軽井沢でも

昨日の日中、3月にはかつてなかったほど暖かくなって
春の日差しの中を

薄手の春の装いで行き交う人の姿が多かったよね
今朝は

何日ぶりかにひんやりとこの時期らしい気候になったようで

それでも例年より暖かいのかも・・
工事に着手した頃の立て看板には

確か今頃が完了時期だった気がする

追分駅東側の道路工事
いつのまにか

工事期間が延長されたようで 工事区間の手前で直角に曲がって しなの鉄道をくぐる道は
相変わらず通行量が多くて その線路下の道幅が狭くなって車同士が


交互通行の譲り合いになる
軽井沢方面に向かって

そこを過ぎると

自動車修理工場があって、通り過ぎて少し東側 左の林から
細い道が合流する目立たないT字路があって

角に古い石碑が建っている

それが江戸時代は「 女街道 」とも呼ばれた 中山道の脇往還なんだ
歴史に詳しい人にお話を聞くと 大名行列や役人が通行したり険しい

碓氷峠を越えるのが大変な旅人が
いくらか 緩やかな峠越えが出来るこの道を通って

和見峠越えを目指した道だったそうで
開発される前には

左右の道端に目印や信心の石碑が沢山建てられていたらしい
道路の拡幅や

土地の変遷によってだんだん数が減っているそうで

どこに行ったんだろうね
数日前に

南側の道路沿いを草刈りして整備しているのを見かけて ひとつ気になっている石碑を思い出した
南側にゴルフ場があって

フェンスが巡らされている
その中に 江戸時代のものだろう古い石仏がひとつ建っていた

ありがたい事にあった姿のまま囲まれていた
ここ何年かたまたま通りかかると

つる草がフェンスを昇り ネットの役割をして目隠しになって内側が見難かった

あった、あった ! そのままの場所にちゃんと残されている
よく見ると

まっぷたつになった時期があったのか大けがの跡があるけれど

ちゃんと元の姿に整えられている
多分 街道沿いだから道中の安全祈願や

当時は大事な交通手段だった 馬の供養をした石仏だろう
いつまでも このまま静かに遺しておいてほしいな・・