ロシアの歴史を語るとき、
キエフ大公国がモンゴルの侵入に依り滅び、現在のウクライナやポーランド、ベラルーシ、等があります。
ロシアはモスクワ公国時代が有り、イワン大帝期にロシア大帝国を形成した。
当時の農民は農奴制時代の中に有り、ツアーリ帝政のもとで苦しんでいた。
***https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B34%E4%B8%96***
***https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AF%E5%A4%A7%E5%85%AC%E5%9B%BD
その後、第一次大戦が起こり、その過程でロシア革命が勃発しました。
第一革命ではケレンスキー内閣が成立しました。
その後、第二革命が起こりソビエト権力が樹立しました。第二革命ではレーニンのボリシェビキが権力を掌握しました。内部ではメンシェビキとボリシェビキの権力争いが続いていたようです。
ロシア革命で解放されたのは、
何故ロシア革命が勃発したのか?
cf.https://diamond.jp/articles/-/319506
その後ペレストロイカというソビエトにおける重大な民主的改革運動が起こり、ゴルバチョフがその中心となりました。
ソビエト連邦は解体されましたが、ロシア、ウクライナなどは「新たにロシア共和国連邦」として新たに結成されました。
ーーー1991年の独立後、ウクライナでは親ロシア派と親EU派が交互に政権交代してきました。2004年には「オレンジ革命」という民主革命で親EU派の大統領が誕生し、それに対しロシアはウクライナ向けの天然ガス供給を止めるなどして圧力をかけました。
はたせるかな、2014年のユーロマイダン革命と呼ばれる政変でヤヌコビッチが政権を追われ、ウクライナは一気にEU寄りに傾きました。ーーー米国の多額の資金援助と国務次官ヌーランド及びCIAの介入があったーーーそこで危機感を持ったロシアが介入し、強引にクリミアを併合したため、ウクライナとの関係は後戻りできないほどに傷ついてしまった。このときを境に、NATO加盟に前向きな国民も年々少しずつ増えてきました。
EUの経済的魅力がもともとあったにしても、まさにロシアの行動やあり方を見て、ウクライナ人は最終的にEU寄りになっていったといえます。
大統領選でも、それまではロシア寄りとEU寄りの一騎打ちになる傾向が強かったのですが、
ユーロマイダン革命のあった2014年以降の選挙では、親EUであることは大前提になりました。
その意味では、2019年の大統領選は初めて国内問題がもっぱら争点になった選挙といえ、ウクライナ国内の汚職克服などへの期待から現大統領のゼレンスキーが当選しました。