5月21日(日)18/27℃
新聞と情報
「年寄りになると新聞が待ち遠しくて、朝刊が来る前に起きて玄関先で待っている」なんて話しを昔よく聞いた
*以下の写真はここ数日の千里南公園の散策路から
高校生の頃、朝日新聞を毎朝配達していたことがあるが、そんな老人によく声をかけられた
公園の健康機器で運動するシニアのみなさん
また学生時代は2年半ほど毎日新聞大阪本社の地下輪転機の中で夜明けまで新聞印刷のアルバイトに明け暮れ、その合間によく新聞を読んだ
お陰で就職してサラリーマンになった時、得意先の偉いさんから「君は情報通だね」とか褒められ、よく声を掛けてもらった
当たり前のようにいつも新聞は手元にあり読んでいたからだと思う
園芸ボランティアのみなさん いつもありがとうございます
それが年を経て古希を越え、引越しをして一人となり、つい億劫になり取らなくなった 最初は迷ったが、新聞をとらなくなって4年目、すっかり慣れてしまって不便さは感じない
PCやスマホで必要に応じて検索すればより詳しく即時に知りたいことが分かるので必要性を感じなくなったこともある
但し、ニュースや娯楽、知りたい情報だけでなく、紙面での企画記事や評論、他の人の意見などに出会わないので、他の新しい視点が増えないことが難点か? その気になればいくらでも視点は広がるがナマケモノなだけ😆
最近どうした事か、公園の巨木となったユーカリの木が次々と枯れ、伐採作業が続く
旅先でたまにホテルにある新聞に目を通すと、余り面白くないのはなぜだろうか? 新聞社によって国内外の記事の主義主張が全く違う事も多く、今までの特定新聞社に偏ってきた自分の考えを改めた
あらゆるメディアから情報が氾濫しているので、改めて新聞をとろうとは思わないが、知識や教養が偏り過ぎて自分本位になりがちだ だがもうそれでいいのだと思うようになった
公園の北側に国際学生寮があるので、よく留学生が公園を散歩している
なぜなら若い頃の知識や教養は、これからの長い人生で役立ち、マクロ的にも必要性のあるものが多いからだ
しかし、八十路の自分は、これからの人生に役立つからでなく、今の生活に必要な楽しみであったり、人との交わりに、また好奇心や興味や趣味にと自分本位、ある意味自己中心的で今を生きる為のミクロの学びや情報が欲しいから
人はそれぞれなのだから、もう自分は今が良ければ総てよしと割り切ることにした
先週から東京の早稲田大学エクステンションセンターでの講義に新幹線で行く予定だったが、オンラインでの受講にした
キャンパスライフも青春に還り楽しいものだが、今は便利な世の中で自分に合わせ、興味に合わせて自由な学びが出来るので嬉しい😆
*写真は全て千里南公園の散策路から
お腹仲間のタヌキのPONTA君😆
後方は阪急電車千里線の高架、南千里駅はすぐ左方