一昨日の寒かった夜 ボクは久しぶりに ボクの森の下に住む奥さんに呼んでもらって
奥さんのお家に遊びに来ていたオジサンから いつかの「 冬の夜話 」みたいに
温かいお茶をご馳走になりながら 耳寄りなお話を聞くことが出来た
それは 前にここでボクもお話しした事がある 弥生時代後期(古墳時代)と言われる軽井沢の古代遺跡
縣(あがた=県)遺跡のお話だったんで 耳が思わずピピ~んとなって 興味深く聞いた
お話は かいつまむと こんな
軽井沢も含まれる長野県内には 旧石器時代から江戸時代までの間の「 遺跡 」と登録されているものが
総数で15000ヶ所ほどあるんだそうで まずその数にビックリした
さて 軽井沢や含まれる東信地域にはそのうちいくつあるんだろうね
オジサンのお話は
昭和46年に軽井沢碓氷バイパスが完成すると、国道18号線だけに集中していたマイカーや
トラック運送、観光バスなどの通行が大きく変わり始め
民家や集落から離れた場所を通過する道路沿いには歩行者用の歩道だけでなく
観光客のサイクリング利用に向けて自転車道を設置することになって行った
今、歩道と並走する平らなアスファルトの自転車用走路が設けられている
そんな動きの中で昭和40年代末頃に造成工事の過程で
鳥井原地域の用地掘削作業現場などから土器片らしきものが発見された
今 碓氷バイパス沿いのコーヒー業者さんの店舗がある土の中からだ
当時も地籍の小字として「縣=あがた、あごた 」と呼ばれるその一帯では田畑の耕作などの時に
土器片が出て来ることがあり「 最近の甕や瓦のおっかけ=カケラ じゃあないな・・」と感じる人は
小川の流れで泥を洗って家に持ち帰ったりした人も居たようだ
やがてこの話が地元で郷土史を研究している人の耳にも届き、見学に来たその人が言うことには
縄文以後の弥生時代の土器に似ている気がするから調べてみると帰って行った
当時は登呂遺跡、稲作に代表される時代が弥生時代と学校の授業でも学んでいて
当時でも春の訪れが遅く稲作には苦労が多い軽井沢に弥生時代の遺跡があると考える人は少なかった様だ
遺跡の存在に半信半疑の人が多い中でなかなか本格的な発掘調査に公的機関が乗り出すには至らなくて
昭和51年春、何度も下調べをしていたその地元の郷土史研究者が自費で私的発掘に着手した
最初は原野を掘ることなどにとんでもない苦労があったようだけれど
発掘作業を承知してくれた土地所有者や 長野県内の郷土史研究者たちがだんだん
作業協力を申し出てくれるようになりやがて、思いがけない発見と展開になった
土器片どころでなく なんと住居址が見つかった
生活の痕跡や土器片も次々発見され、住居址は2軒あることが判って来た
ここまで お話を聞いていた奥さんが ボクがそのお話のプリントを持っていることを口にして
オジサンは じゃあ続きはそれを見ながらにしよう と お茶を飲み 雨が小止みの内に帰って行った
この続きは また 明日ね