198万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)更新復活

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祖母がまだ、若い頃、母を抱いて

2009-05-10 04:19:17 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
去年の母の日のことだ。
母の親戚から一枚の写真が送られてきた。

画像の写真は昭和16年、母が産まれた時の物。
茨城県行方郡にある母の実家が管理する神社の前で撮影された。
中央の男性は祖父で、右隣でその年5月1日に産まれたばかりの赤ちゃんを抱いているのが祖母となる。
祖母が大事に抱いている赤ちゃんが私の母親。
この写真はなんと3男6女の5女となる母が産まれた御祝いの記念写真なのだ。

私ばかりでなく母親もこの写真のことは知らず、当時親戚に配られたこの写真を大切に持っていた、母を良く知る90歳前後のオバアさんが、私の母親の為に贈ってくれたのである。

母の直ぐ下には、妹そしてその下に弟が二人いる。

祖父や祖母そして伯父や伯母達のこんなにも若い頃の写真は初めて見た。
祖父は面影があるのですぐにわかったが、祖母は晩年太めになっていたので、若い頃はほっそりとした和服の似合う美人だと初めて知った。

何よりも私が驚いたのは、6番目の子供までも大切にしている祖父母の優しさだ。

私の子供の頃は、夏休みや冬休みになると母の実家はいつも、遊びに来ている大勢の孫達で溢れかえっていたのだが、祖母や祖父は、孫達にとても優しかった。
母の田舎の中でもひときわ善人の夫婦として知られており、小津安二郎の映画東京物語に出てくる笠智衆、演じる老夫婦そのままの印象が私にはある。

産まれた時から祖父母に大切に育てられて来た母は、正直で働き者な山形県庄内出身の五歳年上の男と結婚し、一男一女にも恵まれ夫婦二人仲良く幸せな家庭を築いていくのだが・・・


姉となる娘は子供の頃からあまり手もかからず、学校生活や就職、結婚と順調に育てることに成功するのだが、弟となる息子は小さい頃は病弱で手がかかり、その後、中学・高校生になると何度も学校で問題を起こすことになる。

その頃私の母は、母親を38歳の時に亡くし、父親も40歳で亡くす。
42歳の時には夫まで癌で亡くした私の母に残されたのは、出来の悪い息子である。
さすがに息子も母の苦労を知って改心し、何とか退学寸前だった高校を卒業する。
一浪後、大学に進学、日本旅行に就職したと思ったら、すぐ辞めて収入も不安定な文筆業となり、いまだに結婚も出来ずにいる。

東京タワーの息子よりもより一層、母親には心配や苦労をかけ続けている。
子供の頃の私の呼び名はマー君だったので、余計身につまされた。

私は父にとっても、母にとっても、本当に親不幸で出来の悪い息子である。

写真の祖父母は、私に、少しは母親を大切にするように訴えかけているような気がしてならない。

私達がこんなにも大切に育てて来た娘なんだから少しは大事にしてやってくれよと・・・
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