Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

自転車、登山、テレマークスキー、カヌー・・・そんな情報が満載ですよ!!

輪旅 奈良の都・若草楽炎へ!!

2011-01-16 11:06:07 | 自転車旅
《輪旅 奈良の都・若草楽炎へ!!》
 1月、あまりの寒さに趣味のアウトドアからも遠ざかり、休日は部屋に閉じこもり・・・そんな時、テレビのニュースや新聞の記事で若草山の山焼きを見ると、行けば良かったなと例年思っていました。

 ようやく夢が実現・・・自転車やハイキングの仲間を誘い、目の前で山焼きを観ることができました。まさしく一大ページェント、野外劇場よろしく目の前で広げられる伝統行事は圧巻の一言、その迫力、荘厳さは言葉にならないほどの感動を味あわせてくれました。

 若草山焼き行事の起源には諸説ありますが、三社寺(春日大社・興福寺・東大寺)の説によれば、若草山頂にある前方後円墳(史跡:鶯塚古墳(注1))の霊魂を鎮める杣人(注2)の祭礼ともいうべきものとのことです。  このほかにも若草山を年内もしくは翌年の1月頃までに焼かなければ、翌年に何か不祥事件が起こると考えられていたことや若草山一帯をめぐる春日大社・興福寺と東大寺の領地争いがもとであるなどの説や、あるいは春の芽生えを良くするための原始的な野焼きの遺風を伝えたものであるという説もあるようです。  現在は観光行事としてはもちろん、火災予防のための役割も果たしています。約33ヘクタールの全山に火がまわり、冬の夜空に山全体が浮かびあがるさまは壮観です・・・とあるサイトより


(定番?の東大寺)
 大仏殿前の交差点に集合・・・それぞれがそれぞれの思いで参上・・・歴史散歩で国宝の神社仏閣を訪れる方。最強の一眼レフ・デジカメで山焼きを撮影しようという方。奈良市街のぐるりを自転車で散策し、1300年のいにしえを感じようという方。そんな個性派揃いの集まりとなりました。


(国宝・転害門)
 東大寺はさておいて、その鐘楼に寄ってみる。ちょっと高台の離れた場所にあるため、訪れる人は少ないよう。古い東大寺の柱(リサイクル?)が使われているようで、その太さがアンバランスで不思議な感じがした。

 二月堂から正倉院へ・・・国宝の転害門、奈良時代の東大寺は広大な敷地を誇ったという。その当時のままの門が残っていた。この前より佐保路が始まるという。


(奈良少年〇〇所)
 五却院より京道(奈良道)へ入り、奈良少年〇〇所へ。ぱっと見はお城?テーマパーク?中の現実とは違い、レンガ造りの優雅な建物でした。

 般若寺・・・京街道の奈良坂を進むと右手に・・・天平年間より続く古刹とか。秋桜の咲く寺としても有名かと。


(ドリームだったランド)
 歴史の道に沿って先へ進む。黒髪山にて、かつて大仏鉄道がトンネルで下を通っていた場所を行く。

 大仏鉄道・・・明治31年、加茂駅と奈良駅の間10㌔をつないでいた鉄道・・・わずか9年で廃止されたという。煉瓦造りの遺構が今も残っているという。

 奈良ドリームランド跡・・・1961年に開園、アメリカのディズニーランドに似た施設で、私も子供のころに行った記憶がある。その模倣?された遊園地は、本家ともめたとも!?木製のジェットコースター「ASUKA」の残骸が物悲しい。

 不退寺・・・仁明天皇の勅願を受け、在原業平が開基したとの由緒から「業平寺」とも呼ばれる。

 その後、うわなべ・こなべ古墳群・・・佐紀の天皇陵群を回り、平城宮跡へ。復元された大極殿や朱雀門を観る。


(若草山・山焼き)
 夕方、再び奈良公園に戻り、飛火野(とぶひの)の一角に陣取る。山焼きを観るスポットは幾つもあり、大池から薬師寺の塔を入れたアングルが有名だそうだ。平城宮跡も人気とか・・・大仏殿の屋根越しとか興福寺の五重塔をシルエットにしたものも多い。


(フィナーレ?)
 6時、先ずは600発の花火から・・・山の中腹からあがる花火も面白いが、その明かりが若草山を浮き上がらせるのも違う良さがあった。

 6時15分、いよいよ火が点火・・・横一列に並び、その火が徐々に上えと広がってゆく様は幻想的・・・江戸時代より続くという伝統行事に酔いしれた。今時の派手なアトラクションとは違い、古都らしい優雅なイベントに感動し、帰路に着いた。


歴史旅 京の都の御土居へ!!

2011-01-06 12:15:51 | 自転車旅
《歴史旅 京の都の御土居へ!!》

 安土桃山時代でしょうか、太閤秀吉は、京の都に聚楽第を造りました。その周りをぐるっと囲んでいたのが御土居(おどい)・・・その延長距離は23キロあまり、外敵から攻撃を防ぐ城壁でもあり、鴨川の氾濫から守る堤防でもあったそうです。土塁には門が・・・七つの口がありました。今も、丹波口や鞍馬口といった地名が残っています。この御土居の中を洛中、外を洛外という・・・意外と知られていない謂われかと。


(先ずは市内散策)
 京都駅前に集合・・・京都のクラブさんより4名、奥美濃より3名のメンバーにて京都市内散策をスタートする。なんといっても地元のクラブさん、裏の裏まで京都市内の道に精通されているので心強い。見失わないようにピッタリと付いてゆくことにする。

 平安京の朱雀大路があった跡に山陰線が走っている。その下をしばらく走る。丹波口はその名残り・・・御土居には七つの口(京の七口)があったという。

 先ずは、西ノ京へ・・・神社の鳥居の奥に当時のままの御土居が残っていました。幅は30メートル、高さは3メートルくらいか、500年?の歳月が止まったように自然の木々が茂り、小鳥のさえずりがにぎやかであった。想像以上に堅牢な土塁(堤防?)に当時の土木工事の大変さが偲ばれた。


(説明板に見入る)

 北野天満宮の西側にも御土居が・・・京都市内を綺麗な川が流れているのにも驚くが、公園(庭園)化されて憩いの広場となっていました。まさしく都会のオアシス・・・そんな感じであった。

 次に平野へ・・・唐突に芝で覆われた堤防が現れた。長さにして50メートルくらいか・・・ここだけ残ったのが不思議であった。

 柴野・・・民家の駐車場の横にポツリと・・・


(今も残る御土居)

 鷹ヶ峯公園・・・その一角に・・・自然の土手を利用し、その高低差はかなりのもの。ここを攻めようという敵は少ないかも・・・

 鷹ヶ峯の先で90度、直角に御土居は方向を変えていた。ここが北西の隅になるようだ。


(光悦寺にて)

 以前より気になっていた光悦寺へ寄ってみる。期待通り・・・いや期待以上の雰囲気があり、京都の寺院の奥の深さに感動する。

 大宮交通公園・・・今日は正月休みのため、中に入ることが出来なかった。賀茂川に出会い、川に沿って南下する。途中、ハンバーグの美味しい「長谷川」で昼食とした。

 最後は蘆山寺境内の御土居を見学。その後は、黒谷、うさぎ神社といわれる岡崎神社、白川から祇園、鴨川の河川敷を走って京都駅へと戻った。

 黒谷といえば金戒光明寺・・・幕末、会津藩士松平容保が京都守護職を命じられ、ここ黒谷に本陣を構えた。その後、新撰組の設立へもつながっていったという。余談だが、松平容保は美濃国高須藩の出身で、会津と美濃が近いという感じを受ける。

 こんな京都旅も面白い・・・またマイナーな京の都を訪ねに来たいものである。ウィンディーの皆さん、コース案内をしていただいたF原さん、同行していただいた奥美濃の方々に感謝を申し上げます。