来年4月の国立市会議員選挙に挑戦することを決めたのは、今年の4月。
地域の方々と対話したり、学んだり、駅や街角でマイクを持って話しをしたり
無我夢中で…
あっという間に8ヶ月が経った気がします。
今日は、国立市の商工会館で、来年の選挙にむけての初めての演説会が
開かれました。
4期続けている清水秀子都議会議員の話の後に、私の番でした。
ベテラン都議のあとで、緊張しました。
自分の言いたいことを文章にする、そして、それを話として伝えることを意識すればするほど、これでいいのか…と直前まで悩んでました。
50歳にして…正確には51歳にしての挑戦です。第2の人生!?は、これからです。
今日の私の話をここに記します。
紹介いただきました尾張みやこです。よろしくお願いいたします。先日駅前で話をしていましたら、「尾張さんですね、僕も愛知県出身です、応援してます!」と握手をもとめられ、実は生まれは九州の宮崎県とはいえませんでした。宮崎県にはじまり、茨城県、福岡県、熊本県、北海道と、数えてみましたら、生まれてから22回の引越しの上に、6年前にやっと定住の地国立にきました。
突然ですが、みなさん、駅の階段でころびそうになったことはありませんか?私はおっちょこちょいで、何度も…転んでいます。子ども達が大またで駆け上がるのを見るとヒヤリとし、また、一歩一歩足を運ぶ方を見るたびに、さまざまな目線を、暮らしと政治に反映していかなければと思います。その仕事を私はしていきたいと決意いたしました。どうぞ、私尾張みやこに、まず、みなさんの力強いご支援をお願いいたします。本日は、自分自身の経験をもとに、教育と障害者の問題に絞ってお話をさせていただきます。
この夏、本当に暑かったですね。子ども達がすごす教室、9月の暑い日、なんと教室の温度計は38度になった日があるのです。図書室にもクーラーがないのは、東京都の中で国立を含めてたった3市だけです。私は、日本共産党の市議団とともに教室にクーラーをと、市に申し入れ、都庁にもクーラー設置の助成を求めてきました。都は助成を決めました。未来を支える子ども達の学びやに冷房をいち早く完備させるよう、私は要求をしてまいります。
風通しは冷房だけではありません。最高でも30人のクラスづくりで、一人一人の表情と教員が向き合える環境にしたいものです。 私はこれまで40人のクラスを持ったことも24人のクラスをもったこともあります。1時間の授業でも、24人のクラスだとすべての子どもに目が届きます。こどもに寄り添うことができたとき、子どもは大きく伸びてくれるのです。わたくしのささやかな経験のなかの大きな実感です。
私は今年の3月まで、国立市内の小学校で普通学級に通っている軽度発達しょうがいのお子さん方の支援をしてまいりました。いつもそばにいるよ、見守っているよということが伝わったとき、じっと座っていられなかったり、教室を飛び出してしまったりするお子さんが、落ち着いて学べるようになります。今の子ども達は、競争と多すぎる情報にさらされています。大人たちも忙しい今、学校の役割はさらに大切になっています。今、必要なのは、一人一人の子ども達に寄り添える教員、大人です。そのためにも、30人以下のクラスは絶対に実現すべきことです。
また、私は小学校に勤めているときから、学校の図書館司書やスマイリースタッフの時間や数をふやしてくださいと、教育委員会に要望をしてきました。国立市は学校の耐震工事がまもなく終わります。そこで、その分を教育の充実と父母負担の軽減に使うように要求していきます。
先日、もうすぐお母さんとなる方とお目にかかったとき、その方が「国立は家賃や税金が高い、保育園や病院も少ないから隣の町に引っ越すことにしました。周りにもそんな人が多いのです」といわれました。国立を子育て世代にとっても魅力的な町にしていかなければと思いました。
子育てといえば、私もまだその最中です。しょうがいを持った私の娘が作業所で実習をしました。手作業で菓子箱の組み立てや絞り染めなどの下請けの作業です。娘は「仕事をする人になっておこずかいをためて、ヘルパーさんが持っているあこがれのアイポッドを買うんだ」と張り切っています。ところが、お給料は三百円から六百円程度です。これは時給ではなく日給です。1ヶ月働いても1万円前後です。おまけに障害者自立支援法のために、そこから給食費が引かれるので、手元にはほとんど残りません。どんなに働いてもアイポッドは手に入りません。作業所ではたらく障害者には最低限度の生活も保障されていないのです。
こんな社会ではいけません。市役所で話を聞くと、自立支援法のためにできないことを市独自で補う努力もなされています。それはすばらしいことです。ただ予算の壁に出来ないことが多すぎると職員は語ります。
私の娘は生まれたときに、かなり重篤になるので覚悟してくださいといわれましたが、札幌の発達医療センターでの早期訓練と親への手厚いサポートのおかげもあり、専門医が驚くほど発達してくれました。国立市には、そのような子ども達の療育センターがありません。子どもの発達相談、親子を含めて支援でき、訓練もできる施設が必要です。市の福祉課も必要だと認めています。また、障害者のグループホームや高齢者の居場所づくりが求められています。
私はもっとも弱い立場の人々が心豊かに暮らせる社会こそ、すべての人が安心して暮らせる社会だと思います。教育や子育て、障害者の問題はすべていのちの問題、平和の問題に繋がっています。
私の叔父は、特攻隊としてあの戦争の時代に若い命を散らせました。私は、教育が軍国主義に奉仕する人間育成になっていたことを知り、平和を愛し、真実を見抜く目をもった子どもたちを育てたいと教師への道を選ぴました。また、日本共産党が戦前から命がけで戦争反対を貫いてきた事実を知り衝撃を受けました。いのちを大切にし平和を築きたい、これが私の政治への挑戦の原点です。わたくし尾張美也子はこれまでの子育て、教員の経験を生かし、福祉や教育、くらしの切実な願いを市政につなぎ、日本国憲法が響く暮らしをめざして、しなやかにたくましくがんばってまいります。ご支援を重ねてお願い申し上げます。
地域の方々と対話したり、学んだり、駅や街角でマイクを持って話しをしたり
無我夢中で…
あっという間に8ヶ月が経った気がします。
今日は、国立市の商工会館で、来年の選挙にむけての初めての演説会が
開かれました。
4期続けている清水秀子都議会議員の話の後に、私の番でした。
ベテラン都議のあとで、緊張しました。
自分の言いたいことを文章にする、そして、それを話として伝えることを意識すればするほど、これでいいのか…と直前まで悩んでました。
50歳にして…正確には51歳にしての挑戦です。第2の人生!?は、これからです。
今日の私の話をここに記します。
紹介いただきました尾張みやこです。よろしくお願いいたします。先日駅前で話をしていましたら、「尾張さんですね、僕も愛知県出身です、応援してます!」と握手をもとめられ、実は生まれは九州の宮崎県とはいえませんでした。宮崎県にはじまり、茨城県、福岡県、熊本県、北海道と、数えてみましたら、生まれてから22回の引越しの上に、6年前にやっと定住の地国立にきました。
突然ですが、みなさん、駅の階段でころびそうになったことはありませんか?私はおっちょこちょいで、何度も…転んでいます。子ども達が大またで駆け上がるのを見るとヒヤリとし、また、一歩一歩足を運ぶ方を見るたびに、さまざまな目線を、暮らしと政治に反映していかなければと思います。その仕事を私はしていきたいと決意いたしました。どうぞ、私尾張みやこに、まず、みなさんの力強いご支援をお願いいたします。本日は、自分自身の経験をもとに、教育と障害者の問題に絞ってお話をさせていただきます。
この夏、本当に暑かったですね。子ども達がすごす教室、9月の暑い日、なんと教室の温度計は38度になった日があるのです。図書室にもクーラーがないのは、東京都の中で国立を含めてたった3市だけです。私は、日本共産党の市議団とともに教室にクーラーをと、市に申し入れ、都庁にもクーラー設置の助成を求めてきました。都は助成を決めました。未来を支える子ども達の学びやに冷房をいち早く完備させるよう、私は要求をしてまいります。
風通しは冷房だけではありません。最高でも30人のクラスづくりで、一人一人の表情と教員が向き合える環境にしたいものです。 私はこれまで40人のクラスを持ったことも24人のクラスをもったこともあります。1時間の授業でも、24人のクラスだとすべての子どもに目が届きます。こどもに寄り添うことができたとき、子どもは大きく伸びてくれるのです。わたくしのささやかな経験のなかの大きな実感です。
私は今年の3月まで、国立市内の小学校で普通学級に通っている軽度発達しょうがいのお子さん方の支援をしてまいりました。いつもそばにいるよ、見守っているよということが伝わったとき、じっと座っていられなかったり、教室を飛び出してしまったりするお子さんが、落ち着いて学べるようになります。今の子ども達は、競争と多すぎる情報にさらされています。大人たちも忙しい今、学校の役割はさらに大切になっています。今、必要なのは、一人一人の子ども達に寄り添える教員、大人です。そのためにも、30人以下のクラスは絶対に実現すべきことです。
また、私は小学校に勤めているときから、学校の図書館司書やスマイリースタッフの時間や数をふやしてくださいと、教育委員会に要望をしてきました。国立市は学校の耐震工事がまもなく終わります。そこで、その分を教育の充実と父母負担の軽減に使うように要求していきます。
先日、もうすぐお母さんとなる方とお目にかかったとき、その方が「国立は家賃や税金が高い、保育園や病院も少ないから隣の町に引っ越すことにしました。周りにもそんな人が多いのです」といわれました。国立を子育て世代にとっても魅力的な町にしていかなければと思いました。
子育てといえば、私もまだその最中です。しょうがいを持った私の娘が作業所で実習をしました。手作業で菓子箱の組み立てや絞り染めなどの下請けの作業です。娘は「仕事をする人になっておこずかいをためて、ヘルパーさんが持っているあこがれのアイポッドを買うんだ」と張り切っています。ところが、お給料は三百円から六百円程度です。これは時給ではなく日給です。1ヶ月働いても1万円前後です。おまけに障害者自立支援法のために、そこから給食費が引かれるので、手元にはほとんど残りません。どんなに働いてもアイポッドは手に入りません。作業所ではたらく障害者には最低限度の生活も保障されていないのです。
こんな社会ではいけません。市役所で話を聞くと、自立支援法のためにできないことを市独自で補う努力もなされています。それはすばらしいことです。ただ予算の壁に出来ないことが多すぎると職員は語ります。
私の娘は生まれたときに、かなり重篤になるので覚悟してくださいといわれましたが、札幌の発達医療センターでの早期訓練と親への手厚いサポートのおかげもあり、専門医が驚くほど発達してくれました。国立市には、そのような子ども達の療育センターがありません。子どもの発達相談、親子を含めて支援でき、訓練もできる施設が必要です。市の福祉課も必要だと認めています。また、障害者のグループホームや高齢者の居場所づくりが求められています。
私はもっとも弱い立場の人々が心豊かに暮らせる社会こそ、すべての人が安心して暮らせる社会だと思います。教育や子育て、障害者の問題はすべていのちの問題、平和の問題に繋がっています。
私の叔父は、特攻隊としてあの戦争の時代に若い命を散らせました。私は、教育が軍国主義に奉仕する人間育成になっていたことを知り、平和を愛し、真実を見抜く目をもった子どもたちを育てたいと教師への道を選ぴました。また、日本共産党が戦前から命がけで戦争反対を貫いてきた事実を知り衝撃を受けました。いのちを大切にし平和を築きたい、これが私の政治への挑戦の原点です。わたくし尾張美也子はこれまでの子育て、教員の経験を生かし、福祉や教育、くらしの切実な願いを市政につなぎ、日本国憲法が響く暮らしをめざして、しなやかにたくましくがんばってまいります。ご支援を重ねてお願い申し上げます。