1、「改憲勢力2/3」という用語がやたら目立つマスコミの論調
このフレーズは、「改憲は時代の流れに背き、その論に組することは宜しくない」との牽制の意図を込めた造語だと当方は解釈している。確かに、参院選前後からこの用語をやたら見聞きする。
憲法改正の本丸は間違いなく憲法9条だ。本丸を正さずして憲法改正の成果は完結しない。9条は、それほどの重みと意義のある改正対象条文だから、時間をかけ英知を出し合って慎重に改正すべき剣が峰に位置する条文だ。
他にも現憲法上の問題点は広範多岐に及ぶ。例えば「・・諸国民の公正と信義に信頼して国の安全と生存を保持する・・」とする他力本願的な国の安全の基本に関する憲法前文の規定や、前文そのものの構成・内容上見直しの余地は多々ある。現憲法には、国民の権利に関する規定が多い(10条~40条)が反面、国民の義務として規定されていることは極めて少ない。
更には、「裁判官の報酬は在任中減額することは出来ない(70条~80条)」との規定のことや、暫定的な国会権限の代行(101条)や第一期参議院議員の任期の特例(102条)を定めた規定など、今では全く死文化した憲法制定当時の規定がそのままになっている。
憲法を素直に通して読めば、不可解な記述がいろいろ目につく。そんな欠陥があるのに一字一句も改正不可で、改憲の動きは、時代に逆行しているかのように吹聴する論調には不快感さえ覚える。
2、「自衛隊違憲論」者や政党からは今も聞こえてこない「自衛隊縮小」乃至「解散論」
自衛隊違憲を綱領にも規定して重視している政党が、このことを選挙公約に掲げた例をこれまで殆ど見たことはない。世界で有数の軍事力を有する自衛隊は、立派な軍隊なのに憲法上の位置づけが、不明確なのは世界の軍の中では自衛隊だけだ。
前身の保安隊以来、継子扱いのままだ。認知されていない自衛隊が、「安保法制の主軸・主役」になっている。ならば自衛隊をその主役の座から降せばよかろう。そのためにも本来的主張である「自衛隊の縮小乃至解散」について「自衛隊違憲」論の立場に立つ政党や識者はそのことを何故強く、継続的に語らないのか。
それは、自衛隊の存在価値を現状では認めざるを得ないが故に、堂々と選挙の度等に自衛隊解散・縮小を説けば党のイメージ低下になるし、集票にも影響すると観ているからだろう。誠に硬骨なご都合主義の立場ではなかろうか。
重ねて憲法改正反対論者に問いたい。9条改正絶対不可とするなら、何故今迄自衛隊縮小乃至解散の世論喚起を疎かにして来たのか。今後もこの、そもそも論に触れず、只管オウム返しのように「安保法制」廃止、「9条改正」反対を叫び続ける積りだろうが、その認識が不可思議でならない。
3、当座凌ぎにしか観えない野党4党共闘の怪
先の参院選で野党4党共闘は一定の成果を収めたことは確かだ。だが実態は、4党共闘ではなく2党共闘だ。しかも、共産党票のお陰で民進党が面子を保った形だ。都知事選でもこの構図で選挙戦が戦われる。
は今や共産党票を抜きに単独では、政治の動きに大きな流れを作れない政党になり下がっている。だから、民主党時代から引き継いでいる同党綱領中の「・・未来志向の憲法を国民とともに構想・・」とか「・・日米同盟を深化させる・・」とする「改憲志向で安保体制堅持の政党」なのにそんな主張を昨今は全く封印し、「安倍政権のもとでの憲法改正の動きには組しない」などと、共産党寄りとも受け取られ易い姿勢を示している。民進党はこの分では今後も「我が党は、改憲には否定的な政党ではありません」とは云わないだろうし、云えなくなるだろう。
野党第一党としての矜持はどこかに行ってしまった感じがする。かって安保反対闘争の大きな節目(1960年、1970年)の時でも、当時の社会党は、党の主体性を貫き、社共共闘を組みはしなかった。
今日の民進・共産両党はどちらも腰が軽く、党としての主体性があるのかないのかよくわからない。どちらがどう引っ張りあって出来た都知事選での共闘体制なのか知る由もない。昨今の民共両党は「政策協定よりも単一の共通目標優先、戦略より戦術優先」の政党運営をやっているようで、これまたどこか違和感が強い共闘の怪だ。
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