6月28日で満79歳になった。なつたと云うより、諸々の人に支えられ「お陰で長生きさせて貰って今日に至っている」と認識すべきであろう。いずれにしても、ありがたいことである。気持ちの面では未だ「古希」位の積もりなのに、社会通念上は、もう「傘寿」直前の老人になっている。
劉廷芝の代表作「代悲白頭翁」の詩の中にある「・・年年歳歳花相似 歳歳年年人不同 寄言全盛紅顏子 應憐半死白頭翁 此翁白頭真可憐 伊昔紅顏美少年(・・年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず 言を寄す全盛の紅顔子 應に憐れむべし半死の白頭翁 此の翁の白頭 真に憐むべしこれ昔 紅顔の美少年)」の文節が当方大好きである。
どちらかと云えば当方も少年の頃は、紅顏美少年だったように思う。それはともかく、当時は多少風邪気味でも、学校を休むのは「生徒の恥」だと心得ていた時代だった。手袋等したくてもなかった吹雪の日でも、ホッペを赤くして通学していた頃の郷里の小学校も来年6月、少子化対策の一環で廃校になるそうだ。こうした通学環境の変化も時代の必然の流れであろう。小学時代から60数回の年年歳歳、歳歳年年を経て今の自分がある。幾度かの試練や苦難もあった。
人生には、山もあれば谷もあるのは当然だ。この先、新たな試練や苦難もあるだろう。無事傘寿の坂を登ってもその先、まさかの坂に遭遇するかも知れない。老生の実人生は確かに下り坂の途上にあるとしても、未だ余生は残されている筈だ。
人生の終章を「ピンコロ終焉」で迎えたい。ぜひそうありたいと切に願っている。けれどもそれ迄の間は、持病と上手に付き合いながら、周りに余計な迷惑をかけることなく、努めて元気で長生きしたいものである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます