといい。
川本教授はゼミの中だけでなく、その後の一般授業である農村社会学の中でも庄内の本間家について1コマ講義をされました。
私は、少年時代に父から教わった先祖の話と、川本教授の話が一致していることが嬉しくて、嬉しくて、夜空を見上げながら一人帰ったことをいまでもはっきりと憶えています。
私の武家である本間家と父に対する思いは、スタジオジブリの宮崎駿監督作品、(天空の城ラピュタ)に出てくるパズーの天空の城ラピュタと父に対する思いと同じでした。
あれから20年間、少しずつではありますが関東武士集団としてサムライの発祥から続く本間家千年の歴史について調査を続けています。
最近、相場の神様として話題になっている本間宗久は、9代前の先祖本間光丘の叔父にあたりますので私とも少し繋がりがあることになりますね!