気心は未だ若い「老生」の「余話」

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危険地域での取材・報道の自由に関する疑問

2015-02-08 18:49:11 | 時評

「シリア」への渡航を計画中だったフリーカメラマンに対する「旅券返送命令」が実行された。このことに関し、渡航・取材と表現・報道の自由の問題が又話題になりつつある。

概してわが国では、取材・報道等の自由の問題は、絶対不可侵の権利の如く取扱われている。反面、取材・報道の必要性や限度・取材手段の妥当性・取材対象情報の有用性等についての議論はタブー視されている傾向がある。

フリ-ジャーナリスト諸氏は、現地に行って観なければ解らない情報を収集して、国内外に向けてその内容を発信する崇高な目的と理由が我々にはあると主張される。確かにその一面もあるのだろう。

だが、果たして危険を冒してまで、紛争地域周辺での取材活動を行う絶対的な理由や必要性が果たして本当に有るのか否か。事前にどの程度真剣に検討し、そのための対策を立てて取材されているのかは当人しか解らない

「2邦人の人質殺害事件」の際も、事件の経緯は縷々報道されたが、事件後も「何故取材に入ったのか」「何故その必要があったのか」等に関する報道は、マスコミ関係機関から一切報じられては来なかった。それは何故なのだろうか。

注意勧告等に反しての取材間、不幸にして被害事件に巻き込まれた場合、当然のこととして政府関係者以下は、貴重な時間、労力、経費を厭わず全力で救出活動を行うことしなる。

反面、無事危険を回避して帰国した取材者は、業として行った成果として、講演会・写真展・取材記等により、相応の経済的還元を受ける。事故があれば、理由・経緯の如何を問わず「国」が関わり、無事帰国の場合は、その筋から相応のフリ-ジャーナリストとしての評価を受ける。何だか腑に落ちない気もする。

今回の「旅券返送命令」の実行を契機に、邦人の安全を考慮して行われる諸勧告、規制規則、慣行や社会通念等にそぐわない取材や報道規制は、今後より正しく行われてしかるべきだ。

2邦人の人質殺害事件後「安易な自己責任論はよくない」とか、「政府の救出活動が適切だったのか詳しく検証が必要だ」とかの主張が最近報道されている。その主張にも一理ある。

問題は、「イスラム国」支配地域に限らず、海外の要注意周辺国での取材や報道の慣行や規制等は現状のままでいいのか、今後どうあるべきか、についてマスコミ側からの報道があって然るべきなのにそれが、殆どないのは何故なのか、不思議である。

要は、「自己責任論」の問題を含め、もっと正面から取材・報道の自由と統制・規制に関する問題についての議論があって然るべきではないだろうか。

 

 

 


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