大遠足
厄年( やくどし )という言葉があります。
昔ふうの数え年で
男なら ・・・ 25とか 42
女なら ・・・ 19とか 33 とか
こういった年には ・・・ きっと悪いことがあるといいます。
こういうふうに考えるのなら
これは 迷信でしかありえないでしょう。
それも 心を暗くさせることにしか役立たぬ ・・・ 迷信です。
ヤクドシとは 本当は「 役 年」と書くのだそうです。
これからの人生上の新しい役があたえられる ・・・
そういう年のことであるというのです。
男の25は これから結婚を考えようという年頃。
まさしく役年です。
42は 社会的に責任ある 指導的な役につこうという年頃。
だから こういう年になったら
・・ よろこび 勇まなくてはならないのです。
この説が学問的に正しいかどうかは ・・・ 問う必要がありません。
「 考えかたの技術」として ・・・ ただ そう思えばよいのです。
同音異義語のすこぶる多い
その点では世界に類があるまい日本語の特性を
・・・ こんなふうに活用するのです。
このように考えていれば
いわゆるヤク年において 病気や大失敗に見舞われても
「 ハハァ これから役につこうという自分を成長させるための
天の試練であるのだナ 」
というふうに ・・・ 肯定的に受けとることができますね。
「 厄年 」という考えでいれば
「 アア やっぱり 」と しょげかえるだけです。
コトバの使い方ひとつで 同一の運命の受けとりかたが
明暗まったく逆になってしまうのです。
「 厄年じゃない 役年だ 」と
・・・ 開き直っていただきたいものです。