sdaruの日記

日々の色色な身の回り事を書いて行きます。

何処へ行くのだろう?

2011年04月15日 | 日記

朝は好天でした。

大きなリュックを背負った小父さんが通りました。

何処へ行くのでしょう。被災地のお見舞い?分かりません。

朝のうちは好天でしたが、次第に曇ってきて夕方からポツリと来ました。

今は本降りになって雨の音も聞こえます。

気温は高くなり寒さは感じません。

この雨で染井吉野も盛りは終わりでしょう。

しかし春です。女房が自分で育てた牡丹が綺麗だと騒いでいました。

記念に写真を写せと騒いでいました。

花は盛りを少し過ぎた感じですが、つぼみがまだ1つついていました。

いずれ咲くでしょう。

東日本大震災、復旧の兆しも見えますが復旧への国の予算はもたもたしています。

政治家は何をしているのでしょう。これほどの災害、国の応援無しには無理でしょう。

政権与党の中でも批判が出ています。

1日でも早く復旧復興の方針を出して欲しいすね。

政治の争いはこの復旧の見通しが立った後でお好きなようにやってください。

 


初夏のようでした。

2011年04月14日 | 日記

今日は風も無く暖かい1日でした。

道行く人の装いも春めいてと言うより初夏を感じさせました。

余り進展の無いのが原発の処置です。

長期戦は間違い無いようです。

瓦礫の片付けも殆ど進んでいないようです。

懸命に努力しているようですが、余りに広範囲です。

現地の様子はテレビ、新聞の報道で知るだけです。

政治家は何をしているのかさっぱり動きが報道されません。

報道されるのは管の退陣要求ばかりです。

やがて政治に頼らず自力とボランティアの応援で立ち治るかも知れません。

影で黙々と働く自衛隊、警察官などの力も預かっているでしょう。

せめて原発の先が見えると良いですね。

当県も原発があります。

東海地震がなどと言われている現在、人事ではありません。

 


竜馬が。

2011年04月13日 | 日記

大河ドラマで坂本竜馬が賑わったのも過去のことです。

その時以来当地に竜馬支援隊がに出来ました。

これを応援する人々は竜馬が当地に滞在したとの古文書もあると言っています。

しかし今まで発表されている竜馬の小説には出たことがありません。

その古文書に書かれていたと街中にいろいろな看板が立っています。

今日の写真もそのひとつです。

大河ドラマが終わると一般ではもう忘れかけられています。

しかし当地ではこれを信じている人が結構います。

虚実はともかく、このように書いてあるといつかは真実になるかも知れません。

吉田松陰が密航を企てのは真実のようです。

今日は図書館へ行きました。

本の返却と借り出しにです。

図書館まで往復500メートルくらいでしょうか?

私の家からさほど遠くは有りません、それでも持病の腰痛が帰路で出てきました。

3,4回立ち止まってしまいました。

ゆっくり歩けばよいのでしょうが、根がせっかちですから無理して早く歩こうとするからです。

帰って暫くは椅子に座って痛みを鎮めます。

今日は好天でしたが、少し冷たい風が吹きました。

風のあたらない場所は暖かくああ春と言う感じでした。


染井吉野

2011年04月12日 | 日記

地震、津波に関係なく春はやってきています。

腰のリハビリに通う小さな駅の駐車場の染井吉野も満開でした。

プラットホームから見える川沿いの土手の桜も満開でした。

当地早咲きの桜で人を集めますが、染井吉野の満開はまた別の風情があります。

すでに吹くと思えぬ僅かな風に花びらが舞い始めていました。

三日見ぬ間の桜かなの言葉どうり、明後日あたりは桜吹雪になるでしょう。

天気予報は土曜日あたりまでは良いようです。

電車の乗客も前回よりはまた増えていました。

震災の危機を乗り越える勇気を桜に貰いたいものです。

話違いますが、以前このブログで小春日和と言う言葉を使いました。

書いている私もはてなと首を傾げながら書いたのですが。

使い方が可笑しいと指摘してくれる人が居ました。

本来は晩秋から冬にかけて使う言葉だと。

そうですね、言われたとおりと思いました。

3月になっても寒い日が続いたので、寒さに負けてええ良いかと思って書きました。

間違った言葉を使いをして年甲斐も無いと恥じ入っています。

 

 

 


また揺れた。

2011年04月11日 | 日記

朝方は好天でした。お婆さんが通りました。

時間が過ぎると少し雲が増えました。

小春日和とは行きませんが、1日雨は降りませんでした。

夕食の時です。

何か目まいがすると思って頭を振りました。

天井から下がっている火災報知機の紐を見ました。

揺れています。少し揺れが大きくなりました。

一緒に夕食をしていたお婆さんば揺れている、テレビと言いました。

テーブルについていた孫2人も揺れていると言いました。

テレビが言いました。

茨城沖で震度6弱の地震です。

津波警報が出ました。海岸には近寄らないでくださいと。

座っていて分かるゆれだから震度3くらいかなと私は言いました。

それから続けて3度くらいテレビでは地震の報道がありました。

下から揺り揚げるような直下地震と違って、横揺れは船酔いに似た感じになります。

1ヶ月過ぎますがまだ余震はあるでしょう。


入り口は何処

2011年04月10日 | 日記

昨日は入学祝いでブログお休みでした。

6番孫の中学校入学のお祝いです。まだ小学生の感じの孫です。

中学も公立で試験があるのではないのですが。

親にしてみれば祝ってやりたい、親馬鹿で孫の希望で開店寿司へ行ってきました。

今日は当地、県会員議員選挙です。

午後から投票に出かけました。投票所の前には賑わい市が立っていて投票所の入り口が見えません。

昨日の雨と違って今日は小春日和で人は大分出ていました。

投票所はこの人ごみの奥にあります。

投票所は人はぽつぽつとやってきました。

結果は今夜のうちに判明します。

当地区は民主、自民の一騎打ちです。

県知事は民主系ですが、自民の候補は議長経験のベテランです。

さてどちらが勝つか?

私はいろいろな理由で自民の候補に肩入れしています。

選挙の都度思うのですが、開票が始まるとすぐ当確が出ることです。

マスコミが出口調査を行い推計するのです。

まず外れる事はありません。何か味気ない気がします。

候補者は嬉しいでしょうが。

今日は夕方まで好天でした。

 


人が増えてきた。

2011年04月08日 | 日記

車へ乗るのを止めて、腰のリハビリに行くのを電車にしました。

電車は今はまだ節電で一時間に1本の割合です。

電車利用になって今日で3回目、最初の時は地震の直後でガラガラでした。

2回目は少し増えました。

今日は3回目でしょうか、乗客は増えています。

観光客らしい人もちらほら見えます。

地元の人の動きも大分活発になりました。

週末には東京からの直行便も復活するとの報道もあります。

少しでも春の行楽に来る人が増えることを願っています。

しかし昨日の余震、大きくて驚きました。

私のところでも寝ていたら揺れを感じました。

震度は発表されませんでしたが経験から行くと震度3位はあったでしょう。

普通でいくと余震というより、本震に近い揺れでした。

被災地の方はさぞ驚いたことでしょう。

群発地震を経験しています。毎日揺れていました。

終いには地震なれして震度3くらいではおどろか無くなりました。

群発地震は毎日揺れ、1月半くらい揺れていました。

今度の東日本震災とは震源が全く違いますが。

大きな被害の無い地震でした。

時が過ぎるとその時の恐怖感は薄くなって行きます。

それでも地震は嫌ですね。


似ているけれど。

2011年04月07日 | 日記

今朝方似たような服装の男の人が通りました。

制服?と思いましたが少し違うようです。

昨夜町内の会合があり、少し酔いの残った頭で見たためでしょうか?

何処かへ仕事に行くのでしょうか?

男の人が2人このような服装で通ることが珍しいのです。

濃紺のスーツ姿はたまに見かけますが。

官房長官が似合わないジャンパー姿で記者会見するのよりはずーっとましです。

原発報道に気をとられ日延べしていた散髪に行って来ました。

頭の格好はすっきりしましたが。

目に見えない放射能物質はすっきりしません。

いろいろなことがネット上で書かれています。

後講釈はもう結構です。しないよりましかも知れませんが。

事後の処理の1日でも早いことを願っています。

東電のマスコミ対策を非難している文章も読みました。

原発推進の経済界を難ずる文章も見かけました。

すべて想定外とする考えに反するとの文章も読みました。

事前にこのような文を書いていれば心から納得しますが。

少し割り切れない気もします。

テレビにしろ新聞にしろ体制に順応する事が多いので報道しないのでしょうか?

事後の批判は簡単です。事前に批判をし発表したら尚良かったと思うのですが。

東電大企業病だったのかも知れません。

 


何を写した?

2011年04月05日 | 日記

若い娘が2人通りました。

1人は携帯、1人はコンデジを持ってあれこれ写しながら通りました。

私の家の横に当市の旧町名の小さな石の杭が立っています。

これを写しているようでした。

体の大きさ様子から言って中学生のように見えました。

手当たり次第と言う感じであれこれ写していました。

学校の宿題?レポートかなと思いましたがはっきりしません。

お婆さんは6番孫が中学生になると言うので大人用の自転車を買ったようです。

中古で電動アシストがついているようです。

自転車屋の若旦那が何か説明があるようですが、孫不在のため後で聞きにやる事にしました。

私が口を出すとまた後でややこしくなりますから、黙って見ていました。

原発はまだどうなるか分かりません。

国外からは結構いろいろな報道があるようです。

世界中に広がる原発、それぞれの国の立場で意見が出ているようです。

皆それぞれに言いますが、われわれ日本人はこの事故が1日も早く収束する事を願う

ばかりです。

 


報道も落ち着いた。

2011年04月04日 | 日記

地震からやがて3週間、報道も落ち着いてきました。

被害の無い当地は早くから落ち着いていますが。

観光関係の商売の人達は落ち着きません。

計画停電の影響もあり、これから先どうなるのか落ち着かない気持ちで過ごしています。

原発の報道も後講釈のような報道が増えています。

今は1日も早い収束を願っています。

道を通る人は相変わらず多くありません。

街中は閑散としています。

時折通る人の後ろ姿を追っています。

群れて通る人は有りません。

それで後姿も1人の人が多いのです。

よく言えば静か、悪く言ったらなんて言うかな?

閑散ですが、商店街閑は困ります。

一番人の集まる駅構内も臨時休業です。

まだまだ観光の気分になるのには無理でしょう。

シーベルト、ベクレル、新しい言葉を覚えました。


托鉢

2011年04月03日 | 日記

リーんリーんと音がしました。

このような音のするものは無いはづと周りを見回しました。

分かりません、道路を見ると鈴を振りながら僧が通りました。

立ち止まることなく通りすぎています。

衣は墨染め、戸口にたたずむことも無く通って行きました。

喜捨を受ける様子も見えません。

修行の為の行脚でしょうか?暫く考えましたが分かりません。

ゆっくり歩いていた僧が早足で引き返して来て通り過ぎました。

托鉢でもなくますます分かりませんでした。

原発はその後余り変化はありませんが、心の片隅にひっかかっています。

昨夜のテレビを見ているとますます長期戦の様子です。

今朝も都知事候補の討論がありました。

いろいろに言っていました。

これはと言う名案は無いようです。

外国の政府は別にして、庶民は風評に過剰に反応しているように見えました。

まるで日本が沈むような感じに見えてなりませんでした。

テレビで日本を逃げ出せと催促する肉親の姿が映し出されました。

立つ立場によって違った日本が見えて来ました。


春めいて来た。

2011年04月02日 | 日記

春めいて来ましたね。

もう4月ですから当然といえば当選ですが。

俗に寒いも暑いも彼岸までと言いますが、彼岸はとっくに過ぎました。

春眠暁を覚えず、とも春宵一刻値千金とも言います。

三寒四温とも言いますが、春は皆さん嬉しい季節です。

地震の被災地はまだ寒い日がありそうですが春は近くに来ています。

亡くなられた方、行方不明の方も居ます、ご冥福を祈り、万一の希望を持ってください。

春めくと、道行く人の服装も軽快になってきます。

染井芳野の開花も日ごとに近づきます。

統一地方選挙も告示されました。

これから4年間地方の政治を任せる人を選ばなければなりません。

当地は1人区、候補2人の激突です。

今までは2人区でした。人口の減少で1人区になりました。

どちらが過疎化の歯止めになるか、10日には判明します。


また少し人が増えた。

2011年04月01日 | 日記

ネットで原発を見ていました。

どうも長期戦の様子です。余り気を使わないことにしました。

腰のリハビリに出かけました。

電車です。乗っている人も駅の構内にもまた少し人が増えたようです。

腰の調子も少しはよくなったような気もしました。

駅の近くを歩いて居るのは若い人が多いようです。

間に小母ちゃんが入って懸命に歩いていました。

少し元気を貰いました。

腰に痛みは出ますが座って休むことも無く往復できました。

夕刊を見ていて不快な記事がありました。

立ち入り禁止の原発土地の中へ入った車があったしそうです。

東電係員の制止を逃れて入り込んだようです。

何を考えているのでしょう?

多くの人が混乱、気にしていることをわざわざするのです。

敷地内を車で10分も走り回ったとか。

捕まえずに放射線被曝でくたばってしまえと言いたいですね。

そういえば腰のリハビリの順番を待って居る時にもおかしなことが有りました。

突然、奇声を発した人が居ました。

何事と思ってみていると側に居た男の人が制御しました。

そうここの医院、精神科も兼ねています、多分その科の患者でしょう。

こちらは納得しました。

被爆地を走った男も精神科行きのような男かも知れません。