通称西本願寺。山号龍谷山、寺号本願寺、浄土真宗本願寺派本山。創建1272年。世界文化遺産。
国宝、重要文化財が数多あるこの寺の南能舞台で、今日(10/24)、『羽衣 彩色之伝』が上演(シテ:片山清司)された。毎年行なわれる京都文化祭典(2009.9.13~10.31)の一環である。特別公開のとき以外は、事前予約の必要な書院。重文能舞台での能だけでなく、書院をぜひ見たいと思い、チケットを手に入れた。
開演一時間前に到着すると、入場門が指定されており、北小路通に入る。この通りには、唐門、大玄関門、台所門が、さほど距離をおかずに並んでいる。書院入り口の列に並ぶため、台所門から入った。すると前にまた門が。写真左は書院の門。この塀の続きに、書院玄関(写真右)がある。
この向かいには、先ほど通り過ぎた唐門。これは国宝で、中国の故事を題材にした色彩豊かな彫刻で埋め尽くされている。
唐獅子、龍、虎、孔雀の姿も、四脚門形式の、この控え柱にある彫刻も、この色づかいも、全く中国的だ。門の地の色が黒というところが、日本である。中国なら赤を使うのではないか。
さて、観能の場所、書院は、対面所と白書院から成る。対面所は、203畳敷きの大広間で格天井。広い上段の床には障壁画や襖絵も。続いて雀の間、雁の間、菊の間と、襖絵の図柄を冠した部屋が続く。こちらも格天井。廊下にも花が描かれた格天井が・・・と思っていたら、狭屋(さや)の間という名前がついていた。南は広縁があって能舞台に面しているが、西・北・東は狭屋の間が囲んでいる。一間ほどの幅の細長いこの部分が、部屋。北狭屋の間を挟んで白書院と北能舞台がある。白書院は三の間、二の間、一の間(紫明の間と分かれている。南側の雀、雁、菊の間も格天井で、扇などの絵が入っていたが、白書院の格天井は、もっとずっと高く、立派な欄間があり、襖絵も格調高い。
この書院の建物は国宝、北能舞台も国宝。今日『羽衣』が上演される南能舞台は、重要文化財である。国宝の建物に座って、重要文化財の舞台で上演される能を観る。なんと贅沢な。南も北も、鏡板に老松は描かれておらず、経年変化で色落ちして見えないだけなのか、最初から描かれていなかったのか・・・と思っていたら、「老松が描かれるようになったのは18世紀後半辺りかららしい(『名作能50(世界文化社)』」との一文を見つけた。また、南舞台を見て奥行き広く感じたが、それも、その日もらったパンフレットに「現存する能舞台としては日本最大のものとして、重要文化財に指定され」たとあった。国宝の北は日本最古とのこと。北は、ゆるいアーチ型の橋掛かりがきれいだった。
書院を二回りしてから、席に着く。「小書き」に「彩色之伝」とある特殊な演出について、解説があった。羽衣をかけるのは、松の立ち木の作り物でなく、橋掛かりの一の松前の欄干。冠に付けるのは、日月でなく蓮の蕾。笛は普通より高い調子・・・などなど。能には、こういう解説が必要だと思う。シテの片山清司さん、中学校での出張能楽教室でお見かけしたことがある。『舎利』、あれは派手で面白かったが、今日のは舞が主となっていて、少し地味。地謡の部分も少ないように感じた。舞台周りには5本のマイク。能楽堂でなく、このような殆ど戸外での上演はマイクが必要なのだろうか。なくても、きっと通る声だろう。私は早目に行ったので、広縁で、前から4番目という好位置で見ることができた。能楽堂なら段差があって後ろでも見やすいが、ここは座敷に座布団敷き。後ろに座ったら、見えなかっただろうと思う。それにしても、本来の能舞台というのは、客席からこんなに離れているのだ。ここのところ通っている能楽堂では前から二番目で観ているので、ずいぶん違う。
さて、能が終わり、御影堂へ。ちょうど、菊花展の最中だった。
左が御影堂、右が阿弥陀堂。
ちらっと見えている木は、市天然記念物、樹齢約400年の大銀杏(写真下・左)。阿弥陀堂門(写真下・右)には、菊の彫刻があった。門柱の足元には、火事よけの龍。青海波で、さらに水を呼んでいる。
御影堂は、1636年建立で、親鸞聖人木像を中央に、歴代門主の御影が左右にあるという。薄暗くてよく見えなかったが、向かって左には「南無不可思議光如来」と書かれた掛け軸。右側も多分、同じような文字だった。
本堂である阿弥陀堂は1760年再建。御影堂よりも少し小さい建物である。現在は二つが渡り廊下でつながっている。本尊の阿弥陀如来木像を中央に、左右にインド・中国・日本の念仏の祖師七師、聖徳太子影像があるらしい。時刻は夕方4時。鐘が鳴り、読経があり、と言う間にお坊様が、本尊以外の折り戸を次々閉めていったので、確認できなかった。開いていても、薄暗くてよく見えなかったかもしれないが。
最後に、西本願寺の紋について。よく言われるのは、明治31年、22代鏡如上人と結婚した九條籌子が、実家から持ってきた「下がり藤紋」だ。確かにそうだが、調べてみると、事情はかなり複雑である。
西本願寺では、新年と盂蘭盆会に2代~23代の御影を飾るそうだ。その肖像画に描かれた法衣の紋から、また『本願寺史』から、およそのことがわかる。
肖像画では、2代~8代は牡丹唐草、9代は鶴丸、10代は四つ藤(八藤)、11代~20代は五七桐の法衣をまとっているらしい。宗祖と2代以外は、京都の八卿の猶子という。3代~9代は藤原氏(大半は日野家)の猶子となり、10代は九條前関白尚経の猶子であった。13代は、1628年、大谷家家紋を鶴丸から四つ藤(八藤)に変更したとのこと。
最初は牡丹唐草、そして日野家の鶴丸紋、九條家の藤紋、11代が門跡となって五七桐を許されて以来の桐紋。これらが西本願寺が使用してきた紋である。
現在、屋根の飾り金具などには下がり藤が目立つ。ただ、一番新しい建物、龍虎殿の飾り瓦は、三つ巴だった。
そういえば、書院内部の木彫りの飾りに、大きな五七桐が見られた。この紋は、記念五条袈裟の紋として、今も使用しているらしい。平成4年の顕如宗主400回忌で使用されたというから、2011年の親鸞聖人750回大遠忌でも、使われるかもしれない。(紋について:『輪番独語』2008年5月参照http://blog.engi-project.net/rinban/archives/cat8/2008/05/)
おまけ。入場で列に並んでいる時に「当日券ないといわれたんですけどなんとかなりませんか」と、後ろで尋ねるのが聞こえた。しばらくすると、担当の人が団体用の葉書を持って来て「これでどうぞ」なんて言っている。私がこの催しを知ったときには既に前売りは終了していて、チケットショップで当日券の1、2倍の値段で買ったのだった。他にもそういう人はいただろうし、チケットが手に入らず諦めた人が何人もいただろう。ゴリ押ししたのがどういう人なのか知らないが、特別に、というのは解せない。
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