送別会で、久々恩人K君に対面。奥さんとK君そっくりな子供二人も姿を見せた。
大人の集まりだから、退屈した長男は紙飛行機を折り暫し遊んだ後、元の一枚の紙に戻し、別の起点から折りなおし遊び、また一枚に戻し、起点を変えては遊び、折りなおしを延々とやって、最後に紙を開いたときは線だらけの楕円状に紙が丸まっていた。構造解析でもやってんのかい?
R&Dの会社に勤めていたことがある。工学博士が部屋に6人。2週に一回は全体発表があり、アボガドロ定数やら、クーロンの法則やらもう会話の基盤が文系では理解不能なところまで進化していた。周囲の状況を分かりやすく通訳(理系用語→日常語)してくれたのがK君である。
黒板にf(Ei)=1/{Et(1/g)exp(Ei-Eπ)KT}とかスラスラ書き出す人ばっかだったのだ。(理屈が分からないで手元に残っている記録を写しているので、何か間違っているかも)とにかく頭が良いという基準が世間一般の基準とかけ離れていた。フツーの頭の人がいないのだ。とくに社長は発想が放射状に広がり、話の段階が飛ぶ。常に回転数の早いところで振り落とされるため、副社長にある日「社長って普通の人の回転速度を1としたら4倍くらいですか?」と聞いてみた。副社長はすぐさま首を横に激しく振った。「7倍半?」今度は縦に激しく頷く。どーりで、4週目で振り落とされるはずだ。
この社長、還暦近かったのだが、発想のエネルギーが並ではなかった。それから、別の次元からエネルギーを取り入れてるんじゃないかと思うくらい当たり前ではなかった。当たり前じゃないからR&D会社の社長になれるといえばその通りなんだけど。で、会社の日常というのが学会を常に繰り広げているような感じ。そんな中でK君は状況を噛み砕いて分かりやすく伝えるのが非常に上手かった。子供の父であるのを目の当たりにし妙に納得。そーか、あの時点では、父の心で接してくれてたわけだ。
大学の理工学部で奥さんと知り合い、奥さんは生年月日や電話番号を足して遊ぶような子供だったということでその感覚はK君も一緒。むろん子供たちも数遊びや図形が大好き。普通7歳で折り紙を縦横無尽の線だらけにしないって。
「国語や社会ができないから消去法で理系に行ったんです。」「文系だと色々覚えなきゃでしょ。定理ってないし。」と交互に夫妻。別に漢字なんて本読んでりゃ覚えるし、歴史なんて日本語だしぃ。生年月日足して遊ぼうという感覚自体が分からん。
多分、子供のときに楽しいと思う興味の方向性が既に異なりそれを理系文系ともに似たように興味への情熱で展開して行くのだろう。
会計で、さっと一家の分のお金を用意し、つり銭の額まで計算してくれた奥さんを見ていると、最初の数字の捉え方がすこぶる的確で早い。ここだな。感覚で本質を捕らえることのできる範囲が数字か文章か。この辺が起点で、あとは時間が醸成し理系文系の能力に固定し長じると互いに理解しにくいくらいの地点にまでいたるのだろう。
彼女が感覚で捕らえる数字を私は頭の中に文字としてイメージし計算していた。どこまでいっても数字は文字扱いなのである。
大人の集まりだから、退屈した長男は紙飛行機を折り暫し遊んだ後、元の一枚の紙に戻し、別の起点から折りなおし遊び、また一枚に戻し、起点を変えては遊び、折りなおしを延々とやって、最後に紙を開いたときは線だらけの楕円状に紙が丸まっていた。構造解析でもやってんのかい?
R&Dの会社に勤めていたことがある。工学博士が部屋に6人。2週に一回は全体発表があり、アボガドロ定数やら、クーロンの法則やらもう会話の基盤が文系では理解不能なところまで進化していた。周囲の状況を分かりやすく通訳(理系用語→日常語)してくれたのがK君である。
黒板にf(Ei)=1/{Et(1/g)exp(Ei-Eπ)KT}とかスラスラ書き出す人ばっかだったのだ。(理屈が分からないで手元に残っている記録を写しているので、何か間違っているかも)とにかく頭が良いという基準が世間一般の基準とかけ離れていた。フツーの頭の人がいないのだ。とくに社長は発想が放射状に広がり、話の段階が飛ぶ。常に回転数の早いところで振り落とされるため、副社長にある日「社長って普通の人の回転速度を1としたら4倍くらいですか?」と聞いてみた。副社長はすぐさま首を横に激しく振った。「7倍半?」今度は縦に激しく頷く。どーりで、4週目で振り落とされるはずだ。
この社長、還暦近かったのだが、発想のエネルギーが並ではなかった。それから、別の次元からエネルギーを取り入れてるんじゃないかと思うくらい当たり前ではなかった。当たり前じゃないからR&D会社の社長になれるといえばその通りなんだけど。で、会社の日常というのが学会を常に繰り広げているような感じ。そんな中でK君は状況を噛み砕いて分かりやすく伝えるのが非常に上手かった。子供の父であるのを目の当たりにし妙に納得。そーか、あの時点では、父の心で接してくれてたわけだ。
大学の理工学部で奥さんと知り合い、奥さんは生年月日や電話番号を足して遊ぶような子供だったということでその感覚はK君も一緒。むろん子供たちも数遊びや図形が大好き。普通7歳で折り紙を縦横無尽の線だらけにしないって。
「国語や社会ができないから消去法で理系に行ったんです。」「文系だと色々覚えなきゃでしょ。定理ってないし。」と交互に夫妻。別に漢字なんて本読んでりゃ覚えるし、歴史なんて日本語だしぃ。生年月日足して遊ぼうという感覚自体が分からん。
多分、子供のときに楽しいと思う興味の方向性が既に異なりそれを理系文系ともに似たように興味への情熱で展開して行くのだろう。
会計で、さっと一家の分のお金を用意し、つり銭の額まで計算してくれた奥さんを見ていると、最初の数字の捉え方がすこぶる的確で早い。ここだな。感覚で本質を捕らえることのできる範囲が数字か文章か。この辺が起点で、あとは時間が醸成し理系文系の能力に固定し長じると互いに理解しにくいくらいの地点にまでいたるのだろう。
彼女が感覚で捕らえる数字を私は頭の中に文字としてイメージし計算していた。どこまでいっても数字は文字扱いなのである。