Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

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峠旅 若狭・粟柄河内谷越えを行く!

2007-08-09 22:46:14 | Weblog
《峠旅 若狭・粟柄河内谷越えを行く!》

 自転車の楽しみ方はいろいろある。レースで極限を目指すもよし。MTBで過激なシングルトラックを楽しむのもよし。自転車そのものに興味を持つのもよし。

 個人的にはツーリングが全てだと思っている。未知の古道や峠を訪れるのはこの上もない楽しみでもある。

 若狭の美浜から近江の今津へ抜ける粟柄河内谷林道は以前よりの憧れの地であった。今回はサイクリング仲間のmiya氏の同行を得、心強い峠旅となった。

 先ずはJR北陸線の塩津駅より輪行となる。敦賀駅で小浜線に乗り換え、美浜駅にて降り立つ。天候は生憎の小雨であるが、若い?二人はやる気満々で、雨具を着けてのスタートとなる。

 耳川沿いに新庄を目指す。若狭の山間に点在する集落の景色は美しく、何代も続く民家のたたずまいは言いようのない落ち着きに満ち溢れている。

 「渓流の里」付近で道は東方向へ折れる。一気に道は山間へと入り、民家も無くなる。道端に「粟柄関所跡」の碑を見つけ、このルートがかつての歴史道であることを知る。

 粟柄越、それはかつて海津海道とも呼ばれ、若狭美浜と近江牧野をつなぐ主要街道であったという。北前船で運ばれてきた産物や日本海で採れた海の幸が近江の海津へと運ばれ、海津港より琵琶湖で大津へと向かい、京や大阪へと向かったのであろう。

 突然、後方から滋賀ナンバーの重機を積んだトラックが追い越して行った。山奥で工事でもやっているのか、気にも留めずに谷の奥へと進んで行く。

 なぜかの結果が出た。それは数日前に若狭方面で豪雨があったということである。山側から谷に注ぐ谷という谷には土砂があふれ、メインの道には50cm近い土砂が積もっていた。

 先ほどの重機が土砂を取り除いていた。その横を自転車を担いで通り過ぎるが、工事の方からのおとがめはなかった。「多分、この先も大丈夫であろう」と安易に判断をする。

 道は確実に高度を上げて行くが、舗装路のために安心感はあった。まったく人気は無く、うっそうとした緑と白い瀬を見せる沢の音だけが谷間にあった。東屋で休憩を取るが、峠(県境?)はすぐそこであった。

 県境から先は鎖が掛かり、車やバイクは入れない自転車専用道であった。事前の情報では11kmのダートが続くとあり、覚悟は決めるが、県境よりさらに上りが続くのには閉口した。峠は数キロ先であった。

 ようやくの思いで切通し状の峠にたどり着く。展望はないため、記念写真だけを撮って下りに入る。コンディション(フロントサス付きのMTB!)が良いのか、同行のM氏は快調に先を飛ばしていった。

 河内谷は二人だけの独占であった。車の心配も無く、思う存分にダート走行を楽しむ。雨も上がり、自然にどっぷりと浸かって自転車の峠旅を堪能した。

 三叉路より左にルートを採り、淡海湖(おうみこと読むのか)へ向かう。この辺りも豪雨の影響か、道の上を沢水が流れていた。

 やがて右手方向に白い布を垂らしたような滝が現れた。ダムの堰堤から流れ落ちる水が白いスクリーンのようになっている。その上へ歩いて登ると、その後ろには静かな湖が広がっていた。人造湖とはいえ、神秘的な風景にしばし見惚れた。

 高層湿原が広がるエリアを過ぎ、琵琶湖が見下ろせる場所に出たところに「ビラデスト今津」の建物があった。最高のロケーションであり、チャンスがあれば泊まってみたい施設である。

 冷えたビールと持参した食料で遅いランチを楽しむ。悪天候を突いての今回の峠旅を振り返って話しが盛り上がった。それなりの勝算があっての決行だと言い訳をしてみたが・・・

 琵琶湖に向かってダウンヒルに入る。高度感のある下りは何度体験しても気分の良いものである。琵琶湖に突っ込んで行くような感じは豪快そのものであった。酒波寺の横からは平野部となる。

 川沿いに湖へと出れば、そこは貫川内湖。それは昔の琵琶湖の跡のようであった。現在、琵琶湖には23の内湖が残っていて、その岸辺はヨシで覆われ、昔の琵琶湖の湖岸風景が残っている。現在ではあまりにも整備がされ、人工的になり過ぎた湖岸は風情があまりにもないと思うのだが。

 湖岸沿いの旧道を海津大崎へ向けて快走する。松林に覆われたサニービーチの辺りはちょっとしたリゾート気分である。天候の悪い中、家族連れが水遊びを楽しんでいた。

 海津大崎、大浦、永原と走り、岩熊トンネルを抜けて塩津へと戻った。約7時間の日帰りツーリングではあったが、念願の峠越えができ、大満足な一日が過ごせた。この場を借りて同行のmiya氏に感謝を申し上げたい。

 帰り道、伊吹の薬草風呂で冷えた身体を温め、翌日からの厳しい現実社会に備えた。

コースマップ
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=a0ce7e1800ec4d3d51944911a658c7fe

画像(期間限定)
http://album.nikon-image.com/nk/NK_AlbumPage.asp?key=1077488&un=56921&m=2&s=0

峠旅 佐久から上州への峠群をゆく! その3

2007-08-07 22:45:44 | Weblog
《峠旅 佐久から上州への峠群をゆく! その3》

 上州上野村、それは岐阜からはとても遠く、なじみのない場所であった。知識としては20年前の航空機事故ぐらい、あの時のテレビニュースは鮮明に覚えている。御巣鷹山の事故現場からヘリコプターで吊り上げられる生存者はとても信じがたい光景であった。

 乙母の民宿「今井家」に今日の宿を取る。山間のひなびた宿ではあるが、心づくしの料理に自転車旅ならではの感動を味わった。宿のノートにはテレビの旅番組のスタッフが何度も訪れていることが書かれ、壁にはその時の色紙が残されていた。

 三日目、今日は仲間と別れてぶどう峠を目指す。昨日のルートを戻り、日航ジャンボ機「慰霊の塔」を訪れる。坂本九に関連したグッズも多く展示されていて20年前の記憶がよみがえる。

 ぶどう峠への上りは厳しかった。5月といえども日差しは強く、何度も木陰を見つけては休憩を取る。振り返ると西上州の山々が眼下に見下ろせ、走ってきたルートをなぞってみる。

 幾つものカーブをこなし、ようやくぶどう峠へたどり着く。それほど目立つ感じの峠ではなかったが、長年の夢がかなった思いからか、峠の隅にたたずんでしばらく遠望を楽しむ。

 北相木村を目指して下りに入る。ダウンヒルは何度経験しても気分の良いものである。やがて正面に残雪の八ヶ岳が現れる。

 道が鉄道に出会うところが小海駅であった。小海線のネーミングにもなっている駅ではあるが、近代的過ぎて旅の情緒は感じられなかった。旅行者の勝手ではあるが、旅先の駅に旅情を求めるのはいたし方がない。

 小海線沿いの裏道をひた走り、スタート地点の臼田に戻った。

 初めて訪れた西上州の町々は期待以上に素敵であった。関東といえば開発が進んで情緒も何もないとうイメージを持っていたが、下仁田や上野村は昭和の良き時代をそのまま残してくれていて嬉しかった。