小池真理子さんは、作家である夫を1月30日に69歳で亡くし
深い悲しみの中にいる。
小池さんは随筆の中の、その悲しみ、寂しさから
ぬけることができない苦しさを、次のように繰り返し書き続けている。
【若いころ私は、人は老いるにしたがって、いろいろのことが
楽になっていくに違いないと思っていた。
のどかな春の日の午後、公園のベンチに座り、ぼんやりと遠くを
眺めている老人は皆、人生を超越し、
達観しているのだろうと、信じていた。
だが、それはとんでもない誤解であった。
老年期と思春期の、落ち着きはたぶん、ほとんどの場合、
見せかけのものに過ぎず、たいていの人は心の中で、
思春期だった時と変わらぬ、
どうにもしがたい感受性と日々、闘って生きている】
小池さんは友人や知人と話し、慰められているが、なかなか
気持ちを切り替えることができないでいる。そして
「老いるということは、
どうにもしがたい感受性と日々闘って生きる」と
いうことなのだ、言う。
地元紙より、抜粋
コロナでどんなに辛く寂しくても、絶対に永遠に続くものでなく
全てのものに終わりはあると信じ、明けぬ夜はないと信じ、
明日も前を向いて歩もうと思った私。