我が街の新聞があり、我が家でも購読している。
各自治体では広報や議会だよりが発行されているが
月1回程度。
そして横文字が多く高齢者には不親切な部分も多く感じる。
地域に優しい政策は何処に。
地元のことは、もっと詳しくその変化を知りたい。
そこに行くと新聞は毎日 手元に届けられ有難いものだ。
記事を観て驚くことばかり。
◎◎小学校では、田植えをしました。
▽▽幼稚園では、サツマイモを掘りました。
稲刈りしました。ジャガイモを堀りました。
お正月のお飾りを作りました。等等
へえ~
こんなことが新聞で取り上げられるほどのことかな??
昔 当たり前に実施してきたことが今や新聞記事に。
しかも 地元の農家さんの指示のもとで実施されている。
教師が知らない年代なんだ・・
それとも 子供は宝・・・だから皆で育てようと言うのか。
時代は移り変わり時間は流れているとはわかっているが
とても不思議な気持ちにさせられた。
息子たちは、当たり前に経験したが孫は確かに
経験してはいないなあ。
夏になると冬に備えての薪作り。
誰も嫌がらず、手伝っていた。
当然のことの様に。
3人がそれぞれ区分担当して
楽しんでお手伝いをしていたように思う。
田植えや稲刈り・シイタケ菌の植え付け
小麦の踏み付けや収穫。
ジャガイモだってサツマイモだって当たり前。
野菜の収穫は面白がって手伝っていた。
お風呂を焚くのは母の仕事だった。
その消し炭で魚を焼く。
サンマなんて美味しかったなあ。
我が家、オール電化になった今も魚は炭で。
お風呂の煙突もそのままの姿を残している。
昔 当たり前だったことが・・・・
画像がないのは寂しすぎ・・・
先日の大雨で・・・
ブルベリーのネットも
ジャガイモはむき出しに
拾い集めました
あ、幼稚園の時にさつまいも掘りしたかも😅
主人はどれも経験したようです
主人は馬の世話の担当だったそうで、馬の餌やりを終えてから夕飯を食べたって言っていました。
山を越えて田んぼに行ったとか、その藁を背負子に積んで帰るのに兄妹で競い合ったとか・・
大阪育ちの私には想像もつきません😓
それを懐かしく思うって良い思い出なのでしょうね。
私なんて大人になっても胡瓜や茄子は一年中畑に生っている物とばかり思っていましたσ(^◇^;)
季節を感じるって羨ましく思います。
おばさまのところのじゃが芋♪
赤いのですね。
この色初めて見ました。
中は黄色なんですか?
線状降水帯・・大変でしたね。
でも、おばさまがご無事で良かったです。
時代の変化でしょうか?
同級生でも 新聞の購読はやめた「テレビでわかる」固定電話もやめた「携帯電話で充分」と言う
私も新聞はほとんど読まず テレビで済ませ 唯一見るところは 「ひろば」これが楽しみで新聞を購読している 時代は変わってきていますね
✩ ご主人如何せしょうか?
台風の後始末が大変でしたね
一緒にやってるようです
先生 経験ないでしょうね
子供の頃 田植えや稲刈り すべて 手でした
今のように 機械ではなかったですよね
なつかしいなぁ
我が家も オール電化
おばさん家は 今も魚は炭で焼いてるのですね
おいしいでしょうね
よく降りましたよね
先日の大雨で 大変なことになってますね
久々のブログ訪問で、旦那さんのご病気の事を知りました。
気付くのが遅くなって申し訳ありませんでした。
術前の温泉旅が出来て良かったですね。
記事を拝見していて、ご家族の温かさが伝わって来ました。
実は、先月私の友人からも病の報がありました。
腫瘍が悪性だったとの事で、今月下旬に手術になるとの連絡でした。
友人ご夫婦は、昨年静岡市から富士市へ転入され、静岡市在住の時から一緒に山野を歩いて来ました。
励ましの言葉に迷っていると、先日二人で富士山麓の探索に行ってきたと話してくれました。
「こんな時に山へ?」「気分転換だよ!」
幸い病は早期で、他への転移は見られないとの診断だったそうです。
私もこの先どうなるか分かりません。
一日一日を大切に過ごす・・その言葉を噛みしめながら日々を送ろうと改めて思いました。
旦那さんの一日も早いご回復をお祈りしております。
お大事に。
大雨で大変でしたね。お見舞い申しあげます。
ご主人さまのお身体のことも気がかりですが、
あなた様もお身体も大切になさってください。
ジャガイモちゃん何とか収穫できてよかったですね。
赤いジャガイモなんですね。
本当に、農作業とかいまでは、わざわざ教えないと?教える先生もいない?寂しい限りです。
私の子どもたちも、私の実家で体験させたような・・・?
あんな時代に戻りたいですね。
でも私自身ももう戻れないですけどね。・・・
息子たちは農業の手伝いは知りません・・・
それでも、周りは農家さんばかりですので
泥にまみれて遊ぶことは日常でした。
裏山を走り廻ってあそんでいました。
先日、お茶工場の手伝いの時の休憩時に
ねこ婆が「昔子供のころ、農繁期は農休みがあって、子供は苗取りが仕事だった」と言いましたら
5~6歳年下の方から「え~?知らないな~」と
言われてしまいまました。
ほんの少しの年齢差でも、そんなですから
今の子供や、若いお母さんが知らないわけですね。
今のゆとり教育より、よっぽど良い教育だったよな・・・
苗を藁で結ぶ手順、今でもしっかり覚えていますよ。
「田植え」も「さつま芋堀り」も「ジャガイモ掘り」も知りませんし、やりませんでした。😍
今の新聞記事で(今の子はいろいろ経験するんだな~!)と思い、読んでいるだけです。😘
我が誕生の(昭和19年)と言えば、子を(産めよ増やせよ)の時代だったそうで、
我がも(5男2女)の4男坊、喰うだけでも戦場でしたからね。www(笑)
なので お手伝い!と言うよりも、
「ザリガニ」取り「イナゴ」取り「タニシ」取りで 食料の足しに していました。
「ソーメン」を大量に茹でた湯を「たらい」に入れて、「たらい」入浴した事もあるキャンプ生活?。
今思えば ビックリ!な事ばっかりですね。
昭和の終戦直後は、ドコモかも 誰もかもが 貧乏!で、地主でしたね?? 。
そうです「トイレットペーパー」が無くて、新聞紙をよ~く(もみもみ)して拭いて、
ボットーン!と落として、跳ね返りの(お釣り)をもらって また汚れたりしてね!。(笑)
そんな新聞「痔主」になったりしてね~?。
あ~!昭和は遠くなりにけり~!。
ご主人様、おば様も大変な時期に大変な事が
重なりましたね。あまりご無理をなさいませんように。体のことが一番大事ですから。
暮らしの基本がどんどん見えなくなってしまいます。
世の中の変化が急速すぎて、老人はついて行けません。浦島太郎状態ですよ!
子供たちにも、基本となる部分はしっかり教えてあげたいものだと思いますね。
そうですよね。
私の様に田舎住まいの人は知っていて当たり前。
でも都会育ちの人は知らなくっても、当たり前。
う ふ ふ
いつも自分中心で考えてしまう悪い癖の私。
ごめんなさいね😥
ジャガイモは毎年北見から玉ねぎと一緒に
届くの。最初の頃のブログ友です。
昨年頂いた中に赤いのがあったので、
植えてみました。レッドムーンだと思いますが
まだ食べていないの。