1月24日~30日までは、全国学校給食週間だ。
意義や役割について人々の理解を深め関心を
高める行事が全国で繰り広げられる。
その歴史は明治22年山形県の小学校でお弁当を
持ってこられない子供たちに無料で提供したのが
始まりだたとか。
全国で始まったものの。戦争で中断。
昭和21年にアジア救済公認団体から物資の寄贈を
受け昭和22年1月に再開し、12月24日を
学校給食感謝の日とした。
校外実習で小学校にいったときの、校長先生が話してくださった。
残念なことに私には給食の思い出はない。
当時は田舎ゆえか、貧しさゆえか
学童や食欲旺盛な子供たちの栄養面を
考える余裕もない行政だったのか。
当時の生活が忍ばれる。
(う ふ ふ 何歳か知れますね)
給食はきっと楽しい時間であったことに間違いはない筈。
どのようなメニューが人気が高かったのだろう?
何が美味しかったのか?
何が好きだったのか?
食べている風景を想像してみた。
息子たちは私立の中学へ行ったので、小学生の6年間だけ。
好き嫌いなく出されたものは、感謝していただくこと。
好き嫌いは親の私が笑われるんだよ。
厳しく躾はしたつもり。
厳しく躾はしたつもり。
もし食べられないものがでたら、どうする??
心配そうに尋ねる息子。
大丈夫だよ。給食の先生たちが何が一番体に良いか
皆で考えて決めているんだ・・・と諭す私。
幸いに給食は完食でき安心した。
長男・次男は高校卒業時には、
6年間お弁当作りありがとうございました・・と。
泣けちゃったわ。
三男は公立高校だったので、これもまたお弁当。
交換留学生でオーストラリアへ。
代わりにホストファミリーを引き受けた。
彼はお弁当以外にも軽くサンドウィッチや
フルーツを、持参させた。でっかい体で部活もやり
自転車通学が基本だったので、お腹が空くだろって、親心(??)
あれこれ考え買い物を済ませ
夕食後下準備する時間は楽しい時間だった。
昨年の夏休みの宿題で孫と一緒に作ったお弁当。
この時 孫には、多くのことを話した。
学校給食には食に対する正しい知識と
望ましい食生活を身につける
重要な役割があることを教え
孫も熱心に聞いてくれ、給食の時間に
友達と競争してお変わりしたことを、話してくれた。
同級生と共有できる思い出。
学校給食をたべられる僅かな時間を、楽しく味わい、素晴らしい
思い出を作って欲しいと願う。
先日の地方紙に生活困窮者に
食料品を提供した会社のことが取り上げられていた。
世の中には、まだまだこのような家庭がある事実。
無駄にしてはいけない。ロスは無くす。
これ先の食料のこと考えると憂鬱になるし、
栄養学を学んだ1人として、責任も感じる。
主人が買ってきてくれた。
残った食品は無駄にしませんよ。
時には、こんな贅沢も。1粒で280~300円!!!!
びっくりだわ・・・毎年頂いています。
高価で自分では買えませんよ。
友からのプレゼントです。感謝💕 感謝💕
私の給食の思い出は脱脂粉乳の不味かった事です😅
給食は小学校だけでした。
息子達も同じで小学校だけでしたね。
お弁当作り🍱今は楽しいですけど息子達に作っている頃は仕事が忙しくって手抜きばかりだったので今になって悪かったって後悔しています😓
今日はまだだから、さて寝ましょう、、って、入ったぁ👀
もう一度読みたい位のお話、、でも、とりあえずコメントを・・・
私も給食、知らないのです。
東京でも北多摩群と言われる地域で、給食になるはざまでした。
で、中学でもそのシステムの恩恵にあずかれず、決まったパン屋さんが朝のうちに注文書を配って、箱に入れると、お昼には牛乳など、飲み物と一緒にその注文書の名前と一緒に教室外の廊下に置いてある箱からとった様な・・
で、パンを注文しない人は家からお弁当。
高校は当然、お弁当。
食堂も、購買部で入ってるパン屋さんから買うこともできました。
娘は私立で、母親がお当番で台所で作った食事をでしたから、、
息子はしっかり給食世代。なので息子の中学の学年委員をやった時、見学授業で子供達が食べてる給食経験をしたときは嬉しかったですね。。
確かに栄養バランスはしっかり考えられてたし、まだ生活にアンバランスもあったけど、ここではちゃんと栄養とれてるから、助かると言ってた母親もいました。
学年の知り合いのお母様が管理栄養士で、他の学校の給食を担当してる方でね。
色々なお話もしたけど、、、
私も娘の学校の委員の時は「食」を担当しました。
で、お献立を管理栄養士の資格を持ってる、やはり母親仲間の方で女子栄養大を教えてる方に学びながら、、お献立を他の委員の方と以前のも参考に立てました。
今、それがとても役立ってる事も事実です。
なんて自分の事をつらつらと、、。
おばさんの息子さん達への御教えは母親としてご立派ですよね。
です、その雰囲気でお育ちになった方々だから、しっかりとされてるんですよね。
そしてお孫さんも!
食は、生きる基本です。
それはどんな動物であっても、、
今、何でも売ってる時代に、食べることは好き、嫌い自由だけど、その根本が、基本が、、と考えてしまいます。
食に不自由を感じない人達の多い事で、どれほど困ってる人がいるかを思う気持ちが欠けてるのではないかと・・とも。
で、貧しいがゆえに払えぬ給食費と豊かでも払わぬ保護者の違いとも・・
交換留学生の親までなさったら、素晴らしい経験で、これまたし好を知る、世界を知る経験にもなったんですね。
何でも楽しみながら学びになっていく人生!
素敵です♪
未だ書きたいかな、、って遅くなりました。
寝ます(笑)
密封パック、便利ですよねぇ、、欲しいのですが、、結構なお値段と置き場所が、、です。
だんな様が‼!👀
素晴らしい~~(^_-)-☆
イチゴ!!これまた目が飛び出ました。
初物、七十五日、毎年ですか! 長生きできますね♪
コメント、早い遅い関係なく、たまたまの出会いです♪
早寝したくて、、ってかなりいい加減コメントごめんなさい。明日もっとゆっくり読んでみますね♪
給食は嫌でした。
食べ終わるまで、片付けてはいけなかったし
3年生くらいまでは、脱脂粉乳で美味しくなかったです。
鼻をつまんで飲んでいました。
牛乳になった時は、嬉しかったです。
一番好きなメニューは、豚汁と揚げパンでした。
そうそう、クジラの竜田揚げもありました。
入学したころは 脱脂粉乳で イヤだったので
途中から 牛乳に変わりましたが 牛乳も嫌いで 嫌な思い出です
息子さんたちから 6年間お弁当作りありがとうの言葉 うれしかったでしょう
私は 言ってもらってません
というか 私も 母には言ってなかった(^^;
へ・・・脱脂粉乳と肝油の時代でした。
それしか思い出せないです。
けっこうそれが私は好きでした。
学校給食は、食の安心やマナー、偏食とか、いろんな面で特別な学習の時間だったと、子どもたちの給食を見て思いました。
今、子どもたちの貧困が問題になっていますが、学校給食は、無料化した方が良いのではないかと、考えます。
実は私、給食に興味を持った時期があり5年ほど仕事したことがありました。
子どもたちの、昼食の食生活が知れて安心した記憶があります。
イチゴ美味しそう!高級イチゴ羨ましい^!
でも、偏食な子供だったので、食べられないモノは机の引き出しに隠していて、母親まで学校に呼び出されて叱られた記憶があります。
今は、まったく偏食は無いのですが、当時はね。
カレー、好きだったなあ。
給食の時間が近づくと、給食室からカレーの匂いが!(^^)!
鉢植えに5個、苺の苗を植えています。
今は、寒波で玄関に並んでいますよ。
花は咲いていますがどうかなあ?
美味しい苺、生産者さんから買って毎年東京に送っていますよ。
高校時代、夕方になると、定時制の生徒さん達のためのパンと牛乳が食堂に並んでいたことを思い出しました。
くちこ達はお弁当でしたが、定時制の生徒さん達は給食?だったみたいでした。
脱脂粉乳はまずかったと皆さんの意見ね。
現在のスキムミルクとは
違うものだったんでしょうね。
その味も知らなく・・・一度学校給食を
食べてみたかったわ。
以前にもお話したと思いますが
人の体は食べたもので出来ている・・自論ですが。
kinshiro様も同じ考えて嬉しいです💕。
食べ物って本当に大切で一つだって、無駄には
出来ませんね。でもね 魚は下処理が出来ず
無駄にしているかな??
お譲様のお弁当は腕を振るったわけね。
好き嫌いは自由だけれど、正しい食生活は
ほんとに生きる基本だと私も思います。
kinshiro様・・・同感です。
給食費の無料化
せめて食べるものは全ての子供を同じように扱って欲しいと願います。
留学生とはね、
お互いが変な日本語と変な英語の毎日。
楽しい時間でしたよ。
kinshiro様のように、流暢に話せたらもっと
意義深い生活がお互いが楽しめたと思うと
彼に申し訳なく反省。
密封パック…これは安物ですよ。Tv通販のような
優れモノではありませんが、重宝しています。
給食の思い出があるって良いなあ~
全く経験したことがない私は、羨ましいわ。
お弁当でしたが、田舎の母親が作るものは、
決まったものばかりでしたが、それでも私は恵まれていた方よ。今でも感謝しています。
クジラは今や高価ですね。
脱脂粉乳って、美味しくないのね。
飲んだこともありませんが。
牛乳を初めて飲んだというより、ヤギの乳を頂き
飲んだことあります。田舎なのでご近所で
飼っていた家があったの。
中・高校と6年間良く作りましたよ。
双子ですから、毎日2ケね。
でも ありがとうは嬉しかったです。
アルマイト・・・懐かしいです。
当時のお弁当箱がそうでしたし、まだあります。
給食は一度も経験なしで、少し寂しい気もします。
やはり静岡市内は大きな町ですから
当時でも給食があったんですね。
母の手作りのお弁当は鱒でしたよ。鮭なんて
見たこともなかった私です。
クジラの竜田揚げは今は高級品ですよ。
そうでしたか。
食に関心を持たれそのお仕事もされたのですね。
関心を持たれた方がいたことが、嬉しい私です。
カンレ様
学校給食の栄養士は確か栄養教諭として活躍されていると思います。校外実習でのみ学校給食に携わりましたが、楽しい時間でしたよ。この子供たちに正しい
食に対する知識を教えたいと思いました。
まだお若いので学校給食の経験はあると思いますが、
脱脂粉乳だったんですね。
カレーは多く作ったほうが、美味しいですもの
きっと喜ばれたメニューだったのでしょう。
毎年頂くイチゴですが本当に美味しく価格も
びっくりです!!ブログ友に感謝です。
息子さんから、お孫さんへ、充実した人生でしたね。
当方も、いろいろありましたが、思い残すことはありません。
自分なり気に、充実した人生だったと思っています。
これからも、頑張りましょう。
それに小さなジャムの袋が付いていた。旨かったな~!。😍
休んだ子の余った分を
欲しい人が 手を挙げて、教壇の上でジャンケンをする。
爺さんも ものすごく欲しかったが、
手をあげる勇気と、教壇に上がる勇気が無くて、見ていただけだった~!。泣😥
勝った子が 嬉しそ~に食べてるのが、 強烈に記憶にある。🤣
終戦直後は 誰もが お腹を空かしていたんです。
我が家も(7人)兄弟で、家でも 食べ物の争奪戦!の時代だったからね。
(昭和は遠くなりにけり)ですね~!。😎
私は小1から給食でした。
はい、脱脂粉乳でしたよ~
給食係がお玉でよそってくれるのですが
動か少なく‥といつも願っていました。
そして、さらなる魔は白身がいっぱいの豚肉・・・
下校時間まで残されて食べたことがあります。
今では平気なんですが、泣きながら食べた思い出が・・・
その頃に比べると、今はなんとぜいたくに・・・
貧しかった子供時代、母や祖母はやりくりしてくれていたんだな~~と
農家でしたので、採れたものはしばらく毎日食卓に出てましたが・・・
食べたもので出来ている私たち。
給食の意味もしっかり考えて、粗末にしない
母から私に。私から息子たちに。息子たちから子に。
繋いでいってほしいと願っています。
翁殿
少し見栄をはっていませんか?
本当に学校給食ありましたか?
翁殿はお町に住んでいたので、給食が
あったのかしら??
田舎の婆はありませんでしたので、母が作った
お弁当を毎日持っていきましたよ。
当時は、本当に粗末なお弁当でしたが、
それでも嬉しかったし、母の思い出が蘇ります。
飽食の時代を過ごしてきた若者は、この先
心配です。
わあ~
給食を知っているんですね。さすがお若いなあ。
好きなものは良いけれど、肉の脂身はちょっとね。
でも懐かしい思い出でしょうね。
全てが満ち足りた生活を過ごしてきた若者は
この先どうなるのかしら?
農家は良いわね。最近 何も作らなくなって、
改めて 自給自足の有難さを味わっています。
昔の親は偉かったと思いますし、感謝です。
小学校、中学校、高校とお弁当でした。
ただ幼稚園の時は、給食?でしたね。
いつもじゃがいも、さつまいもか、麦飯のおにぎり、そして玉葱の味噌油炒め、キャベツの炒め物、と、脱脂粉乳でした。毎日毎日。
でもこの時間は凄く楽しかったことを覚えています。
もう72年も前の話です。
小学校では、教室の隅に弁当保温器というのがあって、学校に来るとカバンからお弁当をとりだし、保温器の中にいれておくんです。
昼食時には、
ホカホカとあたたかいお弁当が食べられました。
味付きの時もあったけど、脱脂粉乳は今で言う罰ゲームのようでした(笑)
ビン入り牛乳を、教室のだるまストーブの上で温めた思い出も・・・
「チーズ」と書かれた瓶の蓋がレアもので、みんなで奪い合ったものです。
あとは・・・やっぱり揚げパンが好きでしたね♪
懐かしい揚げパンを見かけると、つい買ってしまいます。
やはり 給食を経験していませんでしたか?
でも 幼稚園での思い出があって良いなあ~
私 幼稚園も行っていませんよ。田舎住まいは
幼稚園なんかありませんでしたので、いきなり
小学校で多くの友達と交わりました。
多く??
嘘かな! たった2クラスだけでしたよ。
ですから、男女は今でも仲良しです。
弁当保温器・・へえ~
これも初めて知りました。
脱脂粉乳って皆さん美味しくなかったと
言っていますが、私は全く知らない味です。
学校給食があることすら知らなかった田舎育ち。
母の作ったお弁当を毎日喜んでいました。当時は
副食も簡単な物でしたが、私は嬉しかったです。
あの時代としては恵まれた家庭だったと感謝です。
私は家政科を目指したのは、きっと貧しかった
時代が根底にあったのかもしれません。
食は生きる源だと思っています。
もう一度コメントするの考えてました。
皆さんのが終わるころに、、
私のコメントはズルズルと長くて要領を得ないので、沢山のコメントがあるおばさんに無理をさせてるのでは・・と、、申し訳ありません。
ただ、誤解の無いように、、娘のお弁当は、ほとんど作ってないのです。
そのうち、話ついでにブログにするか、、と迷いながらしていませんが、娘はご存知か分かりませんが、東京の自由学園というある意味、独特な校風の学校に通っていました。
羽仁もとこ、吉和夫婦が創立した学校です。
そこは、子供たちの食事は、母親、後年は父親も参加してましたが、学校の大きな台所と称する調理場で、幼稚園(生活団と呼んでいました)初等部(小学校)にはその生徒数に見合った台所があって、6人から8人で、各学年から出て当番制で、委員が作った献立のお昼を作り、もちろん教職員の分もなので、幼稚園は60人位から、初等部は全学年と教職員で300人分ぐらいです。
普通科という中等部になると、生徒たちがその当番に入るので、それが家庭科の食の実習のようでした。
多分、子供たちは学部という大学部までの人数で作ってたから、500人からだったと思います。
なので、私はそこで学んだことが沢山あります。
そのことを一口では言えず、なんだか変なコメントになってしまいすみませんでした。
普通なら、理解難しいので、皆さんが分からなくても、お話しないのですが、おばさんは教育者でいらしたので、色々と本音でお話をさせていただいてますので、余計な事と思いつつつけたしさせていただきました。
なので、娘のお弁当は、遠足や課外授業など学校で食事の出来ない時だけで、私はお弁当作るのが下手なんです。
見た目の綺麗ではなく、栄養バランスなんて言ってたから、茶色が多かったそうで、、娘に言われたことありました(笑)
そんな話もとは思いつつ、どなたに分かる話でもないので、ブログは控えておりました。
しつこい内容のコメント本当に失礼とは思いましたが、、、ごめんなさいませ
決して無理などしていませんよ。
嬉しく拝見いたし、貴重なご意見に嬉しく
耳を傾け 自分の成長過程にプラスさせ私が大きく
なることの導になっていますよ。
自由学園 勿論存じていますよ。仲良し友は
四国愛媛の出身ですが、中等部からこの学園です。
姉妹で上京したことも、話して頂き洋裁も料理も
実習した思い出も。学園の様子もお聞きして
私なりに感銘を覚えたこと。
その学園で培ってきたものが、お嬢様の今日を
築いているんだと思います。素晴らしい教育を受けらえたことは、親子共に幸せだったことでしょう💕
好き嫌いのないこと…これは素晴らしいことね。
幸いに息子たちも、楽しい給食の思い出が
多かったようで安心しました。
アレルギーの問題で食事内容が他の子と違うのは
本人にとっても辛いことね。