「私は神の愛によって支えられています」
私達は、罪悪感を持つ人間という肉体ではなく、
意識、想念そのものが私達であり、生命です。そしてそれはひとつしか
ありません。恐怖はありえず、もしそれを感じているのなら、
父なる神を恐れている、と言えます。
そして神は罰を与えたり、導いたりする存在ではないので、
どちらを信じるか、私達は常に自由です。恐ろしいことを思いつくのは
いつも自我です。それは私達ではなく、本来の私達(想念)が誤って
作ってしまったもので、存在しないものです。
なので、何を思いついても、過去に何をやっても、罪悪を感じる
必要も意味もない。その逆もしかり。良きも悪きもなく、
ただ、事実と誤りがあるのみ。