遠い世界に 旅に出ようか
それとも赤い風船に乗って 雲の上を歩いてみようか
太陽の光で 虹を作った
お空の風を もらって
かえって 暗い霧を
吹き飛ばしたい
僕らの住んでる この街にも
明るい太陽 顔を見せても
心の中は いつも悲しい
力をあわせて 生きることさえ
いまではみんな 忘れてしまった
だけど 僕達若者がいる
雲に隠れた 小さな星は
これが日本だ 私の国だ
若い力を 体に感じて
みんなで歩こう 長い道だが
ひとつの道を 力の限り
明日の世界を
探しに行こう
西岡たかし作詞・作曲
五つの赤い風船・歌
1969年5月
高校生の頃、深夜ラジオでこの歌を聴いた時、私は人生最大の転機を迎えていた。
不良少年が、改心し、大学進学を志したのはいいが、当時私が通っていた公立高校から、推薦以外で大学へ進学出来る者はほとんどなく、ましてや何度も停学をくらい退学寸前の身の上では、進学どころか卒業すら危うかった。
私に残されていたのは、人一倍心配と苦労をかけた父に
ちゃんと高校を卒業して、大学へも進学して見せるよ
と交した約束を果たしたいと切に願う思いだけだった。
当時、中学、高校の教師からだけでなく、周囲の非行少年達からも
お前のような奴がいると、皆が迷惑する。
お前みたいな奴は、この学校にはいらない人間なんだ。
と言われたことに対する反発心。
祖父母や両親、伯父達から受けた愛情とは裏腹な周囲からの評価と疎外感に
そんなに俺が悪いのか
と、考え続けた日々。
大好きな漫画やアニメも、周囲から悪者扱いをされていたことと重なり、
物事の真実は、全て自らの眼で見てから判断したほうがいい。
人を肩書きや噂だけでそのまま信用してはいけない。
と考えるようになる。
果たして、教師達や周囲の皆が言うように本当に漫画やアニメが悪いのか?
私は、本当にいらない人間だったのか?
全ては、時の流れが答えを出してくれたような気がする。
一浪後、入学した明治学院大学での学生生活と、アルバイトで始めた添乗員の仕事を通してわかったことは、私が悪いのではなく、教師達を始め、周囲の者達の方が、何らしかの問題がある人物が多かったということ。
問題がある人達とは、自分の信念を曲げてまで付き合わないで良かったということである。
朱に交われば赤くなるという。
朱に交わらなければ、赤くはならないのである。
さて、一昨日の夜七時に、旅行会社から連絡があり、8月20日から再度、萩・津和野と安芸の宮島2泊3日の旅へ添乗することになった。
私の旅は、まだまだ続くようだな。
【漫画の匠】
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