ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

大丈夫、ついているからね

2014-11-07 09:29:14 | 猫病気
飼い主から見るとみじめは昨日は危なかった。
もう生命活動の維持に必死で、全てに余裕がない。
近頃は片肺に胸水なので、両肺の時よりは呼吸苦がない。
それでも元気が喪失、うつろで危なかった。
しかし、眼を明けると心配そうに覗き込む猫の顔。

大丈夫、ついているからね。



日向ぼっこも楽しむ余裕がなく、元居たほうに帰りたがる。

通常猫は肺の4分の1まで機能が落ちると苦しむ。
肺胞ががんに侵され、がんで貧血のみじめはやはり安らかな最期のためにも行かねばならない。
危ないながらも、いつも通りにお世話をし、今日も秋の夕日の中、てくてく背負って受診し、
胸水を片肺から抜き、ステロイドも入れ、耳が壊死しているけどハイパーサーミアもした。
体重は輸液が効いて3.0㎏。
スタッフさんも、みじめの様子から、「この2、3日が峠のような気がする」とお話しする。

病院から帰って、猫はしんどいので下に敷いた敷物ごと降ろす。

元気が消失している。

私はここのところ毎日が最後だと思って接している。
飼い主の義務で当然の事であり、そして非常につらい事、ストレスがかかる事だ。

餌やりのみでない、まともな猫の大先輩さん達は、私財をなげうち、
お外の子の避妊去勢、食餌のお世話、清掃、場合によっては投薬か保護をされているが、
「毎日、この子と会えるのは今日が最後かも」と思ってお世話をされているとおっしゃる。
ストレスばかりで強靭な意志と愛情がなければ到底できない事だ。
千の風になっては有名ですが、この詩も素敵なので載せました。



ノーマ コーネット マレック・作 佐川 睦・訳
『最後だとわかっていたなら』


あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても 
わかってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でも もしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

コメント (2)
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