畏れ多くも有難い重要文化財『万葉集 尼崎本』を読んでみたがもう理解の範疇ではないんだなぁー。系統が同じ現代日本語を使う小生が読んでさえ、1287年前の万葉仮名はもはや怪しい呪文。現代語表記に書き直してもらって、ようやく雰囲気が分かるという代物。発音も今のままではないよなー。寮に届く人民日報(海外版)の方がまだ、読めるもんね。で、またWIKI万葉集に戻る。
~全文が漢字で書かれており、漢文の体裁をなしている。しかし、歌は、日本語の語順で書かれている。歌は、表意的に漢字で表したもの、表音的に漢字で表したもの、表意と表音とを併せたもの、文字を使っていないもの(?どういう意味だ?絵か何かで書いてんの??)などがあり多種多様である。
編纂された頃にはまだ仮名文字は作られていなかったので、万葉仮名とよばれる独特の表記法を用いた。つまり、漢字の意味とは関係なく、漢字の音訓だけを借用して日本語を表記しようとしたのである。その意味では、万葉仮名は、漢字を用いながらも、日本人による日本人のための最初の文字であったと言えよう。
万葉仮名は、奈良時代の終末には、字形を少し崩して、画数も少ない文字が多用されるようになり、平安時代に至るとますますその傾向が強まり、少しでも速く、また効率よく文字が書けるようにと、字形を極端に簡略化(草略)したり字画を省略(省画)したりするようになった。 そうして「平仮名」と「片仮名」が創造されたのである。
現在でも万葉仮名は至る所で使用されており、難読地名などの多くは万葉仮名に由来するものが多い。~by WIKI
WIKIでさらに万葉仮名を引く。
~万葉集や日本書紀に現れた表記のあり方は整っており、万葉仮名がいつ生まれたのかということは疑問であった。正倉院に遺された文書や木簡資料の発掘などにより万葉仮名は7世紀ごろには成立したとされている。実際の使用が確かめられる資料のうち最古のものは、大阪市中央区の難波宮(なにわのみや)跡において発掘された652年以前の木簡である。「皮留久佐乃皮斯米之刀斯(はるくさのはじめのとし)」と和歌の冒頭と見られる11文字が記されている。しかしながらさらに古い5世紀の稲荷山古墳から発見された金錯銘鉄剣には獲加多支鹵大王という21代雄略天皇に推定される名が刻まれている。これも漢字の音を借りた万葉仮名の一種とされる。漢字の音を借りて固有語を表記する方法は5世紀には確立していた事になる。平安時代には万葉仮名をもとにして平仮名と片仮名が作られた。~
素晴らしいことに万葉仮名と仮名文字の対応表までこのWIKIの項目にはついていた。この表を暗記すれば、万葉集もすらすら通常文字として読めるということだ。
書物を並べてみないとその具体的変遷は分からない。で、京都大学電子図書館を見ていたら年代順の日本のメジャー文学作品一覧が既にあった(年表は中高生向けですと。日本人としてこれくらいは押さえとこうという本なのでしょう。)。
クリック一つで国宝やら重要文化財の本のJPEGが自分の家のPCに現れる。しかし、中高生向けの意味をここで納得。メジャーな所蔵本でないとJPEGには落ちていないのだ。所蔵本全てが電子図書館にあるわけではないだろうし。
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/np/index.html
たとえば、万葉仮名から平仮名と片仮名が作られるのにどれくらいの時間がかかったか誰がそれに携わったかという疑問が生じるとなると古代日本語史学者の著作を読むしか探索の方法がなくなってくる。記憶の片隅には、高校の日本史の補助テキストに3体の文字例が字体変遷の歴史として載っていたような気がするが、現存するのが3例のみということは高校の補助テキストに載っている確立された知識だからありえない。また、漢文から万葉仮名が作られる経緯だって不思議だ。夜露死苦の世界だもん。
現代は便利なものでWIKIで、古代日本語、日本語史等で検索をかけたら沖森卓也という古代日本語の権威という人の項目がでてきた。このままAMAZONで検索し著作を買うか図書館にいくかすれば、前述の疑問は3日で解決しそう。自分でWEBの資料集めても読めないし、経緯となると日本史の知識が考古学者なみにないと無理。自分でやっていたら、ゆうに40年はかかる。ここは研究者に頼るのが一番。小生の字体の変遷への疑問を学問分野としてたっぷり著している人がいたとは。有難い限りである。VIVA!WEBである。
~全文が漢字で書かれており、漢文の体裁をなしている。しかし、歌は、日本語の語順で書かれている。歌は、表意的に漢字で表したもの、表音的に漢字で表したもの、表意と表音とを併せたもの、文字を使っていないもの(?どういう意味だ?絵か何かで書いてんの??)などがあり多種多様である。
編纂された頃にはまだ仮名文字は作られていなかったので、万葉仮名とよばれる独特の表記法を用いた。つまり、漢字の意味とは関係なく、漢字の音訓だけを借用して日本語を表記しようとしたのである。その意味では、万葉仮名は、漢字を用いながらも、日本人による日本人のための最初の文字であったと言えよう。
万葉仮名は、奈良時代の終末には、字形を少し崩して、画数も少ない文字が多用されるようになり、平安時代に至るとますますその傾向が強まり、少しでも速く、また効率よく文字が書けるようにと、字形を極端に簡略化(草略)したり字画を省略(省画)したりするようになった。 そうして「平仮名」と「片仮名」が創造されたのである。
現在でも万葉仮名は至る所で使用されており、難読地名などの多くは万葉仮名に由来するものが多い。~by WIKI
WIKIでさらに万葉仮名を引く。
~万葉集や日本書紀に現れた表記のあり方は整っており、万葉仮名がいつ生まれたのかということは疑問であった。正倉院に遺された文書や木簡資料の発掘などにより万葉仮名は7世紀ごろには成立したとされている。実際の使用が確かめられる資料のうち最古のものは、大阪市中央区の難波宮(なにわのみや)跡において発掘された652年以前の木簡である。「皮留久佐乃皮斯米之刀斯(はるくさのはじめのとし)」と和歌の冒頭と見られる11文字が記されている。しかしながらさらに古い5世紀の稲荷山古墳から発見された金錯銘鉄剣には獲加多支鹵大王という21代雄略天皇に推定される名が刻まれている。これも漢字の音を借りた万葉仮名の一種とされる。漢字の音を借りて固有語を表記する方法は5世紀には確立していた事になる。平安時代には万葉仮名をもとにして平仮名と片仮名が作られた。~
素晴らしいことに万葉仮名と仮名文字の対応表までこのWIKIの項目にはついていた。この表を暗記すれば、万葉集もすらすら通常文字として読めるということだ。
書物を並べてみないとその具体的変遷は分からない。で、京都大学電子図書館を見ていたら年代順の日本のメジャー文学作品一覧が既にあった(年表は中高生向けですと。日本人としてこれくらいは押さえとこうという本なのでしょう。)。
クリック一つで国宝やら重要文化財の本のJPEGが自分の家のPCに現れる。しかし、中高生向けの意味をここで納得。メジャーな所蔵本でないとJPEGには落ちていないのだ。所蔵本全てが電子図書館にあるわけではないだろうし。
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/np/index.html
たとえば、万葉仮名から平仮名と片仮名が作られるのにどれくらいの時間がかかったか誰がそれに携わったかという疑問が生じるとなると古代日本語史学者の著作を読むしか探索の方法がなくなってくる。記憶の片隅には、高校の日本史の補助テキストに3体の文字例が字体変遷の歴史として載っていたような気がするが、現存するのが3例のみということは高校の補助テキストに載っている確立された知識だからありえない。また、漢文から万葉仮名が作られる経緯だって不思議だ。夜露死苦の世界だもん。
現代は便利なものでWIKIで、古代日本語、日本語史等で検索をかけたら沖森卓也という古代日本語の権威という人の項目がでてきた。このままAMAZONで検索し著作を買うか図書館にいくかすれば、前述の疑問は3日で解決しそう。自分でWEBの資料集めても読めないし、経緯となると日本史の知識が考古学者なみにないと無理。自分でやっていたら、ゆうに40年はかかる。ここは研究者に頼るのが一番。小生の字体の変遷への疑問を学問分野としてたっぷり著している人がいたとは。有難い限りである。VIVA!WEBである。