《輪旅 冬枯れの伊賀盆地を走る!》
12月、今年のプランもほぼ最終に・・・関西の自転車仲間と伊賀盆地を走ってきました。タイトルは望年ラン・・・来年も一緒に走りましょうと!
コースは時計回りで伊賀上野~大山田~青山~名張~月ヶ瀬~伊賀上野。布引山脈の山裾を縫って伊賀の田舎町を走り抜けました。途中、伊賀街道や初瀬街道とも交差して・・・まだまだ素敵な所は多く残っているようです。
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=ef73e046a33cfb83808915f56b416305
(大山田付近の田舎風景)
おなじみのメンバーが伊賀上野駅に集合・・・5人、丁度良い人数かと。ベテランばかりですので安心・・・阿吽の呼吸で走り始めます。先ずは関西本線に沿って北東へ・・・
じきに佐那具へ・・・ここは奈良時代、伊賀の国府があった場所です。国庁を発掘したという場所には看板がありました。街中には府中神社もあります。
(伊賀街道・大山田にて)
名阪国道を横切り、旧の大山田村へ・・・ここから素敵な田舎風景が始まりました。大山田村とは・・・かつては伊勢の津城と伊賀の上野城を大名・藤堂高虎も行き来したという伊賀街道(伊賀越奈良道とも)が通っていました。宿場でもあった平田には植木神社が・・・7月末に執り行なわれる植木神社の祭礼「祇園祭」には三基のだんじり(山車)も曳行されるそうです。
服部川と聞けば忍者服部半蔵・・・服部、百地、藤林が伊賀忍者御三家?だそうだ。東京の半蔵門も伊賀に関係ありか・・・
(出合から名張へ向かう道)
川北で県道2号に入り、馬野方面へ・・・いよいよ待望の田舎道が・・・小さな峠を越えて伊賀上津、伊勢路へ・・・ここの集落も素敵・・・かつての初瀬街道の宿場だったのでしょうか。中心地には常夜灯が建っていました。
次に奥鹿野へ・・・道はますます辺鄙に・・・福川、ここで左折し、諸木、腰山、霧生へと行く予定であったがタイムオーバーで変更・・・真っ直ぐに老川、種生(たなお)へ・・・ここはあの兼好法師(吉田兼好)が「徒然草」を書いた場所とも。
出合より県道691号に入り、ちょっとした峠を越えて名張へ・・・ここがまた素敵な場所でした。伊賀コリドール(回廊の意味)道が出来たため、かつての県道は忘れ去られようとしていました。
夕やみ迫る名張の町をかすめ、赤目口駅より宿へ向かう。這う這うの体で「楽らふ」へたどり着きました。
(峠にて)
翌朝、奈良の大先輩とは別れ、笠間峠へ向かいました。これがなかなかの峠道で、朝食のおかゆが裏目に!??・・・途中から見下ろす名張の町が素敵・・・地蔵さんが祀られた峠も素敵。
(冬枯れ)
上笠間へ降り立ち、右折して葛尾へ・・・この道がまたいい・・・いわゆる簡易舗装でガードレールもない一車線幅の田舎道はいうことなしでした。途中には磨崖仏も・・・
(笠間峠への上り)
毛原廃寺・・・以前より気になっていた場所です。道の横に食堂(じきどう)の基壇が無造作に・・・水田を開墾するときに集めたようです。金堂跡や西塔跡、中門跡は更に下にありました。金堂あと・・・それは民家の敷地にそのまま残っていました。宗教にかかわる遺物のため、崇りを恐れて触らなかったのでしょうか。1300年もの間・・・
(毛原廃寺の基壇)
毛原廃寺の史実は今も不明なようです。基壇の規模からすると唐招提寺規模の寺院があったとも。充分にその威容を残った基壇は物語っていました。
(名張の町を見下ろす)
葛尾で名張川に出合い、左折。月ヶ瀬の五月橋(山添村?)を目指します。更に国道25号、裏道を拾って上野市内へ。
(上野で豆腐田楽を)
鍵屋の辻を通り、「わかや」へ・・・締めは上野名物の豆腐田楽で・・・お腹がふくれれば二日間の自転車旅も楽しかったことばかり・・・またの再会を願って解散としました。
12月、今年のプランもほぼ最終に・・・関西の自転車仲間と伊賀盆地を走ってきました。タイトルは望年ラン・・・来年も一緒に走りましょうと!
コースは時計回りで伊賀上野~大山田~青山~名張~月ヶ瀬~伊賀上野。布引山脈の山裾を縫って伊賀の田舎町を走り抜けました。途中、伊賀街道や初瀬街道とも交差して・・・まだまだ素敵な所は多く残っているようです。
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=ef73e046a33cfb83808915f56b416305
(大山田付近の田舎風景)
おなじみのメンバーが伊賀上野駅に集合・・・5人、丁度良い人数かと。ベテランばかりですので安心・・・阿吽の呼吸で走り始めます。先ずは関西本線に沿って北東へ・・・
じきに佐那具へ・・・ここは奈良時代、伊賀の国府があった場所です。国庁を発掘したという場所には看板がありました。街中には府中神社もあります。
(伊賀街道・大山田にて)
名阪国道を横切り、旧の大山田村へ・・・ここから素敵な田舎風景が始まりました。大山田村とは・・・かつては伊勢の津城と伊賀の上野城を大名・藤堂高虎も行き来したという伊賀街道(伊賀越奈良道とも)が通っていました。宿場でもあった平田には植木神社が・・・7月末に執り行なわれる植木神社の祭礼「祇園祭」には三基のだんじり(山車)も曳行されるそうです。
服部川と聞けば忍者服部半蔵・・・服部、百地、藤林が伊賀忍者御三家?だそうだ。東京の半蔵門も伊賀に関係ありか・・・
(出合から名張へ向かう道)
川北で県道2号に入り、馬野方面へ・・・いよいよ待望の田舎道が・・・小さな峠を越えて伊賀上津、伊勢路へ・・・ここの集落も素敵・・・かつての初瀬街道の宿場だったのでしょうか。中心地には常夜灯が建っていました。
次に奥鹿野へ・・・道はますます辺鄙に・・・福川、ここで左折し、諸木、腰山、霧生へと行く予定であったがタイムオーバーで変更・・・真っ直ぐに老川、種生(たなお)へ・・・ここはあの兼好法師(吉田兼好)が「徒然草」を書いた場所とも。
出合より県道691号に入り、ちょっとした峠を越えて名張へ・・・ここがまた素敵な場所でした。伊賀コリドール(回廊の意味)道が出来たため、かつての県道は忘れ去られようとしていました。
夕やみ迫る名張の町をかすめ、赤目口駅より宿へ向かう。這う這うの体で「楽らふ」へたどり着きました。
(峠にて)
翌朝、奈良の大先輩とは別れ、笠間峠へ向かいました。これがなかなかの峠道で、朝食のおかゆが裏目に!??・・・途中から見下ろす名張の町が素敵・・・地蔵さんが祀られた峠も素敵。
(冬枯れ)
上笠間へ降り立ち、右折して葛尾へ・・・この道がまたいい・・・いわゆる簡易舗装でガードレールもない一車線幅の田舎道はいうことなしでした。途中には磨崖仏も・・・
(笠間峠への上り)
毛原廃寺・・・以前より気になっていた場所です。道の横に食堂(じきどう)の基壇が無造作に・・・水田を開墾するときに集めたようです。金堂跡や西塔跡、中門跡は更に下にありました。金堂あと・・・それは民家の敷地にそのまま残っていました。宗教にかかわる遺物のため、崇りを恐れて触らなかったのでしょうか。1300年もの間・・・
(毛原廃寺の基壇)
毛原廃寺の史実は今も不明なようです。基壇の規模からすると唐招提寺規模の寺院があったとも。充分にその威容を残った基壇は物語っていました。
(名張の町を見下ろす)
葛尾で名張川に出合い、左折。月ヶ瀬の五月橋(山添村?)を目指します。更に国道25号、裏道を拾って上野市内へ。
(上野で豆腐田楽を)
鍵屋の辻を通り、「わかや」へ・・・締めは上野名物の豆腐田楽で・・・お腹がふくれれば二日間の自転車旅も楽しかったことばかり・・・またの再会を願って解散としました。