gooのブログをカテゴリー分けしていたら、データが途中で消えてしまったようなので、今日は6月14日の記事の再編集版です。
画像は、第38回日本漫画家協会賞贈賞式・懇親会での一枚。
右から受賞者の西岸良平氏、所ゆきよし氏、五十嵐大介氏、うえださと士氏、北見けんいち氏そして青いハッピを着ているのが、乾杯の音頭をとる我等が常務理事の、ちばてつや先生。
第24回年度初め通常総会は午後4時より開始。
物故会員4名
武本サブロー氏
宮村正治氏
赤塚不二夫氏
松山たいきゅう氏
へ一分間の黙祷を行う。
佐川美代太郎氏が名誉会員に承認される。
各部会報告の中で、特に興味を持ったのは、やはり著作権部の報告。
Google書籍検索問題に関しては、漫画家協会では他の協会とは異なる独自の声明文を出している。
詳しくは、新しくリニューアルされた社団法人日本漫画家協会のホームページを確認して貰いたい。
著作権に関しては、様々な問題が起きている。
私個人が知ったものでは、2003年頃に電子配信により貸本漫画時代の作品が多数著者に無断で配信されている事件があった。
犯人を突き止めると、マンガ学会理事であり、現代マンガ図書館館長の内記稔夫氏が黒幕であることが判明。
当時私も顔を出していた漫画史研究会の席上で内記稔夫氏の参加していることを確認した上で、著作権の無断使用の問題として皆さんどのように思うかとたずねたところ、横から関西出身の宮本大人氏が
お前アホちゃうか。無断でそんなことするわけないやろ!
と公衆の面前で私を罵倒した。
だが、私は事前に無断使用している事実を著作権者及び配信元の会社から確認しているからこそ抗議したのである。
私は宮本大人氏に対し
馬鹿はお前の方だろう。
著者に無断で使用しているから問題提起しているんだ。
こんな大事なことすらキチンと話し合いが出来なくて何が漫画史研究会だ。
と発言したところ、宮本大人氏は無言となり、
夏目房之介氏などは
それはここで話し合うような問題ではない。
という。
私は、漫画史研究会という名を持つ漫画研究者の集まりの意味を疑った。
著作権の問題を、会に参加している人物が起こしているのに、冷静に話し合いすら出来ないなんて・・・。
宮本大人とは、早稲田大学を出て、東京大学大学院で学び、マンガ学会とは設立時から関係があり、現在は九州の大学で准教授をしているが、来年は明治大学にくるという。
私が漫画史研究会に参加するようになったキッカケは、2000年4月頃、当時川崎市市民ミュージアムで漫画担当の学芸員をしていた細萱敦氏(現・東京工芸大学准教授)より良かったら一度参加してみないか?と誘われたからであり、それ以来その時まで丸4年近く参加し続けていたのだが、その件があり参加する気がしなくなった。
その後、漫画史研究会には、数年後に一度だけ顔を出したことがある。
電子配信の会社の役員が、私に全面的に謝罪し、問題図書の配信をすぐに停止したことなどのてんまつの報告と、漫画史研究会の席上で自らの悪業を否定した内記氏や、根拠もなく人を罵倒した宮本氏が人としての良心から謝罪をしてくるかどうかを試すためである。
だが、内記稔夫氏からも、公衆の面前で何の根拠もなく人を罵倒してきた宮本大人氏からも私への謝罪はその時も、その後も一切ない。
東京大学大学院卒の宮本大人氏からすれば、不良少年上がりで明治学院大学の夜学で学んだ私に対して、
アホちゃうか
という発言を訂正する気はさらさらないのだろう。
ことのてんまつを報告しようとしたのだが、たずねてくる漫画史研究会の参加者がいないどころか、なぜ私が参加をするのかといった空気が漂っていた。
漫画史研究会がどういう所かについては、赤木了介、(赤木大介)なる人物と宮本大人、房爺(夏目房之介)とのやりとりでネットの上でも既に真実の姿を伝えているようなので、そちらでのやりとりを見ていただければ、彼等の人間性がわかって貰えると思う。
私は、赤木了介なる人物とは面識がないのでどのような人物なのか判断は出来ないが、漫画史研究会参加者については内記稔夫氏を含め、その人間性が率直にあらわれている。
Google検索で、(漫画史研究会、赤木了介、宮本大人)で検索するとそのやりとりが出てくる。
どうやら私と、漫画史研究会のメンバーとは、育って来た環境の違いからか漫画やアニメに対する考え方があまりにも違うようだ。
高校時代、停学を何度もくらい退学寸前の不良少年だった私は、大好きだった父の入院を機に改心し、大学進学を志す。
11ヶ月にわたる入院生活の中、17歳の春に父を癌でなくしてしまった私が進学先として選らんだところが、明治学院大学社会学部社会学科の夜間である。
父が私の為に遺しておいてくれた学費以外は、交通費や、教科書代、はてはサンフランシスコへのホームステイの費用にいたるまで全て添乗員のアルバイトや、奨学金を貰いながら4年間優秀な成績で通ったのである。
2003年には、社会学科の後輩達5人から卒業生訪問インタビューを受け、その様子が明治学院大学社会学・社会福祉学会が発行する(Socially第12号・2004年3月発行)に訪問記事として載っていることが、私が明治学院大学社会学部の優秀な卒業生であることを証明してくれているハズだ。
だが、世間一般では、学歴に対する差別や偏見は就職をするにしても、何をするにしても、つきまとう。
夜学に対する差別には根強いものがあるのは事実だ。
漫画史研究会とは違い、日本漫画家協会にはそのような学歴による差別や偏見はまるで感じられ無い。
社団法人 日本漫画家協会 定款
第2章 目的および事業
(目的)
第4条
この法人は健全なる漫画の普及に関する事業を行うと共に、漫画創作活動を奨励し併せて諸外国との漫画文化の交流を図り、もって我が国文化の発展に寄与することをもって目的とする。(事業)
第5条
この法人は前条の目的を達するため、次の事業を行う。
一 健全なる漫画の普及
二 漫画創作活動の奨励
三 漫画文化の国際交流
四 漫画に関する調査研究
五 会報その他出版物の発行
六 その他目的を達成するために必要な事業
第3章 会員
(種別)
第6条
この法人の会員は次の通りとする。
一 正会員 この法人の目的に賛同して入会した個人
二 賛助会員 この法人の事業を援助する個人または団体
三 名誉会員 この法人に特に功労のあった者で総会の議決をもって推薦された者
四 友好会員 この法人の目的に賛同して入会した外国人
2 前項各号の会員のうち、正会員をもって民法上の社員とする。
(入会)
第7条
会員になろうとする者は、会員2名(うち理事1名)の推薦を得て、入会申込書を理事長に提出し理事会の承認を受けなければならない。ただし名誉会員に推薦された者は、入会の手続きを要せず、本人の承諾をもって会員となるものとする。
私が社団法人日本漫画家協会へ、漫画史の研究者として、入会を希望したとき、推薦をしてくれたのが漫画史研究の第1人者である清水勲先生と、当時協会の理事を務めていた漫画家の一峰大二先生の二人である。
一峰大二先生と二人で理事会のある日に、漫画家協会の事務所まで行き、理事会の始まる直前に理事の先生方にご紹介いただき、
彼は(少年画報大全)という良い漫画の研究書を監修したり、横浜のアジアマンガサミットに参加したりして頑張っているんで皆さん何とか入れてやって貰えませんか。お願いします。
といって一峰先生は私と一緒に頭を下げてくれた恩人である。
後日協会から、正会員として理事会の先生方全員一致での入会が認められたとの通知が届く。
唐沢俊一さんにそのことを話すと、
凄いな!私なんか前に入会を希望した時、断られたことがあったんだ。
といって漫画史の研究者としての私の入会を喜んでくれた。
現在会員の平均年齢が60歳となる漫画家協会へ、当時まだ36歳の若輩者である私が、漫画史の研究者として入会出来たのは一峰大二先生と清水勲先生のひとかたならぬご尽力があったればこそである。
私以外の研究者は現在、全て大学教授の肩書きを持っているようだ。
私のすぐ上の研究者が中野晴行さんや村上知彦さんとなる。
さて、2003年に続けて今年の2月にも再び著者に無断での図版使用を発見する。
マンガの昭和史
昭和20年~55年
現代マンガ図書館内記コレクションを中心に京都国際マンガミュージアム大阪国際児童文学館の図版を多数掲載
と表紙にうたうこの本が、漫画家である著者の先生に無断で図版を使用しているのだ。
発行所のランダムハウス講談社とは、あまり聞かない名前なので、講談社の人何人かにたずねたところ、あまり知る人はなく、ランダムハウスとは、英語の辞書などを出していた所で、ランダムハウス講談社には、講談社との資本提携があるらしい。
どうやらこの本には、講談社で漫画編集に関わって来た人達がまるで関係しておらず、取材・編集として㈱近衛ロンドという編集プロダクションが関わっているようだ。
近衛ロンドへ連絡し、注意を促すと、吉岡なる人物が最初は全面的に謝罪をしてきたのに話しを二転三転させ、
ランダムハウス講談社の部長と話しをしたが著作権上は何も問題がない。
と言い出す始末。
被害者である先生方は、問題であるとしているし、相談した講談社の漫画関係者も
出版に携わる者として、許せない行為だ。
として、協力してくれるとのこと。
今後、この昭和のマンガ史著作権問題については、続けてレポートしていきたいと考えている。
マンガ学会の内記一派については、台湾での騒動がネット上でも問題となっている、いがらしゆみこ先生と関係している。
いがらし先生は、著作権問題で協会を退会した。
さて、二時間に及ぶ総会の様子は、ちばてつや先生のブログでも紹介されており、青いハッピを着た集合写真の中に私の姿もある。
贈賞式・懇親会においては、男性の漫画家の先生では、ちばてつや先生、松本零士先生、一峰大二先生、山根青鬼先生、土山しげる先生、森田拳次先生、ウノ・カマキリ先生と、女性の漫画家の先生では、わたなべまさこ先生、牧美也子先生、花村えい子先生、里中満智子先生と話しが出来た。会場にはやなせたかし先生、小島功先生、藤子不二雄@先生、矢口高雄先生、永井豪先生、バロン吉元先生、さいとう・たかを先生、牧野圭一先生、みつはしちかこ先生の姿があった。
他にも総会参加者は皆、青いハッピを着ていたのだが、あまりにも大勢なので把握しきれていない。
協会員は、参加費用一万円を払っての参加である。
研究者の会員で話しが出来たのは、清水勲先生、日本漫画学院長の木村忠夫さん。
中野晴行さんとは眼で挨拶したのみ。
タケカワユキヒデさんの姿もあった。
賛助会員である企業の参加者は、
㈱手塚プロダクションの松谷社長、招待客である丸山昭さんの紹介で㈱講談社専務の五十嵐さんとも初めて名刺交換が出来た。
㈱小学館専務の白井さんには、脚本家の石森史郎先生が20年振りに逢いたがっている旨を伝え、私のブログにも載せた石森史郎先生の携帯で写した画像もお見せした。
㈱フジオ・プロダクション社長の赤塚りえ子さんにも挨拶し、横山隆一記念まんが館学芸員の奥田さんとも久しぶりに話しが出来た。読売新聞社文化部からは、佐藤憲一記者が来ていたので、二上洋一先生の訃報記事のお礼を伝えた。
招待客の秋田書店の大西部長から石井いさみ先生の近況を聞き、小松崎茂先生のお弟子さんである根本圭助さんとは、弥生美術館での来月からの展示について話しをする。
横山まさみち先生の息子さん横山プロの晃彦さんともお話しが出来た。
ご馳走も食べれて幸せな一日だったな。
漫画史研究会では、みにくいアヒルの子の
本間正幸
画像は、第38回日本漫画家協会賞贈賞式・懇親会での一枚。
右から受賞者の西岸良平氏、所ゆきよし氏、五十嵐大介氏、うえださと士氏、北見けんいち氏そして青いハッピを着ているのが、乾杯の音頭をとる我等が常務理事の、ちばてつや先生。
第24回年度初め通常総会は午後4時より開始。
物故会員4名
武本サブロー氏
宮村正治氏
赤塚不二夫氏
松山たいきゅう氏
へ一分間の黙祷を行う。
佐川美代太郎氏が名誉会員に承認される。
各部会報告の中で、特に興味を持ったのは、やはり著作権部の報告。
Google書籍検索問題に関しては、漫画家協会では他の協会とは異なる独自の声明文を出している。
詳しくは、新しくリニューアルされた社団法人日本漫画家協会のホームページを確認して貰いたい。
著作権に関しては、様々な問題が起きている。
私個人が知ったものでは、2003年頃に電子配信により貸本漫画時代の作品が多数著者に無断で配信されている事件があった。
犯人を突き止めると、マンガ学会理事であり、現代マンガ図書館館長の内記稔夫氏が黒幕であることが判明。
当時私も顔を出していた漫画史研究会の席上で内記稔夫氏の参加していることを確認した上で、著作権の無断使用の問題として皆さんどのように思うかとたずねたところ、横から関西出身の宮本大人氏が
お前アホちゃうか。無断でそんなことするわけないやろ!
と公衆の面前で私を罵倒した。
だが、私は事前に無断使用している事実を著作権者及び配信元の会社から確認しているからこそ抗議したのである。
私は宮本大人氏に対し
馬鹿はお前の方だろう。
著者に無断で使用しているから問題提起しているんだ。
こんな大事なことすらキチンと話し合いが出来なくて何が漫画史研究会だ。
と発言したところ、宮本大人氏は無言となり、
夏目房之介氏などは
それはここで話し合うような問題ではない。
という。
私は、漫画史研究会という名を持つ漫画研究者の集まりの意味を疑った。
著作権の問題を、会に参加している人物が起こしているのに、冷静に話し合いすら出来ないなんて・・・。
宮本大人とは、早稲田大学を出て、東京大学大学院で学び、マンガ学会とは設立時から関係があり、現在は九州の大学で准教授をしているが、来年は明治大学にくるという。
私が漫画史研究会に参加するようになったキッカケは、2000年4月頃、当時川崎市市民ミュージアムで漫画担当の学芸員をしていた細萱敦氏(現・東京工芸大学准教授)より良かったら一度参加してみないか?と誘われたからであり、それ以来その時まで丸4年近く参加し続けていたのだが、その件があり参加する気がしなくなった。
その後、漫画史研究会には、数年後に一度だけ顔を出したことがある。
電子配信の会社の役員が、私に全面的に謝罪し、問題図書の配信をすぐに停止したことなどのてんまつの報告と、漫画史研究会の席上で自らの悪業を否定した内記氏や、根拠もなく人を罵倒した宮本氏が人としての良心から謝罪をしてくるかどうかを試すためである。
だが、内記稔夫氏からも、公衆の面前で何の根拠もなく人を罵倒してきた宮本大人氏からも私への謝罪はその時も、その後も一切ない。
東京大学大学院卒の宮本大人氏からすれば、不良少年上がりで明治学院大学の夜学で学んだ私に対して、
アホちゃうか
という発言を訂正する気はさらさらないのだろう。
ことのてんまつを報告しようとしたのだが、たずねてくる漫画史研究会の参加者がいないどころか、なぜ私が参加をするのかといった空気が漂っていた。
漫画史研究会がどういう所かについては、赤木了介、(赤木大介)なる人物と宮本大人、房爺(夏目房之介)とのやりとりでネットの上でも既に真実の姿を伝えているようなので、そちらでのやりとりを見ていただければ、彼等の人間性がわかって貰えると思う。
私は、赤木了介なる人物とは面識がないのでどのような人物なのか判断は出来ないが、漫画史研究会参加者については内記稔夫氏を含め、その人間性が率直にあらわれている。
Google検索で、(漫画史研究会、赤木了介、宮本大人)で検索するとそのやりとりが出てくる。
どうやら私と、漫画史研究会のメンバーとは、育って来た環境の違いからか漫画やアニメに対する考え方があまりにも違うようだ。
高校時代、停学を何度もくらい退学寸前の不良少年だった私は、大好きだった父の入院を機に改心し、大学進学を志す。
11ヶ月にわたる入院生活の中、17歳の春に父を癌でなくしてしまった私が進学先として選らんだところが、明治学院大学社会学部社会学科の夜間である。
父が私の為に遺しておいてくれた学費以外は、交通費や、教科書代、はてはサンフランシスコへのホームステイの費用にいたるまで全て添乗員のアルバイトや、奨学金を貰いながら4年間優秀な成績で通ったのである。
2003年には、社会学科の後輩達5人から卒業生訪問インタビューを受け、その様子が明治学院大学社会学・社会福祉学会が発行する(Socially第12号・2004年3月発行)に訪問記事として載っていることが、私が明治学院大学社会学部の優秀な卒業生であることを証明してくれているハズだ。
だが、世間一般では、学歴に対する差別や偏見は就職をするにしても、何をするにしても、つきまとう。
夜学に対する差別には根強いものがあるのは事実だ。
漫画史研究会とは違い、日本漫画家協会にはそのような学歴による差別や偏見はまるで感じられ無い。
社団法人 日本漫画家協会 定款
第2章 目的および事業
(目的)
第4条
この法人は健全なる漫画の普及に関する事業を行うと共に、漫画創作活動を奨励し併せて諸外国との漫画文化の交流を図り、もって我が国文化の発展に寄与することをもって目的とする。(事業)
第5条
この法人は前条の目的を達するため、次の事業を行う。
一 健全なる漫画の普及
二 漫画創作活動の奨励
三 漫画文化の国際交流
四 漫画に関する調査研究
五 会報その他出版物の発行
六 その他目的を達成するために必要な事業
第3章 会員
(種別)
第6条
この法人の会員は次の通りとする。
一 正会員 この法人の目的に賛同して入会した個人
二 賛助会員 この法人の事業を援助する個人または団体
三 名誉会員 この法人に特に功労のあった者で総会の議決をもって推薦された者
四 友好会員 この法人の目的に賛同して入会した外国人
2 前項各号の会員のうち、正会員をもって民法上の社員とする。
(入会)
第7条
会員になろうとする者は、会員2名(うち理事1名)の推薦を得て、入会申込書を理事長に提出し理事会の承認を受けなければならない。ただし名誉会員に推薦された者は、入会の手続きを要せず、本人の承諾をもって会員となるものとする。
私が社団法人日本漫画家協会へ、漫画史の研究者として、入会を希望したとき、推薦をしてくれたのが漫画史研究の第1人者である清水勲先生と、当時協会の理事を務めていた漫画家の一峰大二先生の二人である。
一峰大二先生と二人で理事会のある日に、漫画家協会の事務所まで行き、理事会の始まる直前に理事の先生方にご紹介いただき、
彼は(少年画報大全)という良い漫画の研究書を監修したり、横浜のアジアマンガサミットに参加したりして頑張っているんで皆さん何とか入れてやって貰えませんか。お願いします。
といって一峰先生は私と一緒に頭を下げてくれた恩人である。
後日協会から、正会員として理事会の先生方全員一致での入会が認められたとの通知が届く。
唐沢俊一さんにそのことを話すと、
凄いな!私なんか前に入会を希望した時、断られたことがあったんだ。
といって漫画史の研究者としての私の入会を喜んでくれた。
現在会員の平均年齢が60歳となる漫画家協会へ、当時まだ36歳の若輩者である私が、漫画史の研究者として入会出来たのは一峰大二先生と清水勲先生のひとかたならぬご尽力があったればこそである。
私以外の研究者は現在、全て大学教授の肩書きを持っているようだ。
私のすぐ上の研究者が中野晴行さんや村上知彦さんとなる。
さて、2003年に続けて今年の2月にも再び著者に無断での図版使用を発見する。
マンガの昭和史
昭和20年~55年
現代マンガ図書館内記コレクションを中心に京都国際マンガミュージアム大阪国際児童文学館の図版を多数掲載
と表紙にうたうこの本が、漫画家である著者の先生に無断で図版を使用しているのだ。
発行所のランダムハウス講談社とは、あまり聞かない名前なので、講談社の人何人かにたずねたところ、あまり知る人はなく、ランダムハウスとは、英語の辞書などを出していた所で、ランダムハウス講談社には、講談社との資本提携があるらしい。
どうやらこの本には、講談社で漫画編集に関わって来た人達がまるで関係しておらず、取材・編集として㈱近衛ロンドという編集プロダクションが関わっているようだ。
近衛ロンドへ連絡し、注意を促すと、吉岡なる人物が最初は全面的に謝罪をしてきたのに話しを二転三転させ、
ランダムハウス講談社の部長と話しをしたが著作権上は何も問題がない。
と言い出す始末。
被害者である先生方は、問題であるとしているし、相談した講談社の漫画関係者も
出版に携わる者として、許せない行為だ。
として、協力してくれるとのこと。
今後、この昭和のマンガ史著作権問題については、続けてレポートしていきたいと考えている。
マンガ学会の内記一派については、台湾での騒動がネット上でも問題となっている、いがらしゆみこ先生と関係している。
いがらし先生は、著作権問題で協会を退会した。
さて、二時間に及ぶ総会の様子は、ちばてつや先生のブログでも紹介されており、青いハッピを着た集合写真の中に私の姿もある。
贈賞式・懇親会においては、男性の漫画家の先生では、ちばてつや先生、松本零士先生、一峰大二先生、山根青鬼先生、土山しげる先生、森田拳次先生、ウノ・カマキリ先生と、女性の漫画家の先生では、わたなべまさこ先生、牧美也子先生、花村えい子先生、里中満智子先生と話しが出来た。会場にはやなせたかし先生、小島功先生、藤子不二雄@先生、矢口高雄先生、永井豪先生、バロン吉元先生、さいとう・たかを先生、牧野圭一先生、みつはしちかこ先生の姿があった。
他にも総会参加者は皆、青いハッピを着ていたのだが、あまりにも大勢なので把握しきれていない。
協会員は、参加費用一万円を払っての参加である。
研究者の会員で話しが出来たのは、清水勲先生、日本漫画学院長の木村忠夫さん。
中野晴行さんとは眼で挨拶したのみ。
タケカワユキヒデさんの姿もあった。
賛助会員である企業の参加者は、
㈱手塚プロダクションの松谷社長、招待客である丸山昭さんの紹介で㈱講談社専務の五十嵐さんとも初めて名刺交換が出来た。
㈱小学館専務の白井さんには、脚本家の石森史郎先生が20年振りに逢いたがっている旨を伝え、私のブログにも載せた石森史郎先生の携帯で写した画像もお見せした。
㈱フジオ・プロダクション社長の赤塚りえ子さんにも挨拶し、横山隆一記念まんが館学芸員の奥田さんとも久しぶりに話しが出来た。読売新聞社文化部からは、佐藤憲一記者が来ていたので、二上洋一先生の訃報記事のお礼を伝えた。
招待客の秋田書店の大西部長から石井いさみ先生の近況を聞き、小松崎茂先生のお弟子さんである根本圭助さんとは、弥生美術館での来月からの展示について話しをする。
横山まさみち先生の息子さん横山プロの晃彦さんともお話しが出来た。
ご馳走も食べれて幸せな一日だったな。
漫画史研究会では、みにくいアヒルの子の
本間正幸
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