負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

二度と死なぬぞ

2014-12-20 23:00:22 | 原発震災避難者


大遠足



白隠禅師の歌に

若い衆(しゅ)や死ぬがいやなら今死にゃれ

いちど死んだら二度と死なぬぞ


「 死にたい 」も「 死にたくない 」も

五尺のこの身を自分のものと思う

その ・・・ 我執から生じます。


その我執を ・・・ いま放ってしまえ( 今死にゃれ )という。

小我を殺せ ・・・ というわけです。


いちどそれをやってしまえば ・・・ 死は超越できます。


超越できたら ・・・ 生も 死もありません。

生もよし 死もまたよし ・・・ ということになります。


「 二度と死なぬぞ 」は ・・・ そういう意味でしょうね。







オロシガネ ・・・ 修業

2014-12-20 21:36:25 | 原発震災避難者


大遠足



むかし ある画家の言葉です。


「 仕事はすべて オロシガネなんですよ。

自分の仕事に ・・・ こすりつけ こすりつけして

最後に何が残るのか それとも 何も残らないのか。

それを確かめたいんですね 」


「 私の本職は 画でも彫刻でもないんです。

これらはみな 修業の手段にすぎないのです 」


自分という大根を 仕事というオロシガネにこすりつける。

それが ・・・ 「 生きる 」ということだと。

おもしろい !


気を入れて強くこすらなければ 大根オロシという作品は生まれません。

人生 どこへいっても ・・・ オロシガネです。


どうせそうなら いま眼の前にあるヤツに

全身全霊をぶっつけて ・・・ こすりまくることですね。

その修業によって

人として成長できてゆくということなのでしょう。


この画家のいうように ・・・ 仕事とは だれにおいても どんな仕事でも

「 修業の手段にすぎない 」のかもしれません。


ならば 困難な仕事 ニガ手の仕事こそが

修業を ・・・ 豊かにさせてくれはずですね。










出して入れる ・・・ 健康法の基本

2014-12-20 19:34:22 | 原発震災避難者


大遠足



生きものはすべて

「 体のなかへ入れる 」

「 体から外へ出す 」をくりかえしながら生きています。

飲食と排泄は ・・・ その一例です。


健康法というと とかく

「 入れる 」ことばかりに 心を傾ける傾向がありますね。


栄養の高いもの 精のつくものを食べる とか クスリを飲むとか。

そして 「 出す 」ほうには ・・・ 心が向きません。


これは 片手落ちというものです。


「 出す 」ほうこそが むしろ ・・・ 重要なのです。

少なくとも ・・・ 出すほうが先です。


「 入れて出す 」ではなくて 「 出して入れる 」が正しいのです。


そして 「 出すべきものは ・・・ 出しきる 」ことが

健康の基本 ・・・ その出発点となります。

出すべきものを出しきれば

入るべきものは ・・・ 自然に入ってくるのです。

「 快便 」があれば 「 快食 」が それにともなうように。


「 出す 」と「 入れる 」が 正常に ル循環すれば

生命力は充実し 精神的にもたくましくなります。


気が弱い人 ノイローゼ傾向の人は

「 出す 」にも 「 入れる 」にも ・・・ 異常や欠損があるはずですね。


「 出す 」ことがじゅうぶんでないと

体が ・・・ 汚物 毒物をかかえて重くなります。

すると 心もまた 汚れて重くなります。

・・・ 心身ともスッキリしないのです。