もうすぐ桜の季節。4月からは小学校(中学校)の1年生、どんな学校生活が待っているのかと期待に胸を膨らませている子供たちも多いことでしょう。
公立の小中学校の場合、普通は学校区(通学区)が決められていて、市区町村のどこに住民票を置いているかによって、自動・生徒ごとに市区町村の教育委員会が入学先の学校を指定しています。
「僕は(私は)あそこの学校に行きたい」「うちの子供はあそこの学校に入れたい」と思っても、思い通りにはなりません。市区町村によっては(公立校であっても)教育環境に伝統のある有名校などがあって、子供をどうしてもそこに入れたいがためにわざわざ学区内に引っ越す保護者なども(それなりに)多いと聞きます。
もちろん都会では「私立学校」という選択肢もあって、最近では(いわゆる)「お受験」をさせてでも、地元の公立校には行かせたくないと考える親たちも多いようです。
令和2年の文部科学省の学校基本調査によると、全国の小学生630万693人(前年比6万7千857人減)のうち、国立小学校に通う児童は3万6千622人(前年比725人減)、私立小学校に通う児童は7万8千926人(前年比745人増)で、全国の割合としては約1.8%が国立小学校、私立小学校に通っているということです。
一方、これを東京都内だけに限ると、国立・私立小学校への通学している児童は5.3%に達しており、小学生の概ね20人に1人が(お受験をして)地元小学校以外の学校に通っていることが判ります。
通学できる範囲にそうした学校がある、そして幼稚園の段階から子供にお受験の準備をさせられる(恵まれた)環境にある家庭だけが「学校を選べる」状況にあるということが、こうした数字からは見て取れます。
一昔前であれば、近所のお友達たちがみんな同じ学校に通うというのはごく当たり前で誰も疑問に思いませんでした。子供たちは皆おそろいの黄色い帽子などをかぶり、毎朝、通学班を組んで登校していたものです。
しかし現実を見れば、教育環境や教員の資質、児童の雰囲気などは学校ごとに大きく異なり、いじめや不登校、教員間のいざこざなどが絶えない学校があるのも事実です。教育熱心な親たちが子供の将来を考え、評判の悪い地元の学校に子供たちを入れたくないと考えるのも(それはそれで)仕方のないことなのかもしれません。
とは言っても、幼児教育に特別な手間やお金をかけられる家庭は一握り。両親が共働きだったり、母子家庭、父子家庭だったりすれば、子供を遠い私立に入れるわけにもいかないでしょう。
たとえ「義務教育」だとしても、どうして公立の学校は「選ぶ」ことができないのか。義務教育の「義務」とはあくまで親に課せられているものであって、「子供が指定された学校に通う義務」があるわけではありません。
日本では学校教育法施行令第5条に「市町村教育委員会が就学予定者が就学すべき小学校(中学校)を指定する」と定められており、一般に、個々の就学予定者が就学すべき学校の決定は、教育委員会が通学区域を設定する形で行われています。
しかし、1997年に文部省(当時)が「通学区域制度の弾力的運用について」という通知を出し、就学すべき学校の指定に際しあらかじめ保護者の意見を聴取し、それを踏まえて就学すべき学校を指定することが認められることとなりました。3年後の2000年に、東京都の品川区が(先陣を切って)この制度を導入したことが話題に上ったのを覚えている方も多いかもしれません。
そして、2003年には学校教育法施行令が改正され、市区町村の教育委員会の判断によって学校選択制を導入出来ることが明記されるに至りました。現在では、東京の区部などでこの制度を採用する地域が拡大しており、内閣府が2006年に行った調査では小学校の14.9%、中学校の15.6%が導入しているということです。
しかし、だからといって、日本国内に暮らす子供たち(親たち)の誰もが自由に学校を選べるわけではありません。環境の良い学校・悪い学校、評判の良い学校・悪い学校は地元の親たちの間には広く共通認識されていて、自由に選ばせていたら収拾がつかない。選択には(それなりの)ハードルが設けられているのが普通のようです。
一方、こうした学校選択制の導入は、市町村教育委員会や学校現場のレベルではかなり評判が悪いという話も聞きます。2008年には、江東区の教育委員会が「地域コミュニティーの崩壊を防止する」という観点から、小学校における学校選択制を「徒歩圏に限る」と変更しています。また、前橋市も2011年度から学校選択制を廃止したほか、長崎市も2012年度から制度を縮小したということです。
少し古い調査結果ですが、2005年の内閣府の調査によると、保護者の6割以上が学校選択制の導入に賛成している一方、反対している保護者も1割程度あったとされています。選択制の導入に賛成する理由として最も多く挙げられるのは、学校間の競争によって教育内容が向上するのではないかとの期待であり、一方、反対する理由には学校間格差の拡大が主に挙げられたということです。
勿論、教育現場では教職員組合などが中心となって、学校選択制の導入に反対の姿勢を崩していません。日本教職員組合は「学校選択制は学校の序列化・格差化をもたらし、受験競争・学校選択競争の低年齢化、教育機会・選択機会の階層差・地域差の拡大、社会的差別の顕在化、「ダメな学校」のレッテル、教育困難校の出現、問題児の追放などさまざまな問題が浮上する」…と指摘しています。
また、学校の序列化による教育環境の不安定化を懸念する文部科学省の姿勢も、この制度の導入に決して積極的とは言えません。その声のトーンは(市区町村教育委員会への)「通学区域制度の弾力的運用」の奨励というレベルであり、「児童生徒等の具体的な事情に即して相当と認めるときは、保護者の申立てにより認めることができる」というのがその立場です。
さて、確かに公立学校の選択制が広く認められるようになれば、教育現場には大きな混乱が見られるかもしれません。学校ごとの評判(評価)は入学希望者の多寡で一目瞭然となり、今は平和な各学校が(入学希望者というパイを奪い合う)競争環境に置かれることはほぼ間違いないでしょう。
しかし、地域の保護者達が学校を評価する視点は「学力」ばかりではないのもまた事実。児童・生徒にとって「魅力のある学校」とはどのようなものかを教員が真剣に考え、各学校ごとに特徴を出し、「売り」を作っていくことも可能だと思います。
管理者の能力や教員の資質により、学校の雰囲気や環境は大きく変わっていくはずです。成果が上がらない原因を、学校の管理職や教育委員会、ひいては子供や親にばかり押し付けるのではなく、自らが変わろうとしなければ公立学校は変わっていかない(だろう)とも感じるところです。
誰だって、嫌な学校に行ったり、嫌いな先生に教わったりはしたくはないもの。(極端な意見であることはよくわかっていますが)公立の小中学校に関しては、この際、入学者に対する選択制ばかりでなく、担任の教師やそれぞれの科目の担当教員に関しても(「あの先生のクラスに行きたい!」といった)「選択制」を導入したらどうかと考えるのですが…果たしていかがでしょうか。
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