miyabuの雑記帳

ボケ老人の無責任なお話

続・古知野案内

2008-10-29 | Weblog
高屋の大杉=両高屋=(原文のまま写す)古来当町辺一帯は大原野であった。一望十里、流れるに任せた、大木曽の支流は、転々として、一雨ごとに、水向きを転変して旅人を、混迷させた。高屋の大杉は、唯一の目標にされて、遠く数里の彼方からも巨樹の姿を見せていた。[中略]今ある大杉は、その若木であるけれども、遠望よくこれを知られ、古き昔を忍べよがしに樹っている。

石作天神の祠跡=石枕=従3位石作天神の祠跡が、石枕にある、現在の梅ノ木天神と言う小字がそれである。いつの時代か誤って稲荷とし、石枕の名伝説が生れた、その稲荷も、徳川時代に名古屋に遷座され、影もなかったが、最近同地に稲荷社を祭って、霊験の高いことを伝えられている。なかんずく花柳筋の参詣者多く、形は無くなっても、石作天神の祠跡は永遠に保たれて、変わりながらも、伝えられていくことであろう。

花霞=古知野=この辺りには、広大な桃林があり、花霞の里といって、初春の1日をここで過ごす、雅客が沢山いた。しかし今は、一面の桑畑である、桃林から桑園も昔、明日は、弦歌さんざめく夜の大舞台となるだろう。

井出の清水=宮後=伝説悲恋お菊物語・羽黒街道を郷祉井出神社より、東へ一町、路傍に、湧き出でる清水がある。前野の清水とも呼ばれて、青木川の水源となっている。年中清き水、湧き絶えたことなく、暑熱のころの旅人のオアシスであった。
この井出の清水に、悲恋お菊物語が秘められている。[長くなるので割愛]

巧の久七伝説(上奈良)、杢左エ門伝説(東野)、など特に、上奈良や東野には伝説が多いようです。これらは、昭和9年に纏められたものです、現在知っている人がいるだろうか、昭和9年と言えば、私が生れた年です。それもあって、この本に興味を惹かれたのです。