Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

自転車、登山、テレマークスキー、カヌー・・・そんな情報が満載ですよ!!

歴史旅 修学院離宮から桂離宮へ!!

2010-02-01 22:26:28 | 自転車旅
《歴史旅 修学院離宮から桂離宮へ!!》

ますます平安京の深みに・・・二つの離宮を訪れてきました。
結果・・・流石は宮内庁の管轄、見学の許可を得るのにかなりの心労?が・・・でした。

画像はこちら・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/323207/

その他、詩仙堂、曼殊院、慈照寺(銀閣寺)、法然院、安楽寺、霊鑑寺、真正極楽寺(真如堂)、金戒光明寺(黒谷)、聖護院へも訪れてきました。

修学院離宮・・・1655年、後水尾上皇(第108代天皇)のために徳川幕府が造ったという。比叡山麓の棚田の中に点在し、上御茶屋、中御茶屋、上御茶屋の三つに別れている。水田は、今でも地元の農家に宮内庁より貸され、稲作が行われているようであった。この風景が借景になっていることに気づかされる。

それぞれの門、庭園、木々、池、土橋、建物・・・それは素晴らしすぎて表現が出来ない。その目で、その場に居合わすのがよい。


(修学院離宮にて!)

詩仙堂・・・詩仙堂は徳川家の家臣であった石川丈山が隠居のため造営した山荘。名前の由来は、中国の詩家36人の肖像を掲げた詩仙の間によるとか・・・時間に余裕があれば、ゆっくりとしたいところである。

曼殊院・・・竹内門跡とも呼ばれる門跡寺院(皇族・貴族の子弟が代々住持となる別格寺院のこと)であり、青蓮院、三千院(梶井門跡)、妙法院、毘沙門堂門跡と並び、天台五門跡の1つに数えられる。国宝の黄不動画像や曼殊院本古今和歌集をはじめ、多くの文化財を有する・・・とものの本にあった。瓦屋根の勾配が美しかった。

慈照寺(銀閣寺)・・・いわずと知れた銀閣寺。現在は、解体?修理中とか・・・門前の賑わいは流石であった。速やかに立ち去る!??

法然院・・・茅葺で数奇屋造りの山門と、谷崎潤一郎などの学者や文人の墓が数多く存在することで有名である・・・とか。その山門前に立った時、京都へ来たなと感じた。盛り砂に描かれた梅の模様が風流であった。

安楽寺・・・浄土宗の寺院で、7月に中風除けを祈願するカボチャ供養で有名だそうだ。

霊鑑寺・・・臨済宗南禅寺派の門跡尼寺。代々皇女が住職を務めて、谷御所、鹿ケ谷比丘尼御所とも呼ばれている。御所人形・貝あわせ等、皇室ゆかりの品が多く、池泉鑑賞式庭園や、名椿が多数あることでも有名だとか。


(東山の路地にて!)

真正極楽寺(真如堂)・・・本尊の阿弥陀如来は「頷きの阿弥陀」とも呼ばれており、慈覚大師が「修行者を守護して下され」と祈ると首を横に振り、「衆生、特に女性をお救い下され」と祈ると頷いた、という伝説がある・・・とものの本にあった。三重塔が美しかった。

金戒光明寺(黒谷)・・・法然が比叡山の黒谷を下った。その後岡を歩くと、大きな石があり、法然はそこに腰掛けた。するとその石から紫の雲が立ち上り、大空を覆い、西の空には、金色の光が放たれた。そこで、法然はここに草庵を結んだ。これがこの寺の始まりである・・・ものの本より。くろ谷さんの愛称で親しまれているという。

ここは、京都守護職本陣でもあった。・・・会津藩主松平容保公が幕末の1862年に京都守護職に就任すると、京都守護職会津藩の本陣となり、藩兵1,000人が京都に常駐し1年おきに交替した。会津藩士のみでは手が回りきらなかったため、守護職御預かりとして新選組をその支配下に置き治安の維持に当たらせたという。鳥羽伏見の戦いで戦死した会津藩士の墓がある。

熊谷直実・・・源平合戦一ノ谷の戦いで平敦盛を討ち取った事で知られている。殺生の虚しさに気付き、以後源平の戦いには参加しなくなる。法然と出会った後、徐々に敦盛の供養のために出家を模索するようになる。直実はここ黒谷に至り、鎧を洗い、それを松の枝にかけ、馬をつなぎ、法然上人の門を叩いた。法然に自分の心のうちを話し、出家、そして庵を結び、蓮生法師となったという。

聖護院・・・日本の修験道の中心寺院の1つ。近世以降、修験道は江戸幕府の政策もあって「本山派」「当山派」の2つに分かれたが、聖護院はこのうちの本山派の中心寺院であった。また、代々法親王(皇族男子で、出家後に親王宣下を受けた者)が入寺する門跡寺院として高い格式を誇った。江戸時代後期には2度にわたり仮皇居となったこともある。ものの本より・・・八ツ橋や大根でも有名!??


(桂離宮にて!)

桂離宮・・・ブルーノ・タウトが「泣きたくなるほど美しい」と絶賛したという。造られたのは17世紀の中ごろとか。その素晴らしさに感動できるのは訪れた人だけ・・・一生に一度は訪ねてみたいところ。今回、なぜか池の水が無かった!???

京都には自転車が似合う・・・狭い路地や一方通行、駐車禁止・・・気の向くままにペダルを漕ぎ、気に入ったところで休む・・・これはとても贅沢なこと・・・名も知らないお寺に寄ってみると驚きが・・・ここが歴史で習った有名な場所だったとは・・・幕末に活躍した松平容保は、美濃国高須藩の出身・・・戊辰戦争・・・あの一途な会津武士に憧れを抱く。