負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

厄年か 役年か ?

2014-12-19 17:20:58 | 原発震災避難者


大遠足



厄年( やくどし )という言葉があります。


昔ふうの数え年で

男なら ・・・ 25とか 42

女なら ・・・ 19とか 33 とか

こういった年には ・・・ きっと悪いことがあるといいます。


こういうふうに考えるのなら

これは 迷信でしかありえないでしょう。

それも 心を暗くさせることにしか役立たぬ ・・・ 迷信です。


ヤクドシとは 本当は「 役 年」と書くのだそうです。

これからの人生上の新しい役があたえられる ・・・

そういう年のことであるというのです。


男の25は これから結婚を考えようという年頃。

まさしく役年です。

42は 社会的に責任ある 指導的な役につこうという年頃。

だから こういう年になったら

・・ よろこび 勇まなくてはならないのです。


この説が学問的に正しいかどうかは ・・・ 問う必要がありません。

「 考えかたの技術」として ・・・ ただ そう思えばよいのです。

同音異義語のすこぶる多い

その点では世界に類があるまい日本語の特性を

・・・ こんなふうに活用するのです。


このように考えていれば

いわゆるヤク年において 病気や大失敗に見舞われても

「 ハハァ これから役につこうという自分を成長させるための

天の試練であるのだナ 」

というふうに ・・・ 肯定的に受けとることができますね。


「 厄年 」という考えでいれば
 
「 アア やっぱり 」と しょげかえるだけです。


コトバの使い方ひとつで 同一の運命の受けとりかたが

明暗まったく逆になってしまうのです。


「 厄年じゃない 役年だ 」と

・・・ 開き直っていただきたいものです。








シンパイ : 心くばり

2014-12-19 14:17:28 | 原発震災避難者


大遠足



心配性 ・・・ といってよいような人がいます。

なにごとにつけ シンパイということを ・・・ じつによくあそばされる。

ひどいのになると

心配することが仕事みたいになっている人さえいます。


人間 この世に生きる以上 ・・・ 心配は避けられない心理ですが

さりとて それもていど問題です。

度がすぎると 実りがないだけでなくて

自分をも 周囲の人をも ・・・ 暗くすることにしか役に立ちません。


心配とは おおむね

心のなかでの主観的なグルグル廻りにすぎないものです。

思いのカラまわり ・・・ 本質的にそういうものがあるのです。


「 心配は 」という字は

音( オン )で読めば ・・・ シンパイですが

訓( クン )で読むと ・・・ 「 心くばり 」となります。


心くばりなら ・・・ 大いにやるべきです。


心配という心のクセのついている人は

心配の気持にとりつかれたらすぐに

「 あ シンパイはいけない。心くばりだ 心くばりだ ・・・ 」

と ・・・ 呪文のように唱えることにしたらどうでしょう ?

コトバによる ・・・ 心の切りかえです。


心配をよくする人は神経質な人です。

この神経質な人に共通する長所は ・・・ 「 細かいことに気がつく 」ことです。

だから こういう人たちがシンパイを ・・・ 心くばりに切りかえたら

大変な創造力が発揮されるはずですね。







マスコミから遠ざかれ

2014-12-19 11:16:23 | 原発震災避難者


大遠足



現代人をイライラのセッカチにさせることに

マスコミが大いに役立っていると思われます。


マスコミにおいてニュースとは たんなるニュースではなくて商品です。

売ろうとする心から 針小棒大の誇張を常習とし

いわゆるセンセーショナリズムでもって 必要以上にさわぎたてます。

おまけに マスコミ的世論を押しつけてきます。


こういうものにとり囲まれていると

神経はピクピク トゲトゲしてくるし

自分自身の主体的な思想というものが失われてきます。

マスコミの壁のなかに閉じ込められて 自己を失うことになるのです。


一日でもよい 三日でもよい 一週間ならいうことなし ・・・

この マスコミ( 新聞 テレビ 週刊誌など )から

・・・ 遠ざかってみるといい。

禁酒 ・ 禁煙ならぬ ・・・ 「 禁マスコミ 」です。


マスコミの暴力に対して

「 ごめんこうむる 」とばかり ・・・ 開き直ってみるのです。


禁煙のときと同じで はじめはイライラして落ちつかないでしょう。

いわゆる禁断症状であって マスコミに中毒していることの証明です。


だが 一両日しんぼうすると おおらかな世界が開けてくるでしょう。

自分というものが ドッシリしてくる 腹がすわってくる

失われた自己の重心がよみがえってくる

・・・ そんな感じがするでしょう。


オーバーにいえば 原始人にも似たイノチのたくましさが

身の内からわきでてくるのを覚えるのです。


三日や四日 マスコミに触れなくたって

世のなかから遅れる心配はありません。


いちど ・・・ 試みてみたらいかがですか ?







不平の多い人ほど ・・・ 弱い

2014-12-19 10:31:55 | 原発震災避難者


大遠足



「 感謝 」などというと

古くさい道徳を持ち出すように思われるかもしれませんね。

しかし
 
これが古くさく見えるというなら

そのように見させる世のなかこそ

・・・ まちがっているのではないでしょうか。



人間の「 強さ・弱さ 」についていろいろと観察し 考えてみた結果

「 不平の多い人ほど弱い 」 ( 弱い人ほど不平が多い )

・・・ と思うようになってきました。


自分の成長過程にかえりみても そうで ・・・

不平・不満が減ってきたことが ・・・ とりもなおさず

精神的に強くなってきたことにほかならないようです。


「 不平のない人 少ない人が強い人 」とは

・・・ じつに簡明で ・・・ 深遠な法則です。



不平の反対は 「 感謝 」です。


であるならば 

感謝という徳をもちだすことは 古くさいどころか


不平ゆえに ・・・ 心の弱い人が かくも多い いまの世においては

ひとつの急務とさえいうべきではないでしょうか?


自由 個人主義 権利の主張などの ・・・ はきちがえが

感謝とか 「 恩 」とかの思想を忘却させ

その結果 不平 不満のたくましく人心にはびこり

そのまた結果

精神的な拠りどころをもたぬ 心弱きものたちがふえて

ノイローゼ社会( 古い用語で申しわけなし )ともいうべき世相を

つくりだしてしまった

と考えるのが ・・・ 正しい判断なのかもしれません。


周辺にいる精神的にたくましい人たちを よく見てください。

かならず かれらは

 不平をもつことが少ない人たちであるはずです。

( ではありませんか ? )


もしあなたが 自分をいちじるしく弱いと自覚されるなら

あなたは まちがいなく

他人一般よりも ・・・ 不平が多いで人であるはずです。

( でしょう ? )


不平の少ない人が

強い人 幸福な人 人生をおもしろく生きることができる人。

不平の多い人は

・・・ その逆です。



たしかに たしかに ・・・ その通りであるにちがいありません。







アリガトウ ・・・ を連発せよ

2014-12-19 07:31:47 | 原発震災避難者


大遠足



私の亡父が 晩年に 「 ありがたい ありがたい 」と

・・・ ときどきつぶやいていました。

かなり大きな声で そばに家人がいても これを口にするのです。

一種の口癖のようにさえなっていたようです。


とくに何がありがたいというのではなく 生活全般にかんして

なんとなく ・・・ ありがたい気持がするのでしょう。

あるいは 「 ありがたいと思え 」と

・・・ 自分にいいきかせる気持であったかもしれません。

もしそうなら 唱えたことによって

ありがたい気持になれたであろうことはまちがいありません。


亡父の この口癖をはじめてまねしたとき

「 ありがたい 」では どうも足りない気がしたので

ていねいに 「 アリガトウゴザイマス 」といってみたら

そのほうが ・・・ 心にぴったりくるように思われました。


それで ときたま思いついたように

こちらの方を ・・・ 口にすることにしています。



不平や不満 怒ることが多い人は

ときどきこれを ・・・ お題目のように唱えてみられたら如何ですか。

感謝の対象を とくに想定する必要はありません。

ただ 「 アリガトウ・・ ・」といいさえすればよいのです。

そういう気持になれなくても ウソでもいいから 演技でもいいから

・・・ 口にしてみるのです。


これをときどきやっているうちに 心が だんだんほんとうに

・・・ 感謝の気持に満たされるようになってゆくでしょう。

言霊の創造力によって ・・・ そうなってゆくのです。


怒りがこみあげてきたとき はげしい不満にとりつかれたときなど

これを思いだして 口にしてみれば ・・・

それら悪しき感情を 鎮静する役を果たしてくれるかもしれません。


なにか感謝の対象を想定したほうがいいやすいというなら

自分自身をその対象にされたらどうですか ?

「 ありがたい自分 」と思って ・・・ これに礼をいうのです。



万物同根なのだから やがてその心は

あらゆる他人 他物へと拡大されてゆくでしょう ・・・


究極的には ・・・ 神への感謝というものになってしまうはずですね。







「 コレデイイノダ 」 ・・・ あるがままで

2014-12-19 04:30:09 | 原発震災避難者


大遠足



「 コレデハイケナイ 」 と心であせる癖のある人は

それと反対の

「 コレデイイノダ 」 という言葉を ・・・ ときどき声に出してみられるとよい。

・・・ 何度もくりかえし 呪文のように唱えてみるのです。


自分自身をふくむ すべての現実を

「 いま あるがままでよいのだ 」 とする ・・・ 大肯定の精神です。



「 コレデハイケナイ 」は ・・・ 現実を否定する想念です。

否定する精神は 何ものも創造しません。 

だから

「 コレデイイノダ 」 とする肯定の精神から出発しなさい 

・・・ というのです。



この言葉をくり返し唱えたあと

ヘソの下あたりに

なんとなく ・・・ 気が満ちてくるような感じがしませんか ?