《国国宮めぐり 美作・播磨へ!!》
なぜ国国宮めぐりなのか・・・今も当たり前に使われている旧国名・・・尾張名古屋、飛騨高山、越前海岸、三河弁、近江米・・・でも、案外そのルーツは知らないことが多いようです。
令制国(りょうせいこく)とは、律令制に基づいて設置された日本の地方行政区分である。律令国(りつりょうこく)ともいう。奈良時代から明治初期まで、日本の地理的区分の基本単位であった・・・令制国の行政機関を国衙(こくが)または国庁(こくちょう)といい、国衙の所在地や国衙を中心とする都市域を国府(こくふ)といった。国府は府中と呼ばれることもあった・・・とあるサイトより
奈良時代の旧国名は65ほどあったらしい。淡路島、佐渡島、隠岐島、壱岐島、対馬なども独立した国であったようです。
そんな場所に立て、1300年前を偲んでみるのも旅の面白さかと思い、暇を見ては国府、国分寺(尼寺)、一宮を訪ねています。2月現在、一宮でカウントしたところ、49の国を訪れることができたようです。
国分寺・・・国分寺(こくぶんじ)、国分尼寺(こくぶんにじ)は、741年(天平13年)、聖武天皇が国情不安を鎮撫するため、各国に建立を命じた寺院。壱岐や対馬には「島分寺」(とうぶんじ)が建てられた。正式名称は、国分寺(総国分寺は東大寺)が金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)、国分尼寺(総国分尼寺は法華寺)が法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)である・・・とあるサイトより
一宮・・・一宮(いちのみや)とは、ある地域の中で最も社格の高いとされる神社のことである。一の宮・一之宮などとも書く。通常単に「一宮」といった場合は、令制国の一宮を指すことが多い。一宮の選定基準を規定した文献資料はないとされるが、準公的な一種の社格として機能した。一宮の次に社格が高い神社を二宮、さらにその次を三宮のように呼ぶ・・・とあるサイトより
(美作国府)
美作をみまさかと読める人は少ないかもしれない。津山市内より県道68号を北上し、坂の上の高台に国衙跡の碑が建ち、現在はお寺さんになっていました。
(美作国分寺)
津山市内を東に抜け、加茂川を南に渡った高台に国分寺跡がありました。現在の国分寺は新しく、奈良時代の跡はこれから発掘がされるようで、民家や水田になっている場所は用地買収がされ、いづれは公園化されるようであった。
(美作国一宮)
国府跡を過ぎ、川沿いを上流に遡ったところに美作国一宮「中山神社」はあった。鳥居の前には樹齢〇年の木があり、歴史の古さを物語っていました。なぜか境内の木々が伐採?されていて、殺風景なのが気になりました。
(播磨国一宮)
津山インターより中国自動車道に乗り、兵庫県の山崎インターにて降りる。揖保川に沿って北上し、播磨国一宮の「伊和神社」に辿り着く。町名も一宮町・・・地元の方にも親しまれている神社のようで、社殿の前では新車のお払いをしてる最中でした。
なぜ国国宮めぐりなのか・・・今も当たり前に使われている旧国名・・・尾張名古屋、飛騨高山、越前海岸、三河弁、近江米・・・でも、案外そのルーツは知らないことが多いようです。
令制国(りょうせいこく)とは、律令制に基づいて設置された日本の地方行政区分である。律令国(りつりょうこく)ともいう。奈良時代から明治初期まで、日本の地理的区分の基本単位であった・・・令制国の行政機関を国衙(こくが)または国庁(こくちょう)といい、国衙の所在地や国衙を中心とする都市域を国府(こくふ)といった。国府は府中と呼ばれることもあった・・・とあるサイトより
奈良時代の旧国名は65ほどあったらしい。淡路島、佐渡島、隠岐島、壱岐島、対馬なども独立した国であったようです。
そんな場所に立て、1300年前を偲んでみるのも旅の面白さかと思い、暇を見ては国府、国分寺(尼寺)、一宮を訪ねています。2月現在、一宮でカウントしたところ、49の国を訪れることができたようです。
国分寺・・・国分寺(こくぶんじ)、国分尼寺(こくぶんにじ)は、741年(天平13年)、聖武天皇が国情不安を鎮撫するため、各国に建立を命じた寺院。壱岐や対馬には「島分寺」(とうぶんじ)が建てられた。正式名称は、国分寺(総国分寺は東大寺)が金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)、国分尼寺(総国分尼寺は法華寺)が法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)である・・・とあるサイトより
一宮・・・一宮(いちのみや)とは、ある地域の中で最も社格の高いとされる神社のことである。一の宮・一之宮などとも書く。通常単に「一宮」といった場合は、令制国の一宮を指すことが多い。一宮の選定基準を規定した文献資料はないとされるが、準公的な一種の社格として機能した。一宮の次に社格が高い神社を二宮、さらにその次を三宮のように呼ぶ・・・とあるサイトより
(美作国府)
美作をみまさかと読める人は少ないかもしれない。津山市内より県道68号を北上し、坂の上の高台に国衙跡の碑が建ち、現在はお寺さんになっていました。
(美作国分寺)
津山市内を東に抜け、加茂川を南に渡った高台に国分寺跡がありました。現在の国分寺は新しく、奈良時代の跡はこれから発掘がされるようで、民家や水田になっている場所は用地買収がされ、いづれは公園化されるようであった。
(美作国一宮)
国府跡を過ぎ、川沿いを上流に遡ったところに美作国一宮「中山神社」はあった。鳥居の前には樹齢〇年の木があり、歴史の古さを物語っていました。なぜか境内の木々が伐採?されていて、殺風景なのが気になりました。
(播磨国一宮)
津山インターより中国自動車道に乗り、兵庫県の山崎インターにて降りる。揖保川に沿って北上し、播磨国一宮の「伊和神社」に辿り着く。町名も一宮町・・・地元の方にも親しまれている神社のようで、社殿の前では新車のお払いをしてる最中でした。