10月9日 (土)
17/31℃(佐賀県杵島郡江北町)
(9日目)長崎街道
小田ー北方ー塚崎宿ー武雄
<行 程>
<肥前山口ー小田宿ー北方宿ー武雄>
肥前山口ー田園地帯ー小田宿⑮ー追分石跡ー伝馬屋敷跡ー馬頭観音堂ー大ケヤキー旧道ー横辺田代代官所跡ー造酒屋ー恵比須峠ー福母地蔵ー焼米橋ー追分ー六地蔵ー稲主神社ー土蔵重要文化財・土井家ー北方八幡神社ー問屋場跡ー追分石ー北方宿⑯ー大崎八幡社ー高橋ー天満宮・大神宮跡ー享保橋ー田園地帯ー閻魔大王石像ー阿弥陀仏六地蔵ー丘超えー武雄市ー僧庵橋ー夜泣き地蔵・八並の石塔ー武雄温泉口
少し前からスマホの機嫌が悪い
なぜ? 何とかなだめながら使ってきたが、今朝ダウン😵 慌てた😵💫
考えたら今の時代毎日スマホに動かされてる感じで、何とも映画じゃないがロボットに左右されてると感じる事がある😫
と言って今更歩き旅を足の向くまま超アナログで歩き始めても、どこへ行くやら糸の切れた風船か凧か😂
だが直前まで昔の旅人になったつもりで何の現代ツールを持たずに歩こうかと思ったが、多分徘徊老人と間違えられすぐに家に送り返されるだろうなぁーと、考え直して息子に連絡した
多分写真の撮りすぎで容量オーバーだから全て消せとのこと
そんな馬鹿な?😭
Googleフォトは消しても写真は残っているからとか⁉️ わけのわからないことでやりとり🤬
だが息子の言う通りにあれこれいじっていたら何とか動き出した😂
(仕事中なのに半ボケ親父に何時間も付き合わせてスマンな🙏)
と言うことで今日は昼前からだが
長崎街道ナビで再スタートだ
予定地まで到着するかな⁉️
肥前山口から田園地帯を通り小田宿⑮へ向かう
小田集落には宿場だった面影はない
だが馬頭観音堂に樹齢1200年という楠木があり、シーボルトが参府した時の紀行文にこの木のことが書いてあるという
小田横辺田代官所跡を過ぎ、土壁造りの旧家をみる
北方を過ぎ、旧道から稲主神社の先に、土蔵造り風のお屋敷前に
「旧長崎街道 北方宿本陣」⑯表示板があり、説明版があった
北方宿をあとにして高橋川に沿い歩き享保橋を渡る
田園地帯を歩き小高い丘を越え武雄市に入る
僧庵橋を渡り、旧道を進む
地蔵堂の横に「八並の塔」があり、虎御前が曽我五郎、十郎の冥福を祈るために建てた石塔婆で室町時代以前のものとか
諏訪神社を過ぎ、鍵形道路の標石に着くと、長崎街道の各宿場風景の陶板が道の所々に埋め込まれていた
札ノ辻を曲がり武雄温泉の本陣跡 塚崎宿⑯に着く
塚崎宿本陣はこの武雄温泉の楼門を入った湯屋と隣接してあったとか 湯つぼは身分別、階級別に区分されていたようだ
御前湯は前もって馬の尾で作った細かいふるいでこした湯をたたえた藩主・領主専用の最高級の湯つぼがあったとか
武雄温泉の開湯は約1200年前と古く、武雄温泉新館と楼門は国重要文化財になっている
この周辺は宿場時代の面影がそれなりに残っている
今日はここまでとして 名湯の温泉に入る と言いたいが、ゆっくりする間もなく疲れ果てバタンキューでベッドだった トホホ!
今日は半分は曇り空で歩きやすかった
だが風がなく蒸し暑く余計に汗が出て衣服は汗まみれ 宿にコインランドリーがあってよかったが、乾燥までの1時間が長い
(9日目)22.43km 30.710歩
(190.45㎞.260.083歩)
武雄の街に入り、偶然本物の蒸気汽関車が置かれた公園に出た しかも自由に出入りができ、子供たちのおもちゃになっている廃車だった。
だが 幼い子供の頃、安曇野の国鉄篠ノ井線と大糸線に蒸気機関車が走っていてその勇姿に憧れ、機関士になる夢を見たものだ。
車体の歴史を見ると昭和19年製造とある
20年1月生まれの自分とは同世代だ
幼児の時に見て驚いた車輪の大きさが目の前にあり懐かしかった
機関車の運転席にも自由に入れ、その内部を初めて見て触ってみた
また夢にでてきそうだ🤣
写真がいっぱいになって動きが悪くなったんですね、子供に聞くと怒るから聞きたく無いけど聞く?
私ソフトバンクに年寄りの強みでお兄さん教えてと行くと 見てもらって教えて貰ってと厚かましくやってます。
後何日ですか?雨に濡れて歩くのも大変 台風が又近づいてきてますので無事に歩けますように。