4月2日(土)

1/9℃ (福島県本宮市本宮)
(4日目)奥州街道・仙台道
本宮宿ー南杉田宿ー北杉田宿ー二本松宿ー二本柳宿
杉田宿ー本宮宿㊽ー安達太良神社ー薬師堂ー南杉田宿㊾ー杉田川ー北杉田宿㊿ー光恩寺ー杉田館跡ー藤原実方供養塔ー旧市川家ー七夜坂ー正法寺地区ー木のぼり地蔵ー大壇口古戦場跡ー大隣寺(二本松藩主丹羽氏や二本松少年隊士の墓、戊辰戦争殉難者群霊塔などがある)ー二本松神社ー二本松城址ー二本松宿(51)ー油井集落ー酒銘・花霞(屋号・米屋 高村智恵子の生家)ー鞍掛山ー二本柳宿(52)ー松川

城址から桜が咲けば絵にしたい光景だ
今朝のホテルモーニングは定食スタイルでおかわり自由とのこと
いつものごとくお腹いっぱいにしっかりとおかわりをして食べた

今朝の気温はマイナス1℃の予報で厚着をして出発
昨夜歩き終えた北杉田に8.30に戻り歩き始めるが、30分もしたら汗が出てきて軒先で薄着に替える 少し寒いぐらいが歩きやすい








本宮宿から三春街道をゆくと滝桜で有名な樹齢1000年と言われる国の天然記念物で日本三大桜のエドヒガン系イトザクラの巨木があるらしいが、福島の桜の開花は4月20日頃だとのことで残念
大阪・箕面は今桜が満開と写真をメールで送ってもらったが、福島とは3週間の違いで、今は梅の花が咲く

二本松城跡に着く 事前の資料収集では歴史的なこと、山城であることと、戊辰戦争時の二本松少年隊の壮絶な戦いなどの知識しかなかったが・・・




だがこの辺で次の宿場へと思いつついると、上の方から同年輩の地元の方が下りてこられ声をかけてくれた
それから1時間以上もかけて現地案内をしてくださった その豊富な知識とともに何とこの城跡の奥深いこと本の知識との大きな違いに驚く










歩き旅でたくさんのお城を見てきたが、この二本松城跡は私にはその周囲の景観と合わせ最高に思えた
ここに高村光太郎と智恵子が座り、後に智恵子抄に歌われた場所と説明してもらった






二本松宿は寛永20年(1643年)白河から入封した丹羽光重によって整備された10万石の城下町で幕末まで治められたと
二本松城は戊辰戦争で悲劇的な結末を迎えたが、もし籠城していたらかなり持ちこたえたのではないかと思われる相当な規模と地形だ 専門家が名城の一つと言うのも頷ける
ここからの眺めは素晴らしい
あと3週間ほどで桜が咲き、また秋には紅葉がとても美しいとの事






「もう一つの白虎隊」の悲劇は涙を誘う かつて会津藩とともに勇兵の名高い二本松藩だったが、藩士が出陣して不在時に二本松城総攻撃をくらい、立ち向かったのは22歳を隊長に12歳から17歳まで60人ほどの少年隊だった
勇敢に戦い長州藩隊長を大砲一門で討ったが僅か1日で落城し多くの少年が戦死した その悲劇に今も墓所の大隣寺少年隊士の墓には香の煙が絶えないという


見事な傘の樹形の松 びっくりだ





もっともっと沢山の個々の説明をいただいたが、また機会を見て訪れたいものだと思う
渡邊様ありがとうございました。
二本松宿から日本柳宿に至る間に高村智恵子の生家で造り酒屋・花霞がある 至高の愛に生きた芸術家・高村光太郎とその妻・智恵子は後に光太郎が綴った詩集「智恵子抄」で知る所だ
智恵子の生家を訪ねる






二人の魅惑に満ちた暮らしと、その後の智恵子の実家の破産で精神に変調をきたし、光太郎の看病空しく53歳で没するという


正気を失った智恵子を心から愛し続けた光太郎だが、その没落した智恵子の実家を見れば心が痛むのは何故だろうか 霞ケ城公園には「樹下の二人」の詩碑があった
今日は少し早めに切り上げ松川まで歩き、予約した福島のホテルに入る










(4日目)
23.67㎞ 32.698歩
累計 ㎞ 歩