快晴。12-5℃
深夜遅く、バイオリンの師匠からメールが届く、
レッスンは3月8日まで、新型肺炎のため中止になってしまった、因みに、父の施設なども、とうに出入り禁止である。
なんとも暗澹たる気持ちになった、だけど三週間ぶりに先生にお会いできた時に、かなり伸びていたらどうだろうか?そう思って練習しよう!と誓う。
昨夜も、猫は夜通し騒いでいる。
そして、朝が待ちきれず、私を起こしに来る猫のわくわくと楽しそうな事に気が付く、どうやったら私が起きるか考えているようで、顔が生き生きとしている!
朝が来るのが待ち遠しいなんて、希望があるようで羨ましい。決して現状を憂いでいない、そこが素晴らしい!(私は寝不足だが、おそらく海馬は今回の猫介護で縮んでいる。)
午前中はリウマチで整形を受診、吹く風が冷たい事。
マスク姿の患者さんで待合室はぎっしり、息が詰まりそうで、薬だけ出していただく、それでもかなりの時間待たされた。
そういえば、今朝のAmazonの荷物の受け取り、タッチパネルも皆さんが触るのが嫌だと言い出し、それで印鑑に戻ったそうな。街の風景もこれ。相変わらず、マスク騒ぎが続いている。
帰宅して、慌ただしく楽器の練習と復習。
午後からは、某塾へ。
さぁ、きょうから本格的に体験コースを終え、某塾と契約した。講師の皆さんは、モタモタしている私にお優しい。
手続きを済ませ、一回目の試験を終了し(「落ちる」と笑わせ、書き取りに時間を測るというので、「えええっ、リウマチなのに~w」と笑わせ、)無事終了、次の宿題を頂いて帰ってきた。
講師の先生は、物足りないのではと心配する、もっと持ち帰ってもいいという、先のない人生だから、慣れたら、そうすべきだろう…。
なんせエライ野望を、あたかも不退転の決意のダイエット宣言のように、敢えて公言したのだから。今は、まだ飛び込んだばかり、猫の介護の疲労もあり、新しいリズムに慣れないのが辛い。
帰りは、何時もの散歩コースを辿る。
♪菜の花畑に入日薄れ、、、
父の初恋だった人(大学時代の同級生)が歌うのが上手だったという「朧月夜」。
それを娘に教える母も母だが…、私達、母と子は、父がその人と結ばれたら、それはどういう人生であったか、そんなことを話し合ったりもした。勿論、私は存在しない。
もしも、あの時そうすればどうだったのか?、どの選択肢を選べば一番良かったのか?、そういう事は誰にもわからない事である。
大満足なら、現状維持を、何かが心残りなら、来た道を振り返ってもどうしようもない、これから先のベストな方法を探るしかない。
川は上流も、下流も、いつも通りの姿で、静かに東京湾に向かって流れていた。これは縄文時代から変わらない流れ。
私がいなくなった後も、このまま流れるのだろうし、気の遠くなるほどの数の、名も無き先人達がここで暮らしたのだった。
プラネタリウム鑑賞時に感ずる時と同じ、気の遠くなる時間の、一つの点でしかない人生。
川岸には、もうクレソンが芽吹いている。
君がため 春の野に出でて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ
私は、私の愚かだった娘時代に、決別する決意をしたのだった。
少しでも、良い思い出に変えようと。
猫に強制給餌、家事、練習、眩暈がした。
見上げた窓の外、今夜の三日月と金星は可愛い。
自分にとって大切なものは、やはり手を放してはいけない、諦めてはいけない。それが生甲斐というものだ。
絶対に、後悔ばかりの人生になる。人生の後半に気が付いた。