負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

ガンバルは ・・・ みにくい

2014-06-17 22:29:28 | 原発震災避難者


回顧



私は

「 ガンバル 」 「 頑張る 」 という言葉がきらいです。


「 頑張る 」 という行為には

必ずどこかに ・・・ 無理があります。


頑張って手に入れたものは

本当に手に入れたものではありません。

いつかは 失われていくか 無価値になっていくものなのです。


価値のあるものとは ・・・ 自然が与えてくれるものです。


そして 人間が 何の努力もしなくても

自然は 与えるべきものはきちんと与えてくれるのです。


その人が

何かを手に入れるために 一生懸命頑張っている姿は

決して ・・・ 美しくも何ともありません。


その人が 頑張っていると思えば思うほど

他人から見れば

本当は何も頑張っていないとういう本質が見えて ・・・

かえって ・・・ 滑稽きわまりないものです。


ありのままの姿が

最も個性的で 一番美しく ユニークに見えます。







心の支え ・・・ 拠りどころ

2014-06-17 19:27:51 | 原発震災避難者


回顧



大人であれ 子どもであれ

人が自立心の強い状態にあるためには

心の支え 拠りどころ ・・・ が必要です。


大切なことは

何を自らの心の拠りどころにするかですね。


強くなるためには ・・・ 孤独も必要です。

孤独に耐えて ・・・ 人は強くなれるのではないでしょうか。


しかし 孤独な子には 心の支えが必要です。

その子の心の底に

すくなくとも 一人の優しい ( 優しかった ) 人の思い出が

・・・ 絶対に必要です。







希 ( ねが ) う心 ・・・ ひたむき ②

2014-06-17 16:30:46 | 原発震災避難者


回顧



救われたいと希う心

健康になりたいというひたむきな希いが存在していること自体が ・・・

有り難い ・・・ お陰なのです。


すなわち 病気が長引くと ・・・

当初の一生懸命な 治りたい丈夫になりたい

という ・・・ うぶな心はなくなり

いささかうんざりして

自分の体のことながら ・・・ 努力することに飽きがきます。


そんなときには

健康になりたいとひたむきに希う人の心が尊く思えます。

まして 無心に病気とたたかう幼子を見ると

いじらしくも ・・・ 尊く思えます。







希 ( ねが ) う心 ・・・ 健康 ①

2014-06-17 15:30:07 | 原発震災避難者


回顧




私たちは やはり

自分自身で救われたいと願わなければ

・・・ 本当に救われることはできません。


自分自身でほんとうに

健康になりたいと願わなければ

・・・ 健康になることはむずかしい。


どうでもいいという投げやりな気持ちでいては ・・・ 救われません。

ひたむきに希 ( ねが ) う心があるかどうか ・・・ 。


もし そのひたむきな心があれば

もう ・・・ 目的を半ば達したようなものです。









バカバカしい話 ・・・ その極み

2014-06-17 12:30:01 | 原発震災避難者


回顧




・・・ ある政党や派閥の議員などは

上から命令されると 何の疑問も持たず

すぐ 「 上の人の言うことには ・・・ 」

といって賛成してしまうと言う話を聞いたことがありましたが ・・・


自分の考えも主張もない骨なし議員が

のうのうと税金をムダ使いしているのですから

日本の政治は貧困 ・・・ といわれてもいたしかたありませんね。









煩悩 ・・・ 濁

2014-06-17 09:16:14 | 原発震災避難者


回顧



煩悩 ( ぼんのう ) というのは

人間に

根源的エネルギーになっている欲望が

ルールなく勝手に乱行することで ・・・

時代が進み 豊かになればなるほど ・・・ 貪欲が増大


過剰な欲望 ( 貪欲 ) の拡大を

人は ・・・ 進歩とか 発展とかいっているわけです。


豊かさというものが

もし 金とか 物だとするならば ・・・

人は 大いなる錯覚にムダな努力をしているといえます。


物は ただ豊かさの条件にすぎません。


豊かさの主体は 人間の心の世界です。

人間をどう考えて生きるかの世界だと思います。


人間の発展ということが

賽の河原の石積みに終わらないでほしいと思います。


・・・ このようなことは 誰でもわかっていることなのですが

いずれ崩れ去る金や富を求めて

あらん限りの貪欲を駆使し

やがて 疲れ切って死んでしまうのが

人間の業のかもしれません。


人間が 人間を客観的に見ることのできないことだと思いますね。