≪峠旅・木曽の月夜沢峠へ!≫
今から30年ほど前、当時、愛読していたニューサイクリング誌に月夜沢峠の紀行文が載っていた。地道が延々と続く林道を、難儀をして越えて行くサイクリストに憧れはしても、まさか自分が行くことになるとは思ってもいなかったが。
薮原駅まで輪行し、境峠を越えるルートを取る。天気は上々で、かえって日焼けが気になるくらいだ。先ずは一つ西のやぶはら高原スキー場へ向かう菅川に沿った道をさかのぼることにする。
あやめ公園池を過ぎたあたりがピークのようで、そこより下って五月日で県道26号に合流する。更に笹川に沿ってジワジワと境峠を目指す。しらかば平の別荘地辺りで道はつづら折りになるが、それほどの急坂ではないため、難なく峠に辿りついた。期待していた穂高連峰の展望はお預けであった。
いったんは奈川村寄合渡へ下り、そこで左折して野麦峠方面へ向かう。この道は野麦街道といい、明治の時代に飛騨の娘たちが岡谷の製糸工場へ出稼ぎに行ったルートでもある。
オートキャンプ場を過ぎ、橋を渡ったところより赤田沢に沿った未舗装の林道に入って行く。先行して野麦峠を訪れ、下りてくるメンバーと待ち合わせるが、タイムオーバーのためにtaji氏と二人で月夜沢峠を目指すことにする。
15分ほど走ると全面通行止の表示。その横には熊出没の看板もあり、緊張が一気に高まった。予め準備してきた熊除けのホイッスルを首から下げ、コーナーの手前で吹きながら高度を上げて行く。唐松林の中の林道は良く締まっていて走りやすい。
かなり高度を上げたころ、道は2つに分かれていた。地図を見ながら休んでいると後方から犬の鳴き声が・・・それは野麦峠組みの無事蛙氏であった。再会を喜び、座り込んで談笑しようかと思いきや、背中のザックから発泡系黄金色ジュースが出てくるではないか。それもチンチンに冷えたヤツが・・・以心伝心!魚心あれば水心!渡りに船状態であり難く頂戴する。持つべきものは友!?である。
いよいよ道は荒れ始め、ヘビーデューティーな四駆でないと走破できない路面状態となる。未熟なダートテクニックを駆使しながら何とか峠を目指す。
月夜沢峠(1690m)に辿り着くと、そこにはオフロードバイクに乗ったhiro氏がいた。天気が良いので可児の自宅より走って来たとのこと。意外な場所での再会を喜ぶ。野麦峠組のpine氏、HR氏、gaki氏も到着する。あとmiya氏だけが到着していないようだ。
月夜沢、なんともロマンチックなネーミングである。昔、中山道を行く旅人が、取調べの厳しい木曽福島の関を嫌って抜け道である月夜沢峠を越えたという。
午後になると山間部では夕立に・・・セオリー通りに暗雲が立ち込め、雷雨となる。それぞれが好みの雨具を着けて下りにかかる。夏草が左右から覆い被さった林道は走り辛い。ゴロゴロしたこぶし大の石をハンドリングで避け、適度なスピードで走り抜けた。
上手く雷雲を避け、本格的な雨に遭わずに開田村(旧)へと下りきった。牧場の草原横に陣取り、遅れていたmiya氏も迎えて大休止とした。再び陽射しも照り始め、あとは開田高原を横切って宿に入るだけである。
今日の宿はマイヤスキー場入口にある民宿・みやま荘さん。建物、お風呂、料理とも言うことがなく、思わず15本のビールが並んでしまったことを正直に報告する。特に夕食に出た信州牛のステーキと馬刺しは絶品であった。
翌日は生憎の雨模様。裏木曽の難所、真弓峠は諦めて三岳村(旧)より才児(さいちご)峠を越えて赤沢自然休養林を訪れることにした。
ポンチョ、アノラック、ゴアの上下とそれぞれが好みの雨具に身を包んで三岳村への下りに入る。晴れていれば御岳の絶景を眺めながらのパノラマコースなのだか、今日はひたすら路面だけを睨んでのダウンヒルとなる。
黒沢で左折し、いったんは木曽福島方面へ向かう。赤い常磐橋を渡って右折し、釜沼温泉の看板を目印に峠越えに入る。道は徐々に斜度を増し、つづら折りになるころには雨脚も早くなった。有名大学の天文台観測所の入口を右に見送り、しばらくして峠へ辿り着いた。
下りきった焼笹で右折して赤沢自然休養林を目指す。8キロ先の案内板に少し躊躇するが、時間はまだ午前11時。森林鉄道の軌道跡であろう、石造りの橋脚が今も残っていた。ここは今も木曽檜の本場であるのだ。
赤沢自然休養林は公園になっていた。観光用に林鉄も再開され、赤沢沿いには遊歩道も整備されていた。紅葉の時期にでも再訪してみたいところだ。雨で冷えた身体を掛け蕎麦で温め、そそくさと土砂降りの中を上松駅まで駆け下った。
真弓峠は越えられなかったものの、念願の月夜沢峠へ行けたことに満足している。梅雨の末期の集中豪雨に裏木曽の山中で出会ったならば・・・それは恐ろしいことである。天気が良い日にまた訪れる・・・大人の遊びには余裕が肝心である。
今から30年ほど前、当時、愛読していたニューサイクリング誌に月夜沢峠の紀行文が載っていた。地道が延々と続く林道を、難儀をして越えて行くサイクリストに憧れはしても、まさか自分が行くことになるとは思ってもいなかったが。
薮原駅まで輪行し、境峠を越えるルートを取る。天気は上々で、かえって日焼けが気になるくらいだ。先ずは一つ西のやぶはら高原スキー場へ向かう菅川に沿った道をさかのぼることにする。
あやめ公園池を過ぎたあたりがピークのようで、そこより下って五月日で県道26号に合流する。更に笹川に沿ってジワジワと境峠を目指す。しらかば平の別荘地辺りで道はつづら折りになるが、それほどの急坂ではないため、難なく峠に辿りついた。期待していた穂高連峰の展望はお預けであった。
いったんは奈川村寄合渡へ下り、そこで左折して野麦峠方面へ向かう。この道は野麦街道といい、明治の時代に飛騨の娘たちが岡谷の製糸工場へ出稼ぎに行ったルートでもある。
オートキャンプ場を過ぎ、橋を渡ったところより赤田沢に沿った未舗装の林道に入って行く。先行して野麦峠を訪れ、下りてくるメンバーと待ち合わせるが、タイムオーバーのためにtaji氏と二人で月夜沢峠を目指すことにする。
15分ほど走ると全面通行止の表示。その横には熊出没の看板もあり、緊張が一気に高まった。予め準備してきた熊除けのホイッスルを首から下げ、コーナーの手前で吹きながら高度を上げて行く。唐松林の中の林道は良く締まっていて走りやすい。
かなり高度を上げたころ、道は2つに分かれていた。地図を見ながら休んでいると後方から犬の鳴き声が・・・それは野麦峠組みの無事蛙氏であった。再会を喜び、座り込んで談笑しようかと思いきや、背中のザックから発泡系黄金色ジュースが出てくるではないか。それもチンチンに冷えたヤツが・・・以心伝心!魚心あれば水心!渡りに船状態であり難く頂戴する。持つべきものは友!?である。
いよいよ道は荒れ始め、ヘビーデューティーな四駆でないと走破できない路面状態となる。未熟なダートテクニックを駆使しながら何とか峠を目指す。
月夜沢峠(1690m)に辿り着くと、そこにはオフロードバイクに乗ったhiro氏がいた。天気が良いので可児の自宅より走って来たとのこと。意外な場所での再会を喜ぶ。野麦峠組のpine氏、HR氏、gaki氏も到着する。あとmiya氏だけが到着していないようだ。
月夜沢、なんともロマンチックなネーミングである。昔、中山道を行く旅人が、取調べの厳しい木曽福島の関を嫌って抜け道である月夜沢峠を越えたという。
午後になると山間部では夕立に・・・セオリー通りに暗雲が立ち込め、雷雨となる。それぞれが好みの雨具を着けて下りにかかる。夏草が左右から覆い被さった林道は走り辛い。ゴロゴロしたこぶし大の石をハンドリングで避け、適度なスピードで走り抜けた。
上手く雷雲を避け、本格的な雨に遭わずに開田村(旧)へと下りきった。牧場の草原横に陣取り、遅れていたmiya氏も迎えて大休止とした。再び陽射しも照り始め、あとは開田高原を横切って宿に入るだけである。
今日の宿はマイヤスキー場入口にある民宿・みやま荘さん。建物、お風呂、料理とも言うことがなく、思わず15本のビールが並んでしまったことを正直に報告する。特に夕食に出た信州牛のステーキと馬刺しは絶品であった。
翌日は生憎の雨模様。裏木曽の難所、真弓峠は諦めて三岳村(旧)より才児(さいちご)峠を越えて赤沢自然休養林を訪れることにした。
ポンチョ、アノラック、ゴアの上下とそれぞれが好みの雨具に身を包んで三岳村への下りに入る。晴れていれば御岳の絶景を眺めながらのパノラマコースなのだか、今日はひたすら路面だけを睨んでのダウンヒルとなる。
黒沢で左折し、いったんは木曽福島方面へ向かう。赤い常磐橋を渡って右折し、釜沼温泉の看板を目印に峠越えに入る。道は徐々に斜度を増し、つづら折りになるころには雨脚も早くなった。有名大学の天文台観測所の入口を右に見送り、しばらくして峠へ辿り着いた。
下りきった焼笹で右折して赤沢自然休養林を目指す。8キロ先の案内板に少し躊躇するが、時間はまだ午前11時。森林鉄道の軌道跡であろう、石造りの橋脚が今も残っていた。ここは今も木曽檜の本場であるのだ。
赤沢自然休養林は公園になっていた。観光用に林鉄も再開され、赤沢沿いには遊歩道も整備されていた。紅葉の時期にでも再訪してみたいところだ。雨で冷えた身体を掛け蕎麦で温め、そそくさと土砂降りの中を上松駅まで駆け下った。
真弓峠は越えられなかったものの、念願の月夜沢峠へ行けたことに満足している。梅雨の末期の集中豪雨に裏木曽の山中で出会ったならば・・・それは恐ろしいことである。天気が良い日にまた訪れる・・・大人の遊びには余裕が肝心である。