行雲流水

仏教をテーマとした記事を掲載しています。

阿頼耶識と末那識

2009年11月13日 | 禅の心
私たちの感覚には、見る(眼識)、聴く(耳識)、においをかぐ(鼻識)、味わう(舌識)

皮膚の感覚(身識)の六識の他に、自己愛である末那識、心の奥深くにある阿頼耶識があります。

阿頼耶識(あらやしき)は、ふだんは意識されない深層心理です。

しかしこれは、自我、ワガママな心が拠り所となる末那識(まなしき)に大きく影響されているのです。

私たちは、ついつい、自分の色眼鏡に物事を染めて見てしまいます。

自分で勝手に思っておきながら、現実を知って悩み苦しむ存在なのです。

「あばたもえくぼ」とはよく言ったもので、自分の好きな人のことは、何でもよく見えるものです。

逆に、自分の気に入らない人のことは、良い点でも悪く見えてしまいます。

寺で焚いているお香の香りも、お参りする人によっては、「とても良い香りだ」という人もいれば、

「臭い」という人もいます。これは人それぞれの感覚なので仕方がないと思います。

しかし、悪いことを良いことだと思い、良い行いを悪いことだと思う、歪んだ心を持っている人もいます。

昨今の様々な事件から「自分が楽しければ、何をやっても良い」という歪んだ心の持ち主が見受けられます。

そういう心は、末那識を通して阿頼耶識にはたらきかけ、いつか自滅させてしまうものなのです。

自分中心のワガママな心に気づき、清らかな心で生きていきたいものだと私自身思っています。

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