今日、江南図書館で、文庫本のコーナーを見ていたら、文春文庫「納棺夫日記」青木新門なる本が目に付いた。あまり見かけない著者名だが、2~3年前、映画「おくりびと」が話題を呼んだことを思い出し、その原作かなと、読み始めて一気に吸い込まれるように、読了しました。「おくりびと」は(第1章みぞれの季節)をヒントに映画化されたものでしょう。
構成は、第2章「人の死いろいろ」、第3章「ひかりといのち」からなっており、第2章では、死を恐れ、恐る恐る覗き込む人達のどろどろした、視線が背中に感じられ、死者の安らかな美しさに対して、生者の醜悪さが気になり始める。
第3章では、親鸞の「仏は不可思議光如来なり、如来は光なり」の言葉に出会い、自分の経験から、これこそ真理だと納得、親鸞が、「大無量寿経」こそ釈迦が生涯をかけて説いた教えの中で、究極の真理だと断定する理由は、釈迦如来の顔の光り輝く様子が、大無量寿経に描写されているからだと、説明しています。
この本が出版されてから、30年近くなるようですが、不勉強にて今まで知りませんでした、今更の感もありますがお勧めの一冊です。
構成は、第2章「人の死いろいろ」、第3章「ひかりといのち」からなっており、第2章では、死を恐れ、恐る恐る覗き込む人達のどろどろした、視線が背中に感じられ、死者の安らかな美しさに対して、生者の醜悪さが気になり始める。
第3章では、親鸞の「仏は不可思議光如来なり、如来は光なり」の言葉に出会い、自分の経験から、これこそ真理だと納得、親鸞が、「大無量寿経」こそ釈迦が生涯をかけて説いた教えの中で、究極の真理だと断定する理由は、釈迦如来の顔の光り輝く様子が、大無量寿経に描写されているからだと、説明しています。
この本が出版されてから、30年近くなるようですが、不勉強にて今まで知りませんでした、今更の感もありますがお勧めの一冊です。