’91年の第二回WCからは各地区の予選が
あり、結構ジャパンにはハードルの高いものでした
宿沢さんは、トンガ、韓国、サモアとの熾烈な争いを2勝1敗で乗り切り
無事2大会連続の出場を勝ち取った
そして’91年第二回WCでは、ジンバブエと戦い、初の一勝を勝ち取る
ことになりました(それ以来WCでの勝利はありません)
でも宿沢氏はラグビーだけをしていたわけでなく、住友銀行のチーフデーラー
として勝ち続けた。これは氏のもって生まれた星の強さを感じずにはいられない
(もちろん氏の努力は特筆すべきことですが)
代表監督辞任後、しばらくラグビーから離れた宿沢氏ですが、その期間が
ラグビーにとって大きな損失だったのかも知れないですね
’95年世界がラグビーのオープン化に開かれた時に宿沢氏さえいれば
こんなにも世界から遅れる事はなかったと信じます
世界から遅れたラグビー界を立て直すべく宿沢氏は立ち上がります
続きは次回へ
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