4月5日(火)





6/13℃(宮城県白石市本町)
(7日目)奥州街道・仙台道
白石宿ー宮宿ー金ケ瀬宿ー大河原宿-船迫宿
(7日目)奥州街道・仙台道
白石宿ー宮宿ー金ケ瀬宿ー大河原宿-船迫宿
白石宿(63)ー白石川(白石大橋)ー陣場山ー世良修蔵の墓(戊辰戦争・奥羽総督府下参謀)ー白鳥橋ー刈田嶺神社ー宮宿(64)ー北白川橋ー里程標ー金ケ瀬宿(65)ー大高山神社(白鳥崇拝発祥の地)ー船岡城址ー大河原(おがわら)(66)ー船迫宿
今朝も雨だが、徐々に晴れてくるとの予報 雨具はいらないようだ
しっかりと朝食を済ませ、昨日歩き終えた白石宿を8.00スタート
外へ出ると小雨なので、そのまま白石城へ向かう 桜はまだのようだ
もうすぐ咲くのかな?
桜はまだ蕾の白石城

途中 白石高等学校のバックを持った生徒が元気に挨拶して通る








桜まつりのぼんぼりが見えるがお祭りをするのかな?
一部工事中のようだ 一通り見終えて下に降りかけるとおじさんがフーフー言いながら上がってきたが、
ありゃー ??門もやられたのか と
どうやら3/16の地震の影響がここにもあるようだ




城下から武家屋敷跡へ向かう
屋敷の周りに川が流れ立派な武士の屋敷跡があった もう相当古いな
(ここも3/16の地震で被害があり入館はできないとの張り紙)





城下町を散策










白石城は1868年の戊辰戦争の時、奥羽列藩同盟締結に向け諸藩の代表が参集した舞台であった 戦う相手の薩摩・長州を主体とする官軍に敗れ、一時は共和制による「東日本国 政権」構想もあったというから、南北朝鮮のような事態になっていたかも? なんて想像した
(以下、記録用に写真を羅列)


















































金ケ瀬宿は西側の本町に片倉藩の足軽が白石城の方角に玄関を設け、東側の新町には仙台藩の百姓が住み家は仙台の方角を向いていて、その特徴的景観が今も残っているというのが面白い














ブログを書きながらテレビを見ていたら今タイミングよくその一目千本のことを昨年の満開の映像とともに写し出されていた 桜の寿命は7.80年とか 老木古木が多い
あと10日前後で美しい花を咲かせる と
今年も桜祭りは中止とか
見物は自由なのでコロナ対策をしてお出かけ下さいとの事だった

船岡城址に着く










今日は早いがここまでとして船岡から予約したホテルに向かう
昨日 雨に濡れた衣服も含めてコインランドリーで全て洗濯・乾燥だ

(7日目)
26.94㎞ 35.948歩
累計 ㎞ 歩