負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

徳を積む ・・・ 値うち

2014-12-21 18:31:37 | 原発震災避難者


大遠足



積(つ)めよつめ財をつむより徳をつめ

まことの徳は崩るることなし


「 徳を積む 」などは 当節はやらない言葉のようです。

ましてや 「 陰徳をつむ 」に至っては。


こういう教えは 多くの人の眼に

古くさい道徳というふうに映るらしい。

だが そう見えることこそが

いまの日本の憂うべき世相なのでしょう。



値うちをば身につけんとは努めずに

金のみあさる人の多さよ


いつの時代につくられた歌かわかりませんが

いまの世をズバリお叱りあそばしているようで

・・・ なかなか 耳の痛いことです。


「 値うち 」とは 人間的 人格的値うちということで

つまり 徳の高さ 精神的深さなどを指します。

拝金主義 物質主義の世相に流されて

人としての内面的な充実や向上を ・・・ なおざりにしてしまいます。


そういう人が非常に多いことを この歌は指摘し ・・・ 嘆いています。


「 財をつむ 」こと自体がわるいというのではありません。

力量があって自然にそうなるのなら 大いにけっこうなことです。

ただ 財をつむこと自体が目的になってしまうと

本末の転倒 ・・・ 人の道からそれることになります。


そういう姿勢で生きると 一時的な成功はありえても

・・・ 長くは身につかないものですね。







長寿の条件 ・・・ 一生一事一貫

2014-12-21 15:30:49 | 原発震災避難者


大遠足



とくべつの長寿者は例外なく

すくなくとも つぎの三条件を満たしているようです。


1.飲食物の節制。

2.はたらくことが好き。

3.心が平和 クヨクヨ イライラしない。


1.と3.は 常識的にわかることですが

2.は あまり注目されない要件のようです。

だが 長生きの根本の秘訣は 案外 ・・・

このへんのところにあるのかもしれませんね。



長生きはただ働くのほかになし

流るる水のくさらぬを見よ



長寿者に共通することは

自分の生涯が それにつながる仕事

いわゆる ライフワークをもっていたこと。

かつ 楽しみつつ これに取りくんできたということです。


そこまで注目して はじめて

「 流るる水のくさらぬ 」という表現の味が

よく理解できるというものでしょうね。


流れることは 水の本性です。

働くことは 人の本能です。


水は 一つの水路を絶えず流れます。

人においては 「 一生一事一貫 」というのが

・・・ 至福の人生であるらしいです。


・・・ いま そんなことを考えてみました。







凍らない人生 ・・・ 2.金銭

2014-12-21 12:23:24 | 原発震災避難者


大遠足



渋沢栄一翁は その子たちに

いつもこう教えたといいます ・・・


「 金は働きのカスだ。

機械が運転しているとカスがたまるように

人もよく働いていれば カスがたまるものだ 」


人は 要するに生きてゆければよいわけで

むやみに金銭をためる必要はないのですが

水車の回転のように働いているうちに ・・・ 自然にたまるなら

これまた ・・・ 大いにけっこうなことです。


翁の教えのポイントは

金銭は ・・・ 目的ではなくて 結果に過ぎないということです。


それが ・・・ 自然に「 凍らない人生 」を生み出すのですね。







凍らない人生 ・・・ 1.水車

2014-12-21 09:22:02 | 原発震災避難者


大遠足



精出せば凍る間もなき水車


水車は 間断なく回転することによって

氷にとじこめられる心配がないのだそうです。

すこしでも回転を止めると 厳寒のときには凍ってしまいます。

この水車になぞらえて 人の道を教えた句です。


人もまた たえず働き あるいは 努力することによって

・・・ 凍ることがなくてすみます。

休止すると ・・・ 凍る可能性がでてきます。

要は それさえ果たすなら 人生いかなる心配もありません。



凍るとは人の場合 経済的に窮することでもあれば

精神的にゆきづまることをも意味しています。


どちらにせよ

凍りつかないで 流れつづける人生こそが

シアワセのそれである ・・・ ということですね。







生きてゆくよりシャーナイ

2014-12-21 06:17:58 | 原発震災避難者


大遠足



自分まで こんな不思議な人間に

生まれてこようとは ・・・ 当てにせなんだ



人類とは 人に生まれたという運命を共有する運命共同体である

・・・ と言えます。


どういう因縁によってか 自分もまた ・・・ その一員である。

このへんのところに思考の原点をおいて

ときには深く自己存在について思いをいたせ

歌は ・・・ それを求めているのでしょうか。


「 自分まで 」の「 まで 」に ・・・ デリケートな味わいを感じます。



「 当てにせなんだ 」けれど 生まれたものはしかたがない。

・・・ 生きてゆくよりシャーナイ。


どうせ生きるなら

シブシブでなく よろこんで生きたほうが得

・・・ ということになりますね。