負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

ありのままにみる

2012-09-11 21:30:05 | 原発震災避難者


遠足



一休和尚の逸話( いつわ:エピソード ) を一つ。


あるとき 一休さんが家の前に鉢植えを一つ 出しておきました。

それには 松の木が一本 植わっていました。

その木は 曲りくねっていました。

ところが 一休さんはその植木鉢の横に

「 この松の木をまっすぐにみた人には 褒美(ほうび)をあげます 」

という 小さな立札をさげました。


家の前の通りには 人がきができました。

みな 一生懸命 松の木をまっすぐにみようとしました。

ある人は上から見おろし 別の人は後ろにまわってみました。

また ある人は 少し離れたところから 手をかざしてみました。

しかし だれの目にも ・・・ 松の木は まっすぐにはみえませんでした。

そのあとも なん人かの通行人が立ちどまって

腕ぐみをして 松の木をみつづけましたが ・・・ ダメでした。


夕方近くになってから ひとりの旅人がやってきました。

松の木をみるなり 「 この木は ほんとうによく曲がっているなあ 」

と 感心して いいました。

それをきいた一休さんは、家の中から、とび出してきて

その男の人に ・・・ 褒美を どっさりあげた ・・・ とさ。



一休和尚は とうとう その目がゆがんでいない人間(ひと)に会えたのですね。


めでたし、めでたし ・・・



それにつけても 放射能で汚染されたわがふるさと ・・・ にありそうな話ですな~。







ほんもの ・ にせもの

2012-09-11 19:00:08 | 原発震災避難者


遠足



ほんもの にせもの ・・・ という言葉がある。

人間の場合でも 骨董の鑑定のときでもよく使われるが

どこで ・・・ 真贋のほどを決定するのか。


ほんものは ・・・ いつも隠れた美しさをそなえていて

誰かの愛情によって発見されるまで ・・・ 待っている。

この「 待つ時間 」の 静かで自然であることが ・・・ ほんものの証拠。
 

これに反して にせものは ・・・

美しさをおもてにあらわそうとして ・・・ つねに焦っている。

だから どんなに巧みに「 待つ時間 」 を虚構しても

そこには 必ず媚態があらわれる。


人間は ・・・ これに弱い。







何々教の屁理屈 ・・・ ゴマカシのウソ安心

2012-09-11 16:33:14 | 原発震災避難者


遠足



理屈はどうつけようと

要するに 強い者勝ちなのだなあ ・・・ と思います。

そんな理屈なんか どうつけてみたところで

強い者の都合のいいように行動されるだけなのです。

・・・ そう考えると つまらなくなります。


強い者勝ち ・・・ それでいいような気もしません。

しかし 事実は そうなっています。

・・・ なんとも 味気ない事実です。


だけど その理屈を超えた世界が真実の世界だ

と知ったら ・・・ どうなるでしょう。


そうなのです。

その世界に生きるより 本当の安らぎはありません。

それをカラダで承知するより他 ・・・ 人が救われる道はありません。


何々教の屁理屈を納得したって

そんなのは ゴマカシのウソ安心です。

本当の安心は ・・・ そんなところにはありません。







まず < 古 > をよく知り ・・・

2012-09-11 13:05:29 | 原発震災避難者


遠足



当今の世の中 万般の諸問題において

< 温故 > を怠って < 新 > だけを求める ・・・

そういう あさましい風潮があります。


「 古いこと = まちがい。

ゆえに 古きを否定することが

進歩的で 新しい生き方 」

そのような 「 馬鹿みたい 」 な

オッチョコチョイで 単細胞的な考え方 ・・・ が横行しています。


その根元の責は

一部の しかし 強大なマスコミにあるのでしょうが

< 温故 > を怠るから ・・・ 永遠の価値がわからない。


だから 思想が すべて” 根無し草 ”となり

考え方、生き方が 混迷、混乱をきわめることになるのです。
 

はやい話 ・・・ < 温故知新 > がすでに

二千五百年も昔の言葉なのです。

しかも こんにちなお ピチピチ活きているのです。

すなわち 永遠の価値をもっているのです。



こんな言葉を引き出すことが

すでに 一つの ・・・ < 温故 > なのです。







捨て身で生きる

2012-09-11 09:37:39 | 原発震災避難者


遠足



捨て身ほど ・・・ よい生き方はありません。

すべてのよいことは ・・・ その中にあります。


だが 捨て身とは

血相変えて 立ち向かうことではありません。

相手に ただ真向かいになることです。


決心も 覚悟もいりません。


親は子に  子は親に

先生は生徒に  生徒は先生に 


花に  雲に  山に

そして

勉強に  仕事に  遊びに

・・・ すべての出会う事物に

心を真正面に向けて 全開することです。


対象の正邪  好悪  大小を論ぜず ・・・

それができれば

もう 何もいうところはないのですが ・・・ 。