Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

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峠旅 越中・ブナオ峠を行く!!

2008-11-17 22:26:28 | Weblog
《峠旅 越中・ブナオ峠を行く!!》

 平成20年7月、東海北陸自動車道の飛騨トンネルが開通し、岐阜と富山は一気に近づいた。このチャンスを活かし、富山エリアの峠を訪れることにした。場所はブナオ峠・・・ネットで道路情報を得ようとするが、いつ見ても工事通行止めとある。

 富山県道54号「福光上平線」とある。れっきとした県道であれば、県の予算で維持管理するものと思うが、実態は工事もせずに放置されているようである。その確認も今回の目的の一つであった。

 美濃インターに集合し、一路、白川郷へと向かう。蛭ヶ野高原辺りの紅葉はすでに終っていた。清見より飛騨トンネルに入る。全長は10,710m、日本では2位、世界でも8位の長さとか。軟弱な地質のため、トンネル掘削機の「天生太郎」は、そのまま埋められてしまったそうである。ちなみに、麻生太郎ではない!???

 上平インターにて降り、道の駅「上平」にクルマを停める。ここよりサイクリングの開始である。タカンボースキー場を左に見て、新屋橋を渡って左折し、草谷に沿って峠へ向かう。工事通行止めの電光掲示板が物々しい。

 県道は1車線幅で、ガードレールも無く、ゆるゆると紅葉の中を上ってゆく。天気はまあまあ、5人のメンバーの顔は明るい。互いに写真を撮りながら、峠ツーリングを楽しみながら走る。ここがかつて塩硝街道と呼ばれたルートである。

 道が大きく南に張り出した辺りで、谷の底に湖が見えた。桂湖とある。その奥には、飛騨・加須良という合唱集落があったという(昭和42年に離村)。ちなみに、下流には越中桂の集落もあったとか。

 そこより一息でブナオ峠へと至る。この峠からは、大門山、赤摩木古山、奈良岳、大笠山へと、越中と加賀の境となる名山へ登ることが出来るようだ。

 簡単な食事を済ませ、いよいよ廃道状態の県道へ突き進む。まるで工事などはされておらず、アスファルトの道には草木が茂って、ようやく人が歩いて通れるスペースだけが開いていた。これを付けたのは釣りの連中と思われる。

 枯れた夏草や枝を避け、落ち葉の積もった道を慎重に下る。落ち葉の下が舗装されているため、余計に滑りやすい。隠れた落石にも注意が要る。


 10km程であろうか、延々と閉鎖区間が続いた。どこかで工事でもと、期待はしたが、結局は何もやってはいなかった。巨大な倒木が数箇所あり、担ぎで何とかやり過ごすが、モーターバイクでは無理なようだ。

 最後の倒木を越えると熊撃ちの猟師のジムニーが止まっていた。このエリアは熊の巣だとか。猟師の世界の裏話を聞かせてもらった。

 中河内の集落跡へ出れば危険エリアからは開放される。フラットになった道を快適に飛ばす。途中の滝谷トンネルでは、暗闇の中を歩く人を見たという。

 刀利ダムを過ぎ、福光の町を目指す。夏の集中豪雨の爪跡らしきものが随所に見られた。沢という沢が全て抜けているのには驚いた。自然のエネルギーには凄いものがあると。

 太美(ふとみ)の辺りで右折し、桜ヶ池経由で国道304号へ向かう。この辺りよりは、砺波平野の散居村が遠望できた。

 城端(じょうはな)へ入り、迷いながら国道へと出る。再び上りに入り、南下をする。新設された五箇山トンネルを使わず、細尾峠、小瀬峠へと向かう。トンネルの右手の道に入ると、行き成りの崩落現場へ出くわす。その下は人喰(ひとくい)谷と恐れられた峡谷となっている。

 人喰谷・・・昔の物資輸送は人の手に頼っていた。ボッカと呼ばれる人夫達で、雪の朴峠を越えてきたボッカ達が雪崩に遭い、多くの犠牲者が出たという。

 細尾トンネルの入り口より先は未舗装であった。最後の力を振り絞って小瀬峠を目指す。砺波から五箇山へ越える峠は今も厳しいということを実感した。

 ススキの原となっている峠は明るい場所であった。袴腰山が目の前に望まれ、人形山や三ヶ辻山が南東方向に大きく遠望できた。

 秋の夕暮れは早い。持参した衣類を全て着込み、ダウンヒルに入る。九十九折の道を一気に下った。あまりに激しいブレーキングのせいで、リムが手で触れないほど熱くなっていた。

 途中、五箇山ユース・ホステルの前を通った。すでにユースは廃業しているようで、人気はなかった。羽馬家といい、江戸時代は、加賀藩の役人であり、塩硝を扱っていたという。合唱造りは、火薬を隠すのにも役立ったようである。

 更に下り、菅沼の合唱集落へと向かう。多少は観光化しているが、白川郷の荻町ほどではない。観光客よろしく、五平餅を味わう。

 ラストラン・・・庄川沿いの裏道を激走?し、車へと戻った。帰り道、荘川インター入り口の「桜香の湯」に浸かり、峠旅の疲れを癒した。


※塩硝街道・・・江戸時代、加賀前田藩が越中五箇山で煙硝を作らせ、それを金沢へ運んだ道が塩硝街道である。

コースマップ
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=b675bd2e2ca8c531113041a2f2cbf4f1

画像(期間限定)
http://album.pentax.jp/166909111/albums/54168/



輪旅 阿木林道から上矢作へ!!

2008-11-05 22:37:20 | Weblog
《輪旅 阿木林道から上矢作へ!!》

 日本百名山に数えられる恵那山(2191m)は、東濃地方の盟主でもある。中央道を名古屋方面より長野へ向かう時、恵那市辺りより右手に望まれる山で、そのどっしりとした山容は、一度観たら忘れない貫禄がある。

 以前より、恵那山林道の鯉子峠を越えるプランを計画していたが、しかし、そのルートは、災害のために寸断され、現在は不通となっている。そのサブプランとして、阿木林道から墓戸峠を越えて上矢作へ至るコースを組んでみた。

 スタート地点は、山城として有名な岩村城の城下町、岩村から。一方通行の街中を行くと、歴史を感じさせる家屋が多く残っていた。カステーラの懐かしい看板が嬉しい。

 隅櫓が再建された歴史資料館にクルマを停め、そこより国道363号を阿木に向かって走り始める。前夜の雨も上がり、秋の爽やかな風を感じながら東濃の田舎風景を眺めながらひた走る。途中の富田地区には、「農村景観日本一」という場所があり、展望台までもが造られていた。

 阿木川に出会い、そこより上流に向かってさかのぼる。民家が無くなった辺りより阿木林道が始まり、斜度も増してくる。馬頭観音などの地蔵様が道の両脇に祀られているところをみると、歴史のある道のようだ。上流にある風神(かざがみ)神社までの参道には、三十三の観音様が祀られているとか。

 風神神社:祭神は十一面観世音菩薩で、もとは阿木町大根木の長楽寺の御本尊であった。「風天さん」という愛称で親しまれていたが、神仏混淆時代に現在地に神として祀られたという。伊勢湾台風の少し前、ここに参詣した信者の家だけが被害を受けなかったということから、にわかに信者がふえた。信者が裁ききれないほど賑わっていたようだ。毎年8月31日に大祭が行われている。・・・あるサイトより。ちなみに、フランスにあるゼファールというメーカー名は、風の神だそうだ。

 道は更に斜度を増し、ダートへと変わっていった。沢を橋で渡り、ヘアピンを過ぎた先にゲートが現れた。いよいよ本格的な林道走行となる。紅葉の海の中をゆるゆると上がってゆく。

 道が谷筋から離れ、山の斜面を行くようになると眺めも良くなる。後方に大きく見える山は、天狗森山であろうか。笹原が広がり、登りたくなるような山の景色であった。

 ようやく墓戸峠へ着く。ブナであろうか、紅葉した大木に囲まれた雰囲気のよい峠であった。軽い食事を採り、記念撮影をして次の目的地、阿岳本谷へ向かう。

 林道は、千メートル前後の標高を水平に行く感じで、展望もよく、気持ちの良いハイウェイであった。南斜面のため、紅葉も明るく照らされ、最高のロケーションが展開された。

 阿岳本谷に出会い、左折して上流のホコロ沢へ向かう。道は最近開削されたようで、道は安定していなかった。工事現場の方の昼寝を邪魔しないよう、静かに通り過ぎる。

 ホコロ沢より飯田洞へ至る。標識には、恵那山林道鯉子峠とあるが、崩落のため、通行は不能とのことであった。

 橋のところで左折し、荒峰山への林道に入る。クルマはまったく入っていないようで、落ち葉の絨毯が延々と続いていた。ご機嫌なツーリングコースであった。気を付けなくてはいけないのが、落ち葉に隠れた落石・・・乗り上げれば転倒間違いなしである。

 道がフラットになったところが最高点であった。後は、上矢作の町まで下り一方である。途中、天を突くような風力発電の風車が樹間に現れた。人間が造るものは、異様だけど凄い感じがした。

 風車が立ち並ぶ草原のベンチで休憩を楽しむ。展望は欲しいまま・・・茶臼山など、奥三河の山々が一望の元であった。北方向には、今まで走ってきた林道も見えているようだ。夏場、ここは牧場になるという。

 秋の日は短い・・・急いで下りに入る。途中、大船神社への参道となる松並木に寄ってみる。その大木は凄く、何本もの松が参道沿いに並んでいた。ちょと松枯れが心配ではあったが・・・

 無事に上矢作の中心部へ出てほっとする。自販機で暖かい飲み物を仕入れ、道路端に座り込んで休憩を取る。皆の顔には、満足感と安堵感が共存しているように見えた。

 後は、岩村まで国道を走って戻るだけ・・・道の駅「上矢作ラ・フォーレ福寿の里」で暫しの休憩を取り、木の実トンネルを抜けて岩村へ戻り着いた。同時に闇が迫り、岩村の町並みに灯りが点きはじめた。

コースはこちら
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=cb014ccbe87c9cb6c4f328d2c8418b22

画像はこちら
http://album.pentax.jp/166909111/albums/52589/