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Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

自転車、登山、テレマークスキー、カヌー・・・そんな情報が満載ですよ!!

プチグレートジャーニー A区間・敦賀からマキノへ!!

2011-04-03 18:27:07 | 旅行
《プチグレートジャーニー A区間・敦賀からマキノへ!!》
 関野吉晴氏・・・アフリカに誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸にまで
拡散していった約5万3千キロの行程を、自らの脚力と腕力だけをたよりに遡行する旅、それが
グレートジャーニーです。手段は、歩き、自転車、カヌーで・・・こんな壮大な旅を真似ることはできませんが、そのロマンのほんの一部だけでも味わいたくて、日本海の敦賀湾より琵琶湖を横断し、太平洋の伊勢湾までをつなぐ旅を考えてみました。
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=ef99f2a653c37baaecebd7193b777283

 旅の移動手段は、徒歩、歩くスキー(テレマーク)、カヤック、自転車・・・アクセスにはクルマを使いましたが、回収等には鉄道を利用したり、自転車の自走にて出発点に戻るなど、サポートを入れない形で進めました。

 儀式?・・・日本海の海水を琵琶湖へ・・・琵琶湖の水を太平洋に!!フィルムケースに詰めて運ぶ。

『A区間・敦賀から黒河越えでマキノへ!』
 スキー板を使っての峠越えのため、時期は積雪期・・・しかし、ヘタレなアウトドアマンであり、ソロで厳冬期の山を越えるのはリスクが多すぎる・・・よって、残雪期の3月に決行。時間の短縮(安全確保にはこれがポイントかと)のため、敦賀湾の浜辺より自転車→歩くスキー→スキー滑降→自転車にて琵琶湖畔へ。

 朝、先ずは自転車のデポへ・・・滋賀県高島市マキノ町白谷、マキノ林道の降り口となる杉林にMTBを縛り付ける?放置自転車と間違えられないよう「登山に行っています」とメモを残す。

 更に敦賀市へクルマで移動し、敦賀湾「気比の松原」の公園駐車場へ停める。いよいよここよりスタート。浜辺に立ち、手で海水をすくって旅の安全を祈る。MTBでスキー板を運ぶ・・・これが難儀で、ザックに縛り付け、担いでみるが結構重くて大変。見た目も格好悪い!??



(敦賀・気比の松原)
 居合わせた若者に証拠写真?を撮ってもらい、松林の中を南進する。沿道の方々からの熱い視線!?が気になった。「何、あのオッさんのスタイルは!」かも・・・

 市内を抜け、黒河川に沿ったサイクリングロードに入ると一息つく。「バカなことを始めてしまったな!」と、路面に映る自分の影を見て反省してみる。


(人影)
 やがて林道に残雪が見え始める。釣りの連中であろうか・・・「魚は全然や!」と言っていた。ここで一台目の自転車をデポ・・・朝の自転車と同様に木に縛りつけ、メモを残す。

 しばらくは、雪があったり、無かったりを繰り返すため、スキー板を背負った状態で先へ進む。雪は適度に締まっていて、靴が潜ることは無かった。周りの木々は冬の様相で、緑の葉っぱは見られない。沢を流れる水はどこまでも透明で、雪解けなのか水量は多い。鳥の鳴き声、沢の水音だけが聞こえてくる。


(林道のデブリ)
 幾つもの橋を渡り、積雪が多くなったところより板を履く。テレマークスキーは優れもの・・・歩く、登れる、滑れるの三拍子が可能である。ただし、ステップソール(滑走面がウロコ状になったもの)ではないので、シールと呼ばれるものを貼り付ける。これがあれば斜面でも後ずさりをしない。ペタペタとペンギンの歩行のように前へ進んでゆく。

 この時期の怖いものが雪崩れ・・・もう時期的には落ち切っているのだが、油断は出来ない。デブリと呼ばれる雪崩れの跡も緊張させられる。雪の塊の中に上手くルートを探し、谷底への転落を避ける。


(歩くスキー)

 もう一つ怖いのが雪の斜面・・・林道は大量の雪で埋まり、雪の斜面と化している。そこをトラバースしてゆくのも神経を使う。スキーの山側エッジを効かせ、慎重に通過する。もし滑落すれば、数十メートル下の沢へ転落・・・水量の増した川を流される・・・想像すると怖い。


(峠・黒河越え)
 林道・・・結構枝道が多く、ルートファインディングに悩む。無雪期には2度ほど自転車で走ったコースであり、多少の記憶があるが、残雪期には風景が一変するために悩む。地図と高度計とコンパスを駆使して方角を定める。

 正面に送電線の鉄塔が見えたころ、道が大きく左へカーブしている。稜線に見える鞍部が峠のようだ。ちょっと気が楽になり、板の歩みも心持早くなる。道が右にカーブし、雪が消えていた場所が峠であった。黒河越え・・・この先はマキノ林道という標柱が雪の中から顔を出していた。

 板を外し、シールを剥がしてランチタイムとする。豪勢にレーズンロールを数個、かぶりつく。泡の出るジュースで乾杯と行きたいが、ソロツアーでは我慢・・・帰宅後の楽しみとする。峠の周りはブナの林・・・スギやヒノキの植林帯とは違い、伸びやかで明るいのが嬉しい。


(避難小屋)
 滋賀県側を偵察に行くと見覚えのある屋根が雪の中に見える。赤坂山、三国山と縦走をし、下りたところにある避難小屋のようだ。よくよく雪面を見ると、数日前のスキーの跡も・・・バックカントリースキーを楽しむ連中も来てるようで、ちょっと安心する。

 いよいよスキー滑降へ・・・午後よりは気温も上がり、雪質は腐り気味・・・林道といっても適度な傾斜があり、思ったよりスキーが走ってくれるのでありがたい。ただし、オーバースピードには注意・・・ガードレールも無い道端から転落すれば谷底へ一直線・・・もありうる。


(マキノ・琵琶湖畔へ)
 ほぼ自転車のデポ地点まで滑り、スキーを終える。ここより自転車で・・・マキノスキー場を過ぎるとメタセコイヤの並木が現れた。結構な規模で、止まって写真を撮る。更に山裾を走り、湖西線まきの駅、高木浜にて琵琶湖畔へ。風も無く、穏やかな波打ち際に立って休憩を入れた。

 沖に浮かぶ島は竹生島・・・その後方には白い伊吹山が遠望できた。次回はここよりカヤックにて琵琶湖横断・・・長浜沖より彦根までを計画している。

 時間は午後2時・・・遅くなれば鉄道にて敦賀へ戻る予定であったが、自走で行くことに・・・トラックの多い国道161号を避け、海津大崎~大浦~(県道286号)~沓掛~(国道8号)~疋田~敦賀へ。明るいうちに帰ることが出来た。

今回のフォトアルバムです・・・
http://gallery.nikon-image.com/110885861/albums/2341087/


街並み探訪 竹原・矢掛・足守!!

2011-02-23 22:20:19 | 旅行
《街並み探訪 竹原・矢掛・足守!!》
 歴史を重ねてきた古い街並みは日本の宝・・・そんな場所を見つけたときは、なぜか幸せな気分に浸れる。心がなごむ・・・それは幼いころに見た町の風景をそこに感じるからだろうか。

 気ままな一人旅はいい・・・誰に気兼ねも無く、思いつくままに興味の沸く場所を訪ねることができるから。宿も取らないほうがいい・・・予約をすれば、場所や時間にしばられ、自由な行動が出来なくなるから。結果、車中泊・・・ワンボックスカーのシートはフラットになり、冬用の羽毛シュラフがあれば真冬でも快適!??それでも寒ければシュラフを二重に・・・カイロを使うのも効果的。食事・・・早朝や深夜の食事は不自由・・・山用のコンロとコッフェルさえあれば心強い。夕方のスーパーで買出し・・・黄色い見切り?シールを狙えば、豪勢な刺身も味わうことが出来る。それにアルコールがあればこれ以上の贅沢はない。

 今回、朝、コッフェルに残っていた水が凍り付いていたのには驚いたが・・・


(竹原 伝統的建造物群保存地区)
 まるで歴史から取り残されたように竹原の街並みはあった。多分、戦災にはあっていない・・・江戸から明治にかけての立派なお屋敷が当時のままに残っていた。こんな町を訪ねるのには自転車が一番・・・気に入った場所に停め、カメラを向ける。地元の方がいれば話しかけてみる。安心感からか、とてもホットな話題を聞けることが多い。

 日本のウィスキーの父といえば竹鶴政孝・・・ニッカウヰスキーの創業者である。スコットランドでウィスキー造りを学び、北海道の余市にディスティラリー(蒸留所)を立ち上げた。本家筋の竹鶴酒造が今も美味しい日本酒を造っていた。


(山陽道 矢掛宿)
 石井家住宅は、山陽道第18番目の宿場町となる矢掛宿。その本陣として、国の重要文化財に指定されている石井家住宅は、今もその堂々たる屋敷を維持している。

 本陣は参勤交代で江戸と国もとを行き来する大名や公家、幕府役人の宿として、機能し、建物は、当時の建築の粋をこらしており、見るものに感動を与えてくれる。


(足守侍屋敷)
 岡山県指定重要文化財・・・この侍屋敷は、江戸時代に備中国(現在の岡山県西半)の南東部で、2万5千石を領有した足守藩の国家老を勤めた杉原家の居宅です。家老屋敷のたたずまいをほぼ完全に近い形で伝えていて、この種の武家屋敷としては県下唯一の貴重なもの・・・だそうだ。

 伝統的建造物群保存地区・・・また旅の楽しみができてしまった。次回は新潟へ・・・村上、新発田、出雲崎へ。

歴史旅 大阪・難波宮へ!!

2010-10-29 21:51:59 | 旅行
《歴史旅 大阪・難波宮へ!!》

難波宮・・・大化の改新・・・飛鳥より難波に都は移された。大阪は歴史のある町でもある。

太閤秀吉・・・大阪では、家康より秀吉のほうが人気があるとか。それにも増して真田幸村は大阪城を守った英雄だと感じた。

天王寺駅を降り、四天王寺へ・・・大阪は、戦災で焼けたたため、あまり古い建物は残っていないとも。

画像は・・・
http://picmate-club.panasonic.jp/p/29596/album/pFUST115N0SE/photo_list

四天王寺・・・今から1400年前の建立、聖徳太子七大寺の一つ(法隆寺、四天王寺、広隆寺、橘寺、中宮寺、法起寺、葛木寺)日本最古の官寺で、飛鳥建築の様式を色濃く残しているという。大坂冬の陣、大阪大空襲、室戸台風などの被害を受け、かなりの建物が再建ではあるが、五重塔など、その優美な建物は、今も見るものを感動させてくれる。


(四天王寺)

真田幸村・・・その生涯は劇的、信州上田城での徳川との戦いで勝利。関ヶ原の戦いでは西軍に付いて敗北。父、昌幸とともに高野山九度山へ島流しに・・・それから14年後、大坂冬の陣で活躍、家康の首を取る寸前まで・・・冬の陣にて戦死。

ここ数年の間に信州の真田郷、上田城、松代の海津城。高野山九度山の真田庵、大坂城、真田丸へと訪れることができた。これほど天下人の家康を苦しめた武将はいない。家紋の六文銭、それに込められた真田家の心意気は武士の鑑といえる。

なぜ、関ヶ原の役後、家康は真田家をお取りつぶしにしなかったのか。結果、後々まで苦しめられる羽目となるのに。兄、信之が徳川家から嫁(家康の養女)をもらっていたからか・・・。信州松代藩真田家は幕末まで続いた。家康にとって、強敵でありながらも武士としての才能を尊敬していたからか。


(玉造稲荷神社)

玉造稲荷神社・・・創建は紀元前12年とか、蘇我氏方の聖徳太子が物部氏との戦いで、この地に布陣し、戦勝を祈願したのが始まり。豊臣時代、徳川時代には大坂城の鎮守(守護神)として崇められたという。江戸時代にブームとなったお伊勢参りの出発点でもあった。

伊勢参宮本街道・・・伊勢まで170km、いつかは自転車で忠実に走破してみたい。その沿道には、今も当時の面影が色濃く残っているという。

越中井・・・細川ガラシャ(忠興の夫人)終焉の地とか。明智光秀の娘であり、キリシタンでもある。その数奇な運命は興味深い。

難波宮跡・・・正式には、難波長柄豊碕宮。日本の首都は転々としていて、飛鳥〇〇宮、難波宮、大津京、藤原京、平城京、恭仁京、紫香楽宮、長岡京、平安京、福原京などへと遷都され、現在は東京へと。大坂城の南に広大な公園があり、そこには大極殿の基壇や礎石が復元されている。首都高速道路がこの区間だけ高架から平面になっているのは、難波宮跡から大坂城が見渡せるようにとの配慮からとか。


(大坂城)

大坂城・・・大阪ではなく大坂、太閤さんのお城とも呼ばれ、関ヶ原の役後も秀頼が1615年の大坂夏の陣まで居城した。その後も、徳川幕府により、近畿や西日本へのにらみを利かす拠点の城となった。これは都市伝説の部類かも・・・未だ、東京へ都を移した家康は人気がなく、お城を構えた秀吉の方が親しまれているらしい。もちろん、家康を苦しめた真田幸村はトップアイドルとか・・・

真田十勇士・・・まさか実在の人物と思っている方はいないかと。猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三好伊三入道、望月六郎、穴山小介、由利鎌之助、筧十蔵、根津甚八、海野六郎。江戸時代中期以降、元禄期に書かれた小説『真田三代記』あたりよりストーリーが成立し、今に至っている。悪役?の徳川方をやっつける十勇士に庶民は日頃のうっぷんを晴らしたことであろう。

歴史旅は面白すぎる!・・・また次のネタを探してネット三昧な日々を送っている今日このごろ。

歴史旅 古都・奈良をゆく!!

2010-10-23 22:08:06 | 旅行
《歴史旅 古都・奈良をゆく!!》

 710年、元明天皇は藤原京より平城京へと遷都をされた。遷都1300年祭はそれにちなむ。奈良は日本の古都・・・公家文化の京都とは違う魅力があるように思う。

 先ずは大安寺へ・・・
南都七大寺・・・東大寺、興福寺、薬師寺、元興寺、大安寺、西大寺、法隆寺・・・説によっては
法隆寺の代わりに唐招提寺とするのもある。奈良時代に繁栄を極めた大きな寺院ということか・・・


(大安寺)

 歴史の道・・・奈良市内の外周を結ぶルートで、多くの歴史的な場所を訪ねることができる道。徒歩では、二日間は欲しい素敵なコースでもある。今回、大安寺より反時計回りで白豪寺、新薬師寺、春日大社、二月堂、東大寺へと自転車で辿ってみた。

 二月堂、三月堂、四月堂・・・国内、海外からの修学旅行生で賑わっていた。平日の早朝か夕方に訪れれば、1300年前の奈良へタイムスリップできるかもしれない。東大寺の横を通って正倉院に寄り、戒壇院、依水園、吉城園へと・・・


(二月堂から見る奈良の町)

 国立奈良博物館・・・久々の失敗劇・・・正倉院展が開催されているものとばかり思い込んで奈良へ来たが、実際は23日から・・・常設展を見たが、それでも感動。

 興福寺国宝館・・・あまりにも有名な阿修羅像を見る。ここは国宝の宝庫?久し振りに時間を忘れての鑑賞であった。


(大仏鉄道)

 大仏鉄道・・・明治時代、数年間だけ加茂駅から奈良市内の大仏駅をつないでいた鉄道。時間切れで訪ねることは出来なかったが、当時の遺構が残っているとのこで、次回の宿題とした。


旅行 北の大地へ・・・!!

2010-09-22 10:08:59 | 旅行
《旅行 北の大地へ・・・!!》

何年振りかで北海道を訪れてきました。
「大雪山を一周!紅葉の旅」とでもいいましょうか。
千歳~夕張~日勝峠~然別湖~糠平温泉~銀泉台~層雲峡黒岳~天人峡・旭岳~白金温泉~美瑛~富良野~千歳

全山紅葉とまではいきませんでしたが、北の大地を堪能してきました。

次回は、大雪山の縦走をと・・・ヒグマは怖そうですが(笑)

日勝峠・・・これを過ぎると十勝平野が目の前に広がる。日高山脈の北に位置し、その標高は1023メートルとか。

然別湖・・・北海道で一番標高の高い(810m)ところにある湖とか。この近くに北海道の三大秘湖と云われる東雲湖がある(他は、支笏湖のオコタンペ湖、阿寒のオンネトー)大昔、スプライトのCM撮影がここで行われたという。白馬も出演!??

糠平温泉・・・ぬかびらと読む。語源はアイヌ語なのか、源泉掛け流しの露天風呂に満足する。

三国峠・・・北海道最高所の峠。眼下に広がる樹海の雄大さには感動。トンネルを抜けると層雲峡へと至る。

黒岳ロープウェイ・・・層雲峡温泉より一気に大雪山黒岳の中腹へ。


(美瑛の丘)

美瑛・・・テレビでしか見たことのない場所で、感動!

望岳台・・・ガスの合間に十勝岳が見え隠れ。活火山の噴火は、まだ数年前、美瑛岳も見たかった。いつかは、旭岳、トムラウシ山、美瑛岳、十勝岳へと大雪山の縦走をしてみたい。


(青い池)

青い池・・・美瑛川に現れた人工の堰止湖。水に含まれるアルミニウムが神秘的な青い色の原因とか。まだあまり知られていないようであった・・・

白金温泉・・・のどかな温泉地、お湯は素敵でした。


(大雪山・旭岳)

旭岳・・・大雪山連峰の主峰であり、最高所。標高は2291m。活火山であり、今も山腹から水蒸気が上がっている。中腹まで簡単にゴンドラで上がれるため、多くの観光ハイカーで賑わっていた・

天人峡温泉・・・秘境的な温泉地。

富良野・・・ラベンダーとテレビドラマ「北の国から」で有名になった町。うねるように続く畑と、その向うに連なる十勝連峰の美瑛岳や十勝岳の眺めはとても雄大である。十勝岳は1988年にも噴火をしている。

千歳空港・・・北海道の空の玄関口。エゾシカの肉やトドの肉の缶詰が気になった。