《輪旅 近江・湖東の廃村を巡る!!》
鈴鹿には一般登山道として使われていない道が無数に存在するが、これを知っている人はほとんど居ない。情報不足を言うより自分の山登りをしないからである。地形図を完全に読む訓練さえ積めば、道があろうが無かろうが、自分の行きたい所へ必ず行けるのである・・・「鈴鹿の山と谷」西尾寿一著 第3巻より
東海よりも、近畿よりも、とても近くて秘境ムードの色濃い鈴鹿山系はとても興味深い。冒頭の文章にもある、西尾寿一氏の「鈴鹿の山と谷」には多くのロマンが記載されていて、思わず引き込まれてしまう。
この鈴鹿山系の麓には、多くの廃村跡が残っている。大昔は、木地師や樵たちが活躍したエリアでもあるが、今では、多くの集落が離村し、廃墟と化しつある。
今回、訪れたのは、武奈、妙幸、男鬼、霊仙、五僧、保月、杉の集落跡である。
それは昭和30年代、電気やプロパンガスの普及により、自然とともに生活していた山村集落が成り立たなくなり、先祖伝来の土地を離れて町へ出て行った歴史の証しでもある。
中山道関ヶ原宿よりスタートする。旧街道を、今須宿、柏原宿、醒ヶ井宿、番場宿へと忠実になぞる。国道21号を走ることなく、安心して行けるのが嬉しい。伊吹もぐさで有名な柏原宿は、かなり町並みの保存や再建が進み、見応えがあった。
番場宿の西の外れより滝谷林道に入る。行き成り、急登の坂が始まり、一気に汗を掻くこととなった。MTB、ランドナー、小径車・・・各自がまちまちの自転車で参加し、それぞれが苦労をしていたようだ。
崖下に清竜の滝が見えてくると上りも終る。この滝の上には鎌刃城という戦国時代の城跡があるという。その先からカルスト地形が広がるとあるが、植林が進んでいて、判別がつかない。
武奈町へ入る。畑の跡や、庭先にあったと思われる柿木は残っているが、家の跡は見えない。少し谷へ下った辺りにあるのだろうか。
たまたま、彦根市内から返ってきていたかつての住人の方にお会いする。昭和20年代は、山仕事や薪、炭などで生計を立てれたが、電機やプロパンガスが普及するようになると、収入が激減したという。結果、子供の教育なども考えて町へ下りたという。
妙幸・・・屋根らしきものが木々の間に見えていたが、あれが集落跡であろうか。同行の亀三郎氏は、ここに思い入れがあるようで、単独で下っていった。この辺りより鈴鹿山系最北の霊仙山(1084m)が大きく望めた。
次に訪れたのが男鬼、おおりと読む。今もかつての住人が帰ってきて、手入れをさているようであるため、荒れた感じはない。今にも玄関から人が出てきそうな雰囲気であった。
霊仙・・・ここは霊仙山の登山口でもあるらしく、車が何台も停まっていたが、ここの住人のではなさそうであった。雨戸がしっかりと閉じられ、蔵の土壁が崩れはじめているのが寂しかった。
芹川より権現谷へ入り、上流へと遡る。石灰岩質の河原は伏流となって、干上がっていた。以前、訪れたときは、土石流の災害のために谷は土砂で埋まっていた。
五僧へは、新しい林道が付いていた。舗装された林道を15分も上がれば峠に着く。かつてここに集落が・・・山間の峠の周りには耕作地になるような場所もない。峠を越える人も知れている。山仕事だけが収入であったのであろう。今も二軒の家屋が残っているが、あと数年で朽ち果て、元の自然に帰るのか。
ハサハギ林道へ入り、保月(ほうずき)を目指す。尾根を大きく回りこみ、高度を上げてゆく。やがて谷の中に集落跡が現れた。10数軒はあるのであろうか、茅葺の屋根が朽ちて落ち、その残骸を見せている。ある一軒家から老婆が出てきたのには驚いた。
町立脇ノ畑小学校跡の碑が集落の外れにあった。かつてここの運動場では、子供達が走り回っていたことであろう。お寺も、お宮さんも、今も残っている。
次に、杉の集落へ向かう。途中、石灰岩の岩の上に大杉がそびえ、祠の祀られた場所に出会う。思わず手を合わせたくなる雰囲気があった。
杉の集落も朽ち果てかけていた。ここにもかつての住人が山仕事のために帰ってきていた。多分、町の生活では、老人の出番が無いために居づらいのであろう。ここへ来れば、やることはいっぱいあるそうだ。元気な顔は生き生きとしていた。
杉坂峠・・・この一帯は、多賀大社の神木林とある。神社の造営にはここから切り出した杉の大木が使われとあった。
豪快なダウンヒルにて飛の木橋の袂に出会う。水谷、荘巌寺、中山と走り、中山道の摺針峠の東側に出る。更に、名神高速沿いに走って番場へ向かい、帰途に着いた。
廃村跡を巡ったからといって、何かの収穫があるわけではない。ただ、日本にもこういう時代があったことと、そこで繰り返されていた生活に、現代の日本人が忘れてしまった何かがあったことは、事実であるということである。
アバウトなコースは・・・
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=387f7dea641d6e624e50255dcd29f06b
画像は・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/57691/
鈴鹿には一般登山道として使われていない道が無数に存在するが、これを知っている人はほとんど居ない。情報不足を言うより自分の山登りをしないからである。地形図を完全に読む訓練さえ積めば、道があろうが無かろうが、自分の行きたい所へ必ず行けるのである・・・「鈴鹿の山と谷」西尾寿一著 第3巻より
東海よりも、近畿よりも、とても近くて秘境ムードの色濃い鈴鹿山系はとても興味深い。冒頭の文章にもある、西尾寿一氏の「鈴鹿の山と谷」には多くのロマンが記載されていて、思わず引き込まれてしまう。
この鈴鹿山系の麓には、多くの廃村跡が残っている。大昔は、木地師や樵たちが活躍したエリアでもあるが、今では、多くの集落が離村し、廃墟と化しつある。
今回、訪れたのは、武奈、妙幸、男鬼、霊仙、五僧、保月、杉の集落跡である。
それは昭和30年代、電気やプロパンガスの普及により、自然とともに生活していた山村集落が成り立たなくなり、先祖伝来の土地を離れて町へ出て行った歴史の証しでもある。
中山道関ヶ原宿よりスタートする。旧街道を、今須宿、柏原宿、醒ヶ井宿、番場宿へと忠実になぞる。国道21号を走ることなく、安心して行けるのが嬉しい。伊吹もぐさで有名な柏原宿は、かなり町並みの保存や再建が進み、見応えがあった。
番場宿の西の外れより滝谷林道に入る。行き成り、急登の坂が始まり、一気に汗を掻くこととなった。MTB、ランドナー、小径車・・・各自がまちまちの自転車で参加し、それぞれが苦労をしていたようだ。
崖下に清竜の滝が見えてくると上りも終る。この滝の上には鎌刃城という戦国時代の城跡があるという。その先からカルスト地形が広がるとあるが、植林が進んでいて、判別がつかない。
武奈町へ入る。畑の跡や、庭先にあったと思われる柿木は残っているが、家の跡は見えない。少し谷へ下った辺りにあるのだろうか。
たまたま、彦根市内から返ってきていたかつての住人の方にお会いする。昭和20年代は、山仕事や薪、炭などで生計を立てれたが、電機やプロパンガスが普及するようになると、収入が激減したという。結果、子供の教育なども考えて町へ下りたという。
妙幸・・・屋根らしきものが木々の間に見えていたが、あれが集落跡であろうか。同行の亀三郎氏は、ここに思い入れがあるようで、単独で下っていった。この辺りより鈴鹿山系最北の霊仙山(1084m)が大きく望めた。
次に訪れたのが男鬼、おおりと読む。今もかつての住人が帰ってきて、手入れをさているようであるため、荒れた感じはない。今にも玄関から人が出てきそうな雰囲気であった。
霊仙・・・ここは霊仙山の登山口でもあるらしく、車が何台も停まっていたが、ここの住人のではなさそうであった。雨戸がしっかりと閉じられ、蔵の土壁が崩れはじめているのが寂しかった。
芹川より権現谷へ入り、上流へと遡る。石灰岩質の河原は伏流となって、干上がっていた。以前、訪れたときは、土石流の災害のために谷は土砂で埋まっていた。
五僧へは、新しい林道が付いていた。舗装された林道を15分も上がれば峠に着く。かつてここに集落が・・・山間の峠の周りには耕作地になるような場所もない。峠を越える人も知れている。山仕事だけが収入であったのであろう。今も二軒の家屋が残っているが、あと数年で朽ち果て、元の自然に帰るのか。
ハサハギ林道へ入り、保月(ほうずき)を目指す。尾根を大きく回りこみ、高度を上げてゆく。やがて谷の中に集落跡が現れた。10数軒はあるのであろうか、茅葺の屋根が朽ちて落ち、その残骸を見せている。ある一軒家から老婆が出てきたのには驚いた。
町立脇ノ畑小学校跡の碑が集落の外れにあった。かつてここの運動場では、子供達が走り回っていたことであろう。お寺も、お宮さんも、今も残っている。
次に、杉の集落へ向かう。途中、石灰岩の岩の上に大杉がそびえ、祠の祀られた場所に出会う。思わず手を合わせたくなる雰囲気があった。
杉の集落も朽ち果てかけていた。ここにもかつての住人が山仕事のために帰ってきていた。多分、町の生活では、老人の出番が無いために居づらいのであろう。ここへ来れば、やることはいっぱいあるそうだ。元気な顔は生き生きとしていた。
杉坂峠・・・この一帯は、多賀大社の神木林とある。神社の造営にはここから切り出した杉の大木が使われとあった。
豪快なダウンヒルにて飛の木橋の袂に出会う。水谷、荘巌寺、中山と走り、中山道の摺針峠の東側に出る。更に、名神高速沿いに走って番場へ向かい、帰途に着いた。
廃村跡を巡ったからといって、何かの収穫があるわけではない。ただ、日本にもこういう時代があったことと、そこで繰り返されていた生活に、現代の日本人が忘れてしまった何かがあったことは、事実であるということである。
アバウトなコースは・・・
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=387f7dea641d6e624e50255dcd29f06b
画像は・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/57691/